笑顔で最期をむかえたい

突然だけど、いま、田舎の郊外で全く人に懐いていないけれど、ずっと鳴いている猫3匹と一緒にバスを待ってる。

14:53の次のバスがなんと16:13なのだ。
葬儀のついでにお墓参りに来たのだけど郊外すぎてバスの本数が少ない。
暇で仕方ないし、日が傾いてきて寒い。


11月10日に、大好きな叔母が天国へと旅立った。

「何かあっても延命はしない。お医者さんの見立てでは、ひと月かふた月もつかどうか」と聞いてから、5日経った早朝に静かに息を引き取ったと連絡があった。

事前の連絡では、火葬して遺骨の状態で菩提寺へ行き家族葬にして納骨も済ませるという話だったので、わたしはお別れもできないのかと悲しい気持ちで居たのだけれど、葬儀は火葬後にするが葬儀場でお別れできるということだった。

急いで諸々の仕事を終わらせて、仮眠を取ったあと、翌日の6時前に家を出て福岡へ向かった。


洋裁をしていた叔母は、かわいらしいものが大好きな魚座。
女の子の孫が生まれた時に、レースのフリフリした洋服を着せたいとニコニコして語っていた。

葬儀場に着くと、叔母はピンクの布に花の刺繍が入った棺桶に安らかな顔で眠っていた。
内側にフリフリのレースがつけてある細部までかわいらしい棺桶で、中で眠る叔母はまるでお姫さまのようだった。

叔母の好みなど知らなかったハズの従兄は、葬儀を質素にする代わりに、送り出す棺桶をグレードアップしたと言っていた。

遺影の中の叔母は、右手をあげて優しい笑顔をこちらにむけていた。
みんなが思わず手を振り返してしまうほどに自然で、みんながその笑顔で笑顔になるような遺影だった。

通っていたデイサービスのお誕生日祝いにスタッフのみなさんから贈られた色紙には「私も〇〇さんのようにお上品で笑顔の素敵なおばあちゃんになりたいです」と書いてあった。
何人ものスタッフの方が、笑顔について書いてくれていた。

小さい頃は、父親(わたしの祖父)の家庭内暴力に耐え、高校生のときに母(わたしの祖母)と姉(わたしの母)と女3人で家を飛び出して、一家を支える姉(わたしの母)に迷惑をかけるまいと周りにすすめられるままに嫁ぎ、姑や小姑のイビリに耐え続け、夫の暴言に耐え、息子の家出や暴力に耐えていた。

改めて叔母のチャートを見ると、魚座の太陽に土星がぴったりと重なり、海王星とオポジション。そこにカイロン(キロン)がスクエアでTスクエアだった。自分を表に出さず、ひたすら犠牲となって耐えるような運命だったのかもしれない。

そんな人があんな笑顔で居られるなんて。

菩薩さまのような人だと思う。

わたしの母はとても厳しかったので、幼い頃のわたしは、母よりも叔母の方が好きだった。

叔母の子どもに間違えられるとちょっと嬉しかった。

大人になってからも、帰省のたびに会いに行っていた。

喫茶店に連れていくと、フルーツののったケーキを嬉しそうに食べる叔母が愛おしくてたまらなかった。

おそらく家族の誰よりも姪であるわたしが話を聞いていて、わたしの母亡き後は、わたしが叔母の一番の味方だった。


認知症になってから、長男と一緒に東京に出て来て浅草に一緒に行って、うちに泊まったときに一緒にフキの皮をむいて料理した。

わたしの名前は覚えてなくても、住んでるところに遊びにいくと泣いて喜んでくれた。

もう会えないんだなーと思うとさみしい。

自分に近い人が亡くなるたびに、自分の欠片がなくなってぽかんと空間があいたような感じがする。

わたしも叔母のように笑顔でいられるおばあちゃんになりたい。笑顔で最期を迎えたい。


来週のムードはこちらをどうぞ。


新しくブラックムーン・リリス鑑定をはじめたじょ。


新しい鑑定をスタートするにあたり、ショップを移転したのでそちらの案内もどうぞ。


ブラックムーン・リリスの鑑定については、また改めてnoteを書こうと思ってるところ。

じゃ、まったねん。


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ほしの恭世
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