地域の馬力は、シビックプライド。広告・プロモーションマン対談|野澤×北原×中村
多彩なメンバーが在籍する8Peaks。今回はプロモーションやまちづくりの分野に携わる3名が集まり、八ヶ岳エリアの魅力発信についてそれぞれが考える戦略と意義を語り合った。
サラリーマンじゃない生き方をしてみたい
−今回は「八ヶ岳エリアにおける広告戦略」を語る会ということで、簡単にみなさんの自己紹介からお願いします。まずは野澤さんから。
野澤:大学進学を機に地元の諏訪から上京して、JTBグループの広告代理店に新卒で入社しました。それから6年半働いた後にUターンして、親父が創業した広告会社「株式会社エース企画」を継いで今にいたります。
−ずっと広告畑なんですね。
野澤:とにかく地元を出たくて県外の大学に行ってはみたものの、就職活動の時期が始まってもやりたいことが全くなかったんですよ。ゼミの先生に「野澤は何するの?」って聞かれても、「できれば主夫になりたいです」って答えるくらい。でも地元には戻りたくなかったので、東京の会社に100社ほど片っ端からエントリーして、内定をもらった中で一番興味を持てたのが広告代理店でした。それで親父に話したら「お前、バカか?」と。「こんな厳しい業界に何でわざわざ行くんだ」って。まあ気にしないで入社したんですけど、しばらくして、そういうことかと。
−お父さんの言わんとしていたことがわかったんですね。
野澤:それでも一生懸命やっていたんですけど、ある時、親父と酒を飲んでいたら「お前はサラリーマンだからいいよな。適当にやっていても給料がもらえる。経営者はそうはいかないからな」って言われて、すごく悔しくて。だったら営業成績でトップになってやろうと思って、より一層力が入るようになりました。
−地元に戻ったきっかけは何だったんですか?
野澤:もともと親父は僕に自分の会社を継がせる気はなかったんですよ。でもだんだん経営状況が厳しくなってきて、やっぱり戻ってきてくれないかと。僕自身うまくいっていたし、東京にいるのが楽しかったから、最初はずっと断り続けていました。そのうちに営業成績トップの目標が達成できて、自分の中で一区切りついた時にふと、サラリーマンじゃない生き方をしてみるのも面白いかもなって思っちゃったんですよね。
−思っちゃったんですか(笑)。
野澤:思っちゃった。間違えちゃった(笑)?それでUターンすることを決めて嫁に話しました。嫁は高校の同級生なので、地元に戻るのを喜ぶと思ったら「あなただけ単身赴任してください」と(笑)。え〜意味わかんないとか思いながらも一緒に戻ったら、リーマン・ショックでさらに経営が苦しくなって…。今も立て直しつつ、頑張っている最中です。
−波乱万丈ですね…。エース企画が創業したのはいつですか?
野澤:1972年です。長野県内でも3番目に古い広告会社で、基本的には諏訪の6市町村をメインに、昔からのお客さまとのお付き合いも続けながら地域密着型でやっています。例えば富士見町の「富士見パノラマリゾート」のプロモーション全般には、長い間携わっています。プラス、東京での経験を活かした新規開拓も行っていて、最近では広告制作だけでなく、プロジェクトのディレクションなども手がけるようになりました。
「元気なまち」をつくるために
−では次に北原さんの自己紹介をお願いします。
北原:茅野市にある1992年創業の建築会社「株式会社イマージ」の2代目です。商業施設などの店舗設計をメインに、ここ10年ほどはブランディングにも力を入れていて、ほとんどの案件を企画書から一緒に書かせていただいています。コンセプトやアイデンティティを決めて空間に落とし込むところから、設計・施工、販促物のデザインまでワンストップで手がけるスタイルです。ちなみに僕も大学進学で上京して、親父の後を継ぐ気で建築を学んだんですけど、在学中は全然面白いと思えなくて、一時期バンドに走りました。
−バンドでは何担当だったんですか?
