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勝手にふるえてろ


2020年のクリスマス。高校時代からの友人と、クリスマスプレゼント交換をした。上限は3000円。私は21歳、何か少し大人なことがしたくて、ちょっとだけ大人ぶって、本を選んだ。自分の好きな本を他人にプレゼントなんてしたことがなかったし、オシャレだなと思って。その時にあげたのが、綿矢りささんの『勝手にふるえてろ』だった。

実はこの作品に私が出会ったのは、映画が最初だった。Netflixにハマっていた私は、好きな俳優の名前で検索をかけては、片っ端から見ていた。その日も私は「北村匠海」と検索欄に名前を入れて、検索をかけた。そしてヒットしたのがこの作品。早速見たわけだが、見たわけなのだが、、

見終わった感想としては、
「しんっっっどい」
の一言だった。

オタクってすぐ「しんどい」って言う。いちオタクである私も勿論、日頃から「しんどい」はよく使う。オタクの言う「しんどい」はマイナスの意味ではなく、プラスの意味であることが多い。好きすぎて苦しい=しんどい、みたいな、アレ。だから私も「しんどい」と発する時は基本的にプラスの意味で使うのだが、『勝手にふるえてろ』の映画を見終わった私は、本当に本当の意味で「しんど」かった。

「しんどいとは、肉体的・精神的な負担を感じ、その負担が長く続くのはいやだと感じられるさまを表す形容詞である。」(実用日本語表現辞典より)

しかし、勘違いしないで欲しいのは、作品があまりにもひどかったとか、そういう話ではない。
しんどかったのは、

「これ私じゃん…」の連続だったからだ。


『勝手にふるえてろ』主人公のヨシカは、中学の時に片想いしていたイチへの恋心を拗らせた26歳。オタク歴が長かった上に、脳内でイチとの恋愛を繰り広げていたためか、なかなか現実で恋愛ができずにいた。そんなヨシカに熱烈にアピールをするニという男性が現れる。暑苦しいほどの愛を向けてくるニと、自分の中の宝物のようにしまってあるイチとの間で揺れるヨシカの恋物語。

映画を見た後に、原作も読んだ。

映画を見て「ヨシカは私じゃん…」と思った私は、原作を読んで「ヨシカは私じゃん…」と思った。

好きだった子との数少ない思い出を何回も脳内に召喚するとか、あの頃は楽しかったななんて思い出話するとか。
ヨシカを見ていると、拗らせすぎだよ(笑)と少し笑えてくるのだが、よくよく振り返ってみると私も同じようなことをしていた。だからしんどかったのだ。初めは他人事のようにヨシカを半ばからかいながら見ていたはずが、だんだん他人事とは思えなくなり、終わった頃には「私の話だった」となってしまったことが、しんどかった。

しかもまた、妄想の中で生きてきたヨシカに待ち受ける現実がなかなかに厳しいもの。「とある出来事」をきっかけに、ヨシカはイチを脳内に召喚することができなくなる。その、「とある出来事」がたまらなくキツイ。私はそのシーンが1番好きで、1番嫌いである。心臓をダイレクトに攻撃された気持ちだった。

ヨシカはこれをきっかけに妄想の世界から徐々に足を洗い始めるのだけど、私はどうなのだろうか。私は、ちゃんと現実を生きていけているのだろうか。
そんなことをグルグルと考えてしまう作品だった。

なんでこんなにも私のことを書いたような作品があるんだ…!と思ったので、全部見終わった後に、ネットやSNSで『勝手にふるえてろ』の感想等を調べまくった、ら、
これまた驚いたことに、私みたいなことを言ってる女性が沢山いた。凄い。
意外とみんな、拗らせてるんだなあと思ったら、少し気持ちがラクになった。

それにしてもやはり、ものすごく特徴的なのに、多くの女性の心臓に突き刺さるような作品を書かれる綿矢さんは凄い。すごすぎる。
それ以来私は綿矢りささんのファンになった。

『勝手にふるえてろ』
なんかもっと世に知れ渡ってもいいよな、と思って、私はこの作品を定期的に友人たちにシェアしている。これは映画も原作も、どっちも名作すぎる。

そういえば、クリスマスにこの『勝手にふるえてろ』をあげた友人が、「読み始めた瞬間に、っぽいなあって思ったよ」と言っていて、他人から見ても私はヨシカなのか!と思ったら恥ずかしくて、嬉しくて、切なかった。



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