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神様の歓迎サイン

神社、神道の考え方からして、
私が、神様に不敬なことだなぁと思うことを
まとめます。
どれもわからないでもないのですが、考え方、
神道の観念として間違えてると
現職の神主として思うことです。
神社を、お守りする。

神社のおもりをする

神様にお守り頂いてるのは我々のほうで
この当たり前の本末を忘れてしまったとき
人は傲慢になり大切なこと「信」を見失うように思います。
神様の歓迎サイン

神社の神様にサインはありません。
神道の神事の基本と本質は神様への歓待にあります。つまり、歓迎しなければならないのは
我々のほうで、神様に我々を歓迎してもらうなど思い上がってはならないと思います。
よく、無風なのに紙垂が動いたら神様の歓迎サインとかいいますが、紙垂が動くのは風で動くのです。中と外の気温の違いです。小学生で習うはずです。
あなたが来ても来なくても風は吹くものです。
願い事をしてはだめ

願いごとをするために先人たちが神社を建立したのです。未来永劫と子孫たちがこの地で祈る願いを聞いてくださいという
切実な願いで立てられたものが神社です。
神様と相性が悪い

相性の悪い神社

相性が悪いと感じるよりも
あなたが神様に合わせなければならない
普段の心がけに気を付けるべきです。
神様は「御神徳洽し」ごしんとくあまねしと申してどんな人へも神様の御利益はあるのです。
わたしからしたら
不敬極まりないなと感じてしまいます。
参拝客

参拝者

お客様って(笑)いいません。
思い当たるところはまだありますが。
神様に救ってもらいたい
神様と、通じたい!
という
切実な思いが溢れてくることはわかります。
しかし
神道はひたすら
ただただ
ひたすらに
朝にお供えをして拝し(おまいり)
自分のなすべきこを(仕事)に勤め
自分のため家族のため
または人々に尽くして
右のものを右として
左のものを左として
常に清浄を心がけ
清浄とは
正しい事を清浄として
邪(よこしま)な行いを穢れとして
または
心と身体の清浄をも心がけて
夕には感謝とともに眠る。
この生活そのものが
神道の修行であり、
そうした
人としてのあたりまえの
生き方こそが神道なのです。
今日は神様のおはなしでした。


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誠徳
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