北原:ドラムです。バンドやってバイト行って授業行って、とにかく音楽漬けの学生生活でしたね。当時のバイトが社交ダンスホールでダンスを踊るっていうやつだったので、ジャイヴとかワルツとかチャチャチャとか全部踊れますよ。
一同:すご〜い!
野澤:ドラム叩いてからのチャチャチャとか見たい!
中村:多才だな〜(笑)。
北原:(笑)。結局そのまま就職せず、大学を卒業してからもバンド活動に励んで、インディーズでCDを出して全国を回ったりもしました。当時は親父も特に干渉することはなく、「やりたいことをやれ」と言ってくれていましたね。それで2年間みっちりやって、東京で少し働いて、親父の後を継ぐために地元に戻りました。
−Uターンの決め手は?
北原:「元気なまち」といううちの企業理念に惹かれたのが一番ですね。親父が掲げた理念なんですけど、僕も茅野市というまちが本当に好きなんですよ。うちのメインは商業施設なので、松本市とか長野市とか、需要の多い都市部に事務所を構えた方がいいんじゃないかという話もあったんですけど、自分のまちを活性化していきたいという思いが強かったので、拠点は変えませんでした。今となってはそれでよかったと思っています。「元気なまち」と言い続けていたからこそ、こうして8Peaksの仲間にも出会えたのかなって。
ローカルプロモーションの本質
−では中村さん、自己紹介をお願いします。
中村:僕は原村出身で、お二人と同じく大学進学で上京して、東京でweb関係の仕事をしながら実績を積みました。2016年に地元で「合同会社ヤツガタケシゴトニン」を立ち上げて、今はwebサイトの企画・制作やイベント運営など、地域のプロモーションに関わることをやっています。最近だと「諏訪神仏プロジェクト」のプロモーションに携わって、色んな気づきを得ましたね。
−「諏訪神仏プロジェクト」とは?
中村:昔、諏訪大社の横に神宮寺というお寺があって、神さまも仏さまも同じ信仰の対象として地域の人々に大切にされていたんですけど、明治時代に出た「神仏判然令」によって神宮寺が破却されたんですね。そこで檀家さんたちが仏像などの宝物を諏訪じゅうのお寺に分散して隠したっていう歴史があって、秘密裏にずっと守られてきた宝物を150年ぶりに一斉公開したのが今回のプロジェクトです。
−そこでどんな気づきを得たのでしょうか?
中村:今回のプロジェクトを一番喜んでくださったのって、檀家さんだったんですよ。自分のお寺やご住職が取り上げられることに対して僕らにすごく感謝してくれて、年配の方が多いのにSNSでも拡散してくださって。もちろん喜んでほしいとは思っていましたけど、そこまで意図していたものではなかったので、あれは初めての感覚でしたね。このプロジェクトを一番望んでいたのは、もしかしたら檀家さんだったのかなって。
プロモーション=認知度を上げるためっていうイメージがあると思うんですけど、地方におけるプロモーションはちょっとベクトルが違って、地域の人々の潜在的なシビックプライドを掘り起こす作業として置き換えた方が、より本質的なのではということに気づきました。
−なるほど。みなさん東京と地方での仕事を両方経験されていますが、どんなところに違いを感じますか?
