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最後にあなたへ祈った夜の話

 ねぇ神様、この恋を実らせてくれよ。

 困ったときの神頼み。いや、正確に言えば「頼って」なんかいない。おれとしては、むしろ挽回のチャンスを与えてやっているんだな。

 なのにさ、神様ってヤツはことごとく裏切ってくれやがるんだよ、これが。

「ごめんね、ハジメは『可愛い弟』なの」
 先輩女子にフラれたのが、大学2年のこと。

「すみません、私にとっては『兄』なんです」
 後輩女子にフラれたのは、大学3年のころ。

「人としては大好きだけど……」

 そして、大学4年の今日である。
 同期女子から、三日越しの返事をもらった。

「──やっぱり、そういう目で見れないよ」

 こうしておれは、失恋記録をめでたく更新した。それでもって「彼女いない歴=年齢」の称号は不変のままだ。フラれるのにもだいぶ慣れたけれど、麻痺してると言えなくもない。

 そういうわけでおれは、学内の隅のベンチでうなだれていた。なるべく人目に付かない場所を選んだつもりだったが、どうやらその見立ては甘かったようで。

「あれ、ハジメじゃん」

 顔を上げると、そこにはカズフミがいた。
 慌てて目元を拭ったけれど、もう遅い。
 まだ水気の抜けきらない声でおれは言った。

「なんでこんなトコ来てんだよ……」
「ここ喫煙所。俺、喫煙者」

 あっさりと言って、カズフミは灰皿──植え込みの陰に隠れて気づかなかった──の近くでタバコに火を点ける。それから、相変わらずの仏頂面でヤツは言った。

「今度さ、サークルの打ち上げあるじゃん。今から店の下見に行くんだけど──来る?」

***

「いやもうね、おれ的には勝算しかなかったわけ! 99%イケると思ったわけ!」

 三杯目のハイボールを飲み干して、おれは続けた。

「お互い就活も終わったし、おまえと同じく一年の頃からの付き合いでさ、こっちのことはよーく知ってるって思ってたし! デートも数えきれないくらい行ったしさぁ!」

 訊かれる前に、全部ゲロってやった。
 変に心配されるのも気まずいし、勝手に妄想されるのもシャクだった。
 何よりもまず、話して楽になりたかった。

「まぁそりゃイケると思うよね」

 フライドポテトを淡々とつまみながら、カズフミが言う。

「けど、結果は残り1%のほうだった、と」

「あァそうだよ! 年上年下、そんでもって同期とフルコンプだよ──ヤバくね、ある意味学生の鑑じゃね!?」

「大学から奨学金出たりして」

「なにそれアツい」

「内定先から失恋手当も貰えるかも」

「ホワイトすぎウケる、つか入社してねーし」

 ひとしきり笑ったあとで、喉の奥から極大の溜息が漏れた。

 学生生活も、残すところあと半年と少し。
 彼女をつくる気は、もはやない。
 結局、神様はおれの期待に応えちゃくれなかったのだ。

「……やっぱ、女のコ相手じゃダメなのかね」

 社会人になったら、何か変わるのだろうか。
 兄とか弟とか、そういう家庭的なモノではなくて──シンプルに恋愛対象として見てもらえるようになれるのだろうか。

 おれには、どうもそうは思えないのだ。

 正直なところ、焦っていた。
 加えて言うなら、ヤケになってもいた。
 そのうえ酔いも回ってしまっていたらしい。

「もうさ、男でもいいかなって思っちゃうよ」

 ──そんな一言を口走ってしまう程度には。

「──それ、さ」

 唐揚げをかじりながら、カズフミが言った。

「告ってきた男に言うセリフじゃなくね?」

 しん、と音が消えたような錯覚を覚えた。

 効きすぎた冷房の送風が、今更のように頭を冷やしていく。その一方で、自分の額に汗がぶわりと滲んだのも分かった。
 
 自己嫌悪。

 胸に立ち込めるそれを一言で言い表すならば、その四文字をおいて他になかった。

「……かにや」

 絞り出すようにして、おれは言った。
 遅れて、地元の言葉が出ていたと気づいた。
 それでも、カズフミには通じたらしい。

「ん、よかよ」

 苦笑を浮かべて、カズフミはまたもうひとつ唐揚げをつまむ。おれもおれで、干したグラスの氷を口に流し込む。ひんやりとした冷気に酔いは醒め、代わりとばかりに昔の記憶が脳裏をかすめた。

