安楽死制度を求める活動を行う理由

私は将来、子供達や介護業界の負担にならないように、早めに生涯を閉じたいと考えています。
安楽死制度がなければ、将来に不安を感じたら早めに自殺を図る必要があります。
安楽死制度があれば、先を急ぐことなく余裕を持って最後の日を決めることが出来ますし、何より大切な人に見送られながら最後の時を迎えることが出来ます。

私のような考えを持つ者は、現在の日本では少数派であり、共感できる人は少ないのではないでしょうか。
多くの日本人は、将来、年金や介護制度のお世話になることは当たり前の権利と考えていると思います。
なので私は、自分の考えを他者に押し付けようとは思いませんし、当たり前のように年金や介護制度のお世話になる考え方を否定しようとも思いません。

それでは、30人以上のスタッフによる24時間体制の医療を受ける重度障害者が存在について、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
多くの日本人は、命を支えるために仕方がない。しかし、自分の事になると、そこまでされて生きていたいとは思わないのではないでしょうか。
ところが、自殺も選択できないような状態では、安楽死制度がなければ生きる以外の選択肢はなく、場合によっては、より手厚い体制を要求しなければ快適に生きることの出来ない状況もありえるのです。

私のように、早めの自殺を考えていた人間も、時期を逃してしまうと自殺が出来ない状態になってしまい、苦しい苦しいと言って医師にすがるような姿になりえるのです。

私が団体を設立するきっかけになった倉本聰さんの友人、コージさんもそのような人であったと感じます。(参考)
私と電話でお話した際に、倉本さんは「ホスピスさえあれば」と言っておられました。本気で言っておられたのでしょうか。
私のような人間にとっての本当の苦しさは、医師にすがるような姿になってしまったことの方であり、ホスピスのようなところで生かされているような姿など想像もしたくないのが本音です。
それに比べたら、自分の喉や腹を切り裂いて血まみれになるような最後でも構わない。
本質的には、死の権利そのものを求めているのが本音です。

安楽死を求める活動に賛同していただける方は、最後は苦しみたくないという方の方が多いと思います。私のような極端な思想を持った人間は、どこかで代表を交代した方が良いとも考えています。
あまり過激な話はしたくなかったのですが、私がここまで死の権利や安楽死制度にこだわって活動してきたのは、この話を少しでも前に進めるために、いざとなったら自分の腹を切り裂いて自殺してでも話を前に進めたいという思いがありました。
怖いのは、何も出来なくなることです。残された自分の命を少しでも有効活用したいのです。

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