野澤:やる仕事としては東京も地方も一緒なんですけど、取り組む姿勢が違うというか。地方の中小企業ってそんなに広告に予算を割けないから、東京と同じことをしてもゼロの数が二つくらい違うんですよ。だからお互いにビジネスとして成立させるためには、広告でただ何かを伝えるのではなく、その広告を通してお客さまが儲かるための仕組みを一緒に考えていく必要があると思います。
中村:東京の仕事って仕様が決まっていることが多いんですよ。こうしたいからここを制作してくれという感じで、僕のミッションも最初から明確なんですね。相手側が自分たちで企画できるからアイデアを求められることもないし、一部の仕事をこなすプロフェッショナル的な立ち位置になることが多い。地方は真逆で、求める結果にたどり着くためにはどうしたらいい?ってところからスタートするので、僕は企画屋でもあるしエンジニアでもあるし、運用まで考えてPDCAを回す役割を担うことになる。
−北原さんが言われていた「ブランディングから建築を考える」というスタンスにも共通していますね。
北原:そうですね。うちは親父の代から茅野駅周辺の商業の活性化をずっと考えてきて、最初は空き店舗の看板を出して仲介しようとしたんですけど、なかなか入ってくれるテナントさんがいなかったんですよ。なので1年に1店舗ずつ、自社の直営店を出して埋めていきました。馬肉屋さんだったり、スポーツジムだったり、ライブハウスだったり、パン屋さんだったり。だんだんハチャメチャな感じになっていったんですけど。
中村:もう駅前は完全にイマージさんが地主みたいになっていますよね(笑)。
北原:そうなんです(笑)。でも好循環もあって、直営店を出すことによって店舗経営の痛みや喜びも知れたので、オーナーさんに寄り添った提案ができるようになりました。その経験がブランディング力の強化にもつながったと思います。
中村:あと東京との違いで、八ヶ岳エリアの特性として強く感じるのは、外からの評価が内部評価につながりやすいところ。「諏訪神仏プロジェクト」でもそうなんですけど、例えばテレビ局からいい評価をもらえると、中の人たちも、あ、いいんだって思ってくれるみたいな。
−お墨付きが必要なんですね。内側にいると、身近すぎて素晴らしさに気づけないというのもあるのでしょうか?
中村:それもあるかもしれません。だから僕は結構、外向きの意識で仕事をするようにはしています。
野澤:僕もその地域性はすごく感じます。ただ一番の馬力になるのはやっぱり中の人のシビックプライドだと思うので、そこを育てながら外に出すというのが理想の形ですよね。
北原:まさにそうで、「元気なまち」って色んな捉え方があって、駅前にたくさんお店があれば元気なのか、移住者が多ければ元気なのか、ここ数年悶々と考えてきたんですよね。それで行き着いたのが、地域の人たちが地元に誇りを持てるかどうかだなって。みなさんのお店づくりをお手伝いしていると、地域の人たちができあがるのをすごく楽しみにしてくれているのを感じるんですよ。何となく、まちがザワザワしている感じ。このザワザワが続いていけば日々の生活にも希望があふれてくるし、いずれはその熱が外に出て行って、地域外への魅力の発信にもつながるんじゃないかなと思います。
「人」こそが八ヶ岳エリアの魅力
−みなさんが思う八ヶ岳エリアの魅力は何ですか?
野澤:「人」ですね。「中村洋平」はここにしかいないし、「北原友」はここにしかいないし、小さなことですけど、人の魅力がぎゅっと集まっている。僕はもともと地元に魅力を感じていなかったし、自分でUターンするって決めたくせに、最初の頃はネオン街が恋しくて、もう後ろ髪引かれすぎてちぎれてハゲるくらいの感じだったんですけど(笑)、8Peaksのメンバーや色んな人たちと出会って、いい地域なんだなって改めて感じることができたんですよね。Uターンしたことによって、僕のシビックプライドも掘り起こされたんだと思います。今では「すげえ面白い人たちがいるから来てみてよ」って東京時代の仲間にも声をかけるようになりましたし、同じことを地域の中の人が大なり小なり感じてくれれば、それって最高のプロモーションになりますよね。
北原:僕も「人」だと思います。この地域にはシャイな人が多いって外からは思われているらしいんですけど、みんなキャラが濃くて個性豊かだし、団結力も強い。地域内外での交流がもっと活発になっていけば、これから面白いことが増えていく気がします。
−人、人ときて、最後、中村さんはどうですか?
中村:え〜!ムズい〜(笑)!けど、僕がこっちに戻ってきて思うのは、何だかんだ言ってみんな地元が好きなんだなって。地域のことを真剣に考えて、どうにかしようってみんなが頑張っているから、東京にいたら絶対に交わらないような人たちとも共通言語が生まれる。それが自分にとってはすごく居心地がいいし、次の子どもたちの世代にもこういう関係性が続いていけば、より魅力的な地域になっていくんじゃないかなと思います。
野澤:うまく締めたね!
一同:(笑)。