 ──おれがまだ、あたしだった頃のことだ。

***

 自分の心は、男のそれなのかもしれない。
 中学の頃から、漠然と勘づいてはいた。
 それを明確に自覚したのは、高校に進学してからのことだ。

 鏡に映る、セミロングの自分。
 身にまとうのは、地元でも一、二を争うほど可愛いと評判のセーラー服。

 ──「わぁもやる!」

 クラスメイトがこっそり付けるネイルやアクセを、自分もつけてみたことはある。

 ──「わぁにも教えて!」

 指導にひっかからない程度のナチュラルメイクのやり方を試したことも、一度や二度ではない。

 ちゃんとした女子高生、だったと思う。
 でも、努力すればするほどに、意識すればするほどに、息苦しさを覚える自分がいた。

 女の子らしいものは、別に嫌いじゃない。
 むしろ好きだった──鑑賞するぶんには。
 だけどさ、それを自分が身につけているという違和感がどうしても拭えなかったんだ。

 そこは、ミッション系の高校だった。
 形ばかりの朝礼拝の時間に、きちんと「祈り」を捧げていたクラスメイトはどれだけいたのだろう。

 少なくとも、おれが純粋に「祈り」を捧げていたのは一年生の間だけだ。

 “あたしのままでいさせてください”

 二年生になってからは、懺悔に変わった。

 “あたしでいられないおれをお許しください”

 三年生に進級して、それは呪詛になった。

 “どうしておれをこんなふうに創ったんだ”

 それでも、縋らずにはいられなかった。創造主だというのなら、創った責任を果たしてほしかった。それまではしつこく祈り続けてやるのだと心に決めた。

 ──「ハジメちゃん、進路どっすー?」
 ──「わぁ東京さ行ぐで」

 この土地を出たくてたまらなかった。男女問わず、自分を「わぁ」で済ますことのできる曖昧さが怖かった。あたしが「おれ」であることを、誰も知らないところへ行きたかった。

 そうしておれは、東京の大学を選んだ。
 上京してすぐ、髪をベリーショートにした。
 たったそれだけのことで、地元にいた頃の鬱憤が嘘のように晴れていくのを感じた。

 大学のヤツらは、おれのことをごく普通に受け入れてくれた。いや、陰口の一つや二つは叩かれていたかもしれないが──表立って言わない程度には、みんなオトナだった。

 身の回りが落ち着き、大学生として実感がようやく持てるようになった7月頃。

 カズフミと初めて話したのは、そんな時期のことだったのだ。

***

 入ったサークルの、飲み会の席だった。

「よぉハチノヘ、おまえ九州出身だってー?」
「ええ、福岡ですけど」

 そんな会話がすぐ横から聞こえてきて、おれは何気なく振り向いた。ハチノヘ、という新入生がいることは知っていた。おれの出身県では名の知れた市名──八戸と同じとあって、印象に残ってもいたのだと思う。

 そのハチノヘに、上級生が絡んでいた。

「なぁ、博多弁しゃべってくれよー」
「無理です、俺んとこ筑後弁なんで」

「あー? じゃあそのチクゴベンってやつで」
「今は無理です、頭が都民モードなんで」

「んじゃ酒くらい付き合えよ、九州男児だろ?」
「無理です、ウチの家系みんな弱いんで」

「いやいやできるって、飲みゃ慣れるって」
「──あぁ、しゃーしかぁ」

「は? なんだって?」
「シャーペンの芯を買うの忘れてたなーって」

 一連の会話は、そこで唐突に途切れた。
 その先輩が、他の上級生に呼ばれたからだ。

 先輩が去るのを見計らって、おれは尋ねた。

「今のさ、ホントはなんて言ったんだ?」

「『うるせーな』って。地元の方言でさ」

 悪びれる様子もなく、彼はあっさりと言った。それが無性におかしくて、同時に親近感も湧いた。方言ネタを聞いた影響も、だいぶ大きかったと思う。

「それが筑後弁ってやつ?」

「うん、博多でもそう言うらしいけどね」

「博多弁喋れるんじゃねーか!」

「そういう『共通語』もあるんだよ」

「まぁ分かるよ……おれ青森なんだけどさ、青森弁のなかにも『津軽弁』と『南部弁』があるし」

「へー、青森もそうなんだ? ……さっきの先輩みたいなさ、方言で喋れって絡み、わりかしキツいよね」

「だから!」

「……あとさ、ご当地名物が好きって前提で話されるのもカンベンしてほしいんだよ。俺、明太子とかわりと苦手で、あの食感とか」

「だから!! おれもリンゴあんま好きじゃなくてさ〜」

 ふいに、微妙な空気が流れた。この空気には覚えがあった。大学に入学してから、何度もこんな雰囲気になったことがある。

「……ところでさ、タカハシ」

 おずおずといった調子で、カズフミが口を開いた。

「その『だから』ってやつ、方言なの?」

「えっ?」

 そこでようやく、おれは「だから」が誤解されていることを知ったのだった。なるほど、どうりで同期たちが微妙な表情を浮かべていたわけだ。

 おれの地元で言う「だから」は東京で言うところの「それな」と似たようなもので、決して「だから何?」とケンカを売っているわけじゃない……。

 そんな趣旨のことをおれが必死に説明すると、カズフミはぶふっと盛大に吹き出した。

「あーね、そういうことね! 俺めっちゃ誤解してたわ、タカハシすっげー怖ぇなって思ってたけど……なんだなんだ、そういうことなぁ」

 ──そこからは、カズフミと仲良くなるのに時間はかからなかった。

 もともと同じ学部でもあったし、被っている講義もけっこうあって、ほとんどの時間をカズフミと過ごすようになった。お互いに、そして周囲からも「仲良し二人組」と認められるくらいには深い間柄になっていた。

