REIWA詩人パーフェクトFile③夢沢那智(无、もとこ)
※「月刊 新次元」第33号(2020年2月)に掲載された記事の再掲です
再掲の際に一部を修正していることがあります
https://gshinjigen.exblog.jp/28869152/
http://geijutushinjigen.web.fc2.com/33watanabe.pdf
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一口に詩人と言えど、活動している場は多種多様です。『現代詩手帖』や『詩と思想』などの商業雑誌の常連である詩人、いわゆる詩誌と呼ばれる同人誌に作品を掲載している詩人、インターネット上で展開している詩人、ポエトリーリーディングとしてライブを繰り返している詩人……しかし、なにもどれか一つに絞る必要は無い。第3回である今回は紙媒体とインターネットの両輪で活動している夢沢那智(无)氏を紹介しますね。
その詩人は「夢沢那智」と「无」そして「もとこ」という三つの名を持っています。夢沢は主に紙媒体、後二つはインターネットでの筆名です。わかる人にはわかる例えをすれば前山田健一とヒャダインみたいなやつっす。夢沢那智名義の詩は『詩と思想』にもたびたび掲載されているので、聞き覚えがある方もいるでしょう。実は彼、南日本新聞の新春文芸にて詩と短歌のダブル一席取得を果たしました。ちなみに詩のほうの選者はあの三角みづ紀です。これがね、今回取り上げることにしたきっかけなんですよ。短歌にも取り組んでいる詩人は少なくないが、両方にて結果を出している人は稀で、さらにそれがまったく同じタイミングでというのは史上初でしょう。
夢沢氏から許可をもらっていますので、まずは一席を取得した詩と短歌を引用しましょう。
つづいて短歌です。
元旦の参道をゆく子供たちを淡々と表す詩、そして積み重ねられた時をレコードにしてその音を聞くというメルヘンな短歌、これらから受ける印象は柔和なものでしょう。それはたしかに夢沢氏の一つの側面でしょうが、逆を言えば一つでしかない。名前が複数あるように、夢沢氏の詩も非常に幅が広い。たとえば无名義でネット詩投稿サイト「文学極道」に投稿された詩「のんちゃんの映画を観たんだ」を提示します。
やわらかな口調ながらもその内容は棘がある。ここでの「のんちゃん」は旧名能年玲奈、現「のん」のことであり、映画とはズバリ2016年に公開され大ヒットとなった「この世界の片隅に」です。ちなみに夢沢氏はこの映画ならびに原作漫画の大ファンで、増補版である「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の応援チームでもあります。
新春文芸には新年らしい詩を投稿し、逆にネットではゴリッゴリの筋力にてハイコンテクストな作品を展開している。場を選べる能力が夢沢さんの強みですね。詩人はよく「賞に作風を合わせるのはよくない」と言いがちですが、んなぁことぁなんですよ。だって賞ですから、獲ることこそが目的の場ですから。そこへ合致するようにチューニングするのは立派な技術です。
このコラムを書く前に私が行ったインタビューでも夢沢氏は新春文芸受賞作に関して「『新春文芸なのでおめでたいテーマで』『いかにもな現代詩風に』みたいな条件を頭に叩き込んで」「『无』でも『もとこ』でもない、『夢沢那智』っぽい詩」を書くことに遷延したと答えてくれました。「初詣」がしとやかに詩を書いていく夢沢那智なら「のんちゃんの映画を観たんだ」はまさに、褒め言葉としてのオタクである无による詩です。
じゃあ「もとこ」はどういった詩なのかって思われる方もいるでしょう。実は「无」と「もとこ」で書かれる詩の方向性は変わりません。「もとこ」は夢沢氏がいわゆるネカマ、女性という設定のもと詩を展開するとどうなるかという試みのもとでの名義です。夢沢氏は以前より、詩の評価へ詩人の年齢や性別が影響してくることへ懐疑的で、それへ抗うためにあえて自身の性別と逆のものを演じたとか。実際、過去の文学極道では「もとこさんの詩はいつも女性らしい視点からの詩で好きでした」なんてコメントが寄せられていたりもします。相手の顔が見えない、文字ベースでの付き合いだからこその試みです
ところ変われば評価が変わる、さらには性別が変わっても評価が変わる、と、「評価」というものはたとえ文芸作品であっても絶対的なものではありません。そのことに意識しつつ、今日も家族でアニメを楽しまれている夢沢氏は現代の詩人の多くが有せていない(が、絶対持っておくべき)感覚を保持した詩人だといえるでしょう。