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熊野で徐福を思う旅

大まかな移動時間と滞在時間

2024/10/15 レンタカーで移動

新宮駅
↓ 40分
産田神社 (5分)
↓ 20分
花の窟神社 (20分)
↓ (40分)
波田須の徐福の宮を眺める  (5分)
↓ (90分)
熊野本宮大社 (90分)
産田社
大斎原
↓ (60分)
熊野速玉大社(60分 例大祭の一部を見学)
神倉神社(30分)
↓ (10分)
阿須賀神社(5分)
↓(10分)
新宮駅

熊野那智大社は時間の関係で行けなかった。
熊野三山めぐりだけなら、車で一日で周れそう。
速玉大神=伊邪那岐=徐福
夫須美大神=伊邪那美=徐福の妻
ではないかと想像して堪能する旅なので、三山めぐりには固執しない。

産田神社

産田神社がカーナビで候補に出てこなかったので、方向音痴で地図を見て自力で行くのは嫌なので行くのを諦めかけたけど、車を走らせていたら案内看板が出てきて、それに従ったらすんなり着いた。

弥生時代から祭祀が行われていたという所が、徐福の時代に重なると思い訪れたが、神籬は囲いで見ることは出来なかった。
御朱印が書置きで置いてあって、その横に置いてある筆ペンで自分で訪れた日にちを入れて拝領する形式。
産田神社の御朱印は花の磐神社で手書きで頂ける。

花の窟神社

産田神社が伊弉冉尊が軻遇突智尊を産んだ所で、花の窟が軻遇突智尊を産んで亡くなった伊弉冉尊が埋葬された場所。
伊弉冉=徐福の妻は産褥で亡くなったのか?

手水舎の横に丸石がある

すごく大きな丸石。
熊野には祀られている丸石があちこちにあるらしい。

窟は物凄く大きな岩でうまく全景を撮れなかった。

ここで産田神社の手書きの御朱印を頂けるのがわかり、手書きも頂くか迷ったけど、現地での物を優先しようと思い花の窟神社の御朱印だけ頂いた。

波田須の徐福の宮

徐福が上陸した伝説のある徐福の宮。
カーナビに案内されてたどり着いたのは物凄い絶景。
鳥居のあるところが徐福の宮らしい。
あそこまで下りる道はあったけど、細い道で車で行ける気がせず、歩いていくには勾配と距離が厳しい感じだったので眺めて終わり。
ちなみに熊野には、ここ以外にも徐福が上陸したと言われているところがある。

この先に神武天皇が上陸したと言われている所があるけど、今回は徐福を思う旅なので行かない。
いつか神武東征を辿る旅もしたい。

熊野本宮大社 産田社 大斎原

徐福の宮から熊野本宮大社まで高速を使うと時短になるんだけど、使わない道路の方が徐福が通ったかもしれない道に近いかもと思い高速を使わず移動。
そして、徐福が通ったかもしれないのは熊野古道の方だなと思った。
ただ、道路が川沿いを通っている所が多く、かつ川原が広いので、川を船で移動、もしくは川原を移動はあったかもしれないと思った。

言わずもがな熊野本宮大社
菊花紋章どーん!
産田社
大鳥居

実は熊野本宮大社に来るのは二度目。
前来た時も思ったけど、大鳥居の異世界感がスゴイ。
熊野本宮大社は全体的に異世界感が強くてとてもとても好き。
素晴らしい。

もうでそば

熊野本宮大社に参る前にもうでそばを頂きました。
柚子が効いていておいしかった。

熊野速玉大社 神倉神社


言わずもがな熊野速玉大社

熊野速玉大社は例大祭で駐車場が満車で、臨時駐車場になっていた川原に車を留める。
ここは熊野本宮大社と違い初めて来た。
熊野本宮大社同様、大勢の神様が祀ってあって、順にご挨拶する。
御朱印を頂く前に神倉神社に向かう。

神倉神社入口
ゴトビキ岩

物凄く急な石段を黙々と登るとゴトビキ岩がある。
熊野速玉大社に何々上皇が何回来た、みたいな石碑があるけど、平安後期、ゴトビキ岩のまわりに拝殿があって、そこに後鳥羽上皇らは来ていたそうだ。
白玉が敷き詰められているところがあるらしいけど、立ち入り禁止になってた先だったのかな?
山育ちでこういう所に慣れてる足で、入口からゴトビキ岩まで行って下りて戻るまで30分~40分ぐらい。

物凄く急な神倉神社の石段

再び熊野速玉大社に戻ると、祭りの行列にちょうどよく遭遇

地元民じゃないし、次に阿須賀神社にいくつもりだったので移動するかどうか迷っていたら、馬が来るよと祭りの方が言っていたので、動物好きの私は見学を決意。

芦毛のお馬さんだ、かわいい!

神職の方がお馬さんを抑えてる?

奥から神様が出てきて
神馬にお乗りになられます
神様が乗っています

熊野速玉大社のお祭りとしては御船祭がメインで、御船祭に比べると神馬御渡式は人の集まりが少ないらしい。
御船祭は熊野を出てるので見れない……旅行の行程をもうちょっと考えればよかった。

阿須賀神社

ここも徐福上陸の伝説がある。
御朱印を頂こうとしたらお祭りで書置きです、と、日付なしの書置き御朱印を渡された。
ふふふ、レアもの……
と思いつつ、そしらぬ顔でそのまま受け取った。
熊野速玉大社の神馬は、神様を乗せて阿須賀神社に来たらしい。
神様が神馬に乗って熊野速玉大社から阿須賀神社に帰って来るんだそうだ。
意味深……
阿須賀神社裏に蓬莱山という小さな山があって、そこは昔は島だったらしい。
最初に島に上陸した徐福が、熊野速玉大社の辺りに居を移して……とか色々想像できて美味しい。

今回の旅は徐福上陸時を想像したり、速玉大神=徐福を堪能する旅だったんだけど、熊野速玉大社と神倉神社と阿須賀神社の繋がりが見えて面白かった。
気が向いたらもう少し詳しくまとめるかも。

熊野と東京の豊島氏

東京都豊島区の名前の由来になっている豊島氏が熊野の神様を勧請した関係で、東京区部の北の方に熊野の地名が移されている。
豊島区だけではなく、北区、練馬区等広い豊島氏の領地内で熊野の影響を探すと面白い、かーもね。

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