レストランとジェンダー
先日、パートナーとレストランに行く機会があった。なんとも私の5月の誕生日の祝いが遅れたからとで連れてきてくれた。遅れた贈与は次第に大きな負担となってくるのだろうか。好きなものを食べてもいいと言われたから本当に好きなものばかり食べたけど、なんだかうれしそうな顔をしていた。本当に不思議なものだよなぁと思いながら私は箸を止めずに食べた。そんなサプライズだから会計の時はパートナーが負担してくれた。
閉店時間が近づいてきた。先に会計を済ませてくれということで会計用のトレーが運ばれてきた。テーブル席での会計で、トレーが私の目の前に置かれる。その時に何とも言い難い居心地の悪さを感じた。確かに傾向としてはレストランに来て会計をする際は男性が財布を出すことが多いのは確かだろう。そしてそのお店でもそういう教育がされていたのかもしれない。店員さんはその教育に従っただけなのかもしれない。しかし私の感じる居心地の悪は消えることはない。
反射的に財布のあるほうへ手を伸ばしてしまった。パートナーの顔を見ると苦笑いしていた。私はおそらくこのトレーの配置というそれだけで、パートナーの心意気が少しだけ、無下に扱われたような気がしたのだろう。そして、それに反応してとっさに財布のあるほうへ手を伸ばした私自身の行動もまた、トレーと同じ働きをしたような気がした。
私の行動はその時、たしかに他者によって、無言の圧力によって規定された。(店員さんの行動を悪く言うような語彙の選択になっているが、決して非難の意を込めているわけではない。)
まあ、つらつらと書いてきたけれどそれ以上でも以下でもない。私が得も言われぬ居心地の悪さを感じた。それだけのことだ。だけど、ジェンダー平等はこういう些細な場面で達成されてほしいなと思う。マナーだとか、慣習だとか、ルールだとか、いろいろあるのかもしれない。あの一連の出来事はコードだったのかもしれない。けれど、そんなコードが少しずつほぐされていくと少しだけ穏やかな瞬間が増えるのではないだろうか。