部分月食の牡牛座満月に自分の影に嫌気が差した話
わたしは、強い人だと思われがちだ。でも実際は強くない。笑
強い人なんてこの世にいるのだろうかと思ったりもする。
前に、死んだ母親がどんな人だったのか教えて欲しいと言われたとき「強いひとです」と答えて、絶句されたことがある。
それでも、母が強かったとは思えない。強いフリをしないとわたしを育てられなかったのだと思う。
先日迎えたほぼ皆既月食の牡牛座満月。
ちょうど部分月食の時間帯に外に出る用事があって外を歩いていたら、月の写真を撮ったり、欠けていく様子を見ている人がいた。
チラ見しながら通り過ぎ、用が終わってまた外に出た時は月が半月に戻る手前だった。
この日、無性に寂しいなぁと感じた。
孤独には小さいころから慣れているはずなのに、無性に寂しかった。
人と人は出会ってもいつか別れるという当然のことを考えて、本当の本当にひとりっきりになった時に、わたしはどうしているのだろうかと思うと泣きたくなった。
叔母を見送ったからそう思ったのか、単純に孤独を感じてそう思ったのかはわからない。
時代も人もわたしも変化し続ける。
当たり前のことなのに、自分が置いていかれるような気がして、自分が今後、誰にも認識されなくなったとしたら、どんな気分になるのだろうと想像すると、誰でもいいから手を握って欲しいとすら思った。
同時に、こんな最低の人間はひとり苦しんで死んで行けばいいんだよという、ふてくされた自分の影を見てしまった。
一度手に入れたものを手放すことができないくせに、心の隙間を新しいもので埋めようとしている自分も見えた。
自分が置いていかれないように、自分自身を取り繕っているような気がした。
本当は寂しいのに、寂しいと言えなかった幼い頃の自分を見ているようだった。
寂しくて泣いていても、その理由を聞かれるまでもなく、泣いていることを咎められていた幼い頃のわたしだった。
幼い頃のわたしは、耐えることしかできなかった。太陽の、つまり表の顔をひっぱり出して、月の顔を見えないところに押し込めるしかできなかった。
今も、そうなのかもしれない。
もう人生の終わりの方が近い年齢なのに、今でも変わってないのかと愕然としてしまうが、誰にどう見せたらいいのやら、さっぱり検討もつかないのだ。
でも、これが鑑定を依頼してくださる方々への共感力へとつながっているという自覚はある。
だったらこのままでいいのか…。
まだ結論は出ていない(そもそも結論なんてものは必要ないのかもしれない)。
少し前に、身近な人のたった一言にすごく落ち込んでしまうことがあって、そのときも自分の月を癒せてないなと感じた。
太陽と月が150度で関わっているからかもしれない。
同じ人いたら、話したい。どんな感じか聞かせて欲しい。
個人的には、結構疲れると思っている。笑
今週末は、乙女座で下弦の月を迎えるよ。
それではまたね。