 だからこそ、なのかもしれない。
 おれはカズフミの気持ちに気づかなかった。
 一年の冬に、告られるまでは。

 “ひととして好きなんだ”
 “男でも女でもなくてさ”
 “俺と付き合ってほしいんだ”
 
 そのとき、おれはなんと答えたか。
 忘れてはいない。このさきも忘れはしない。

 “おれも、人としては大好きだよ”
 “でも、ごめん”

 おれが、今日まさに言われた台詞を──
 あの日のおれは、言い放ったのだから。

 “おまえのこと、そういう目で見れないんだ”

***

 ぱきん、と。
 口に含んだ氷を噛み砕いて、おれは問う。

 ──ねぇ、神様。

 どうして、心と体を同じにしてくれなかったんですか?

 なんで、違いに気づいてしまう程度の賢さしか与えてくれなかったんですか?

 だったらさ、せめて。

 この男の子と、同じ場所に生まれさせてくれても良かったんじゃないですか?

「……もっと早ぐ、おめに会いだがった」

 だから、こぼさずにはいられなかった。

「もしおめが幼なじみだっただば」

 おれがまだ、「あたし」だった頃ならばと。

「したっきゃきっと……いや間違いなぐ『彼女』になれてたはずだべや……」

 視界がにじむ。
 音もなく、涙が頬をつたっていく。
 声が漏れそうになって、唇を噛みしめた。

 沈黙が降りかけた刹那、声がした。

「幼なじみ、か。そりゃ夢のある話やね」

 けどさ、とカズフミはつづけた。

「俺としては、ハジメと幼なじみじゃなくてよかったって思うったい」

「……どうせ長続きしねがったから、って?」

「そうやなくてさ」

 どこか寂しそうに、彼は笑った。

「子供の頃からの付き合いやったら──そもそも友達にすらなれんかったって思うけんが」

 付き合っているか、そうでないか。
 小学生の頃から、その二択だった。
 好きな相手に対しては、そういう接し方しかできなかった、とカズフミは言った。

「いきなり告ってフラれても、付き合って別れてもおんなじたい。『友達として』って言われたってん、そげな目で見たことないっちゃもん、どげんしていいか分からんで……そのまま疎遠になっておしまいよ」

 昔の俺はそげんやった。
 でも、今の俺はそうやなか。

 好きな人と友達から始めることも、
 また友達としてやり直せることも、
 おまえに会って、初めて分かったたい。

 だけんさ──

 けふん、と咳払いをして、カズフミは微笑んだ。

「だからさ、俺は……ハジメとは大学で会えて良かったって、そう思ってるよ」

「……そっか」

 ──ありがとう。

 心のなかで、そっとつぶやいておく。
 いつの間にか、涙は薄く乾いていて。
 明瞭になった視界で、気付いたことが一つ。

 山盛りになったフライドポテトが、忽然と消えていた。いや、それだけじゃない。鶏唐揚げ、それから焼き鳥の盛り合わせ──極めつけには、ちびちびつまもうと思っていたお通しのキャベツすら跡形もなく消えているのだった。

「ちょ……おま、どんだけ……」

「また頼めばいいじゃんか」

「……そういや今日って奢ってくれんの?」

「いや、平等にワリカンだけど?」

「不平等じゃん! おまえばっか食ってさ!」

「俺食う、おまえ飲む、平等じゃん……つーか今時点でハジメのほうが単価高いし、支払いで損するの俺のほうだよ」

「ちくしょう俺もめっちゃメシ頼んでやる……」

「うんうん、そうしなよ」

 笑って、旨そうにコーラを飲むカズフミだった。ここまで一滴たりとも飲んでないくせに、その横顔はどこか赤みを帯びている。

 すっかり酔いの抜けたおれだって、赤くなっているのかもしれない。たぶん、同じくらいに。あるいは、それ以上に。

 指を組んで、額を乗せて、おれはこれ見よがしに溜息をついてみせる。そしてそのまま、ひそかに祈った。

 ねぇ神様、もういいよ。

 あんたを許してやるからさ。このさきおれに彼女ができなくたって、なんど自分を嫌いたくなったって、もう責めやしないからさ。

 だから最後に、一つだけ。
 せめて、この男の子とだけは……
 ずっと、友達でいさせてください。

 ──組んだ指を、そっとほどいて。

 おれは店員を呼ぶべく、メニュー片手に手を高く挙げた。


<了>


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蜂八 憲
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