【古都奈良への旅/のんびり記事③】~世界もココロもグラデーションでできている~475
こんにちは
八彩理絵子(やいろりえこ)です。
奈良の癒された旅、1日コース
前回、1日コースの最初の目的地である『法隆寺』と『中宮寺』を見学、観覧しお腹も満たし、
さて、今回は午後の部で~す。
<慈光院>
~臨済宗大徳寺派~
慈光院は寛文三年(1663)当地の大名であった片桐石見守貞昌(石洲)が、大徳寺185世玉舟宗璠(大徹明應禅師)を開山に迎え、父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に建立した臨済宗大徳寺派の寺院です。
片桐石洲の説いた茶の教えは武士の間へと広がってゆき、徳川4代将軍の家綱をはじめ各地の大名の多くが学ぶようになって、石洲は茶人としての名を残すこととなりました。
慈光院は境内全体が一つの茶席の風情になるように考えられており、表の門や玄関までの道、座敷や庭園、そして露地を通って小間の席という茶の湯で人を招く場合に必要な場所の一揃えが石洲の演出そのままに残されています。
現在このように一人の茶人の総合的な演出を、360年以上の歳月を越えて眼にすることができるという意味で全国的に見てもたいへん貴重な場所となっております。
こちらの風情のあるゆるい坂をのぼると
茨木門(いばらきもん)
これまた・・・素敵😊
石洲の伯父片桐且元が城主であった摂津茨木の城は、石洲の出生地でもあるが、後に徳川家康の発した一国一城令により取り壊されてしまう。その中の櫓門を貰い受け移築し、屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えて山門とされました。
庭園(史跡及び名勝指定)
書院(国指定重要文化財)から望む庭園
さつき一種類の丸い狩り込みと、数十種類の木々の寄せ植えにした狩り込みを用い、境内の中だけを独立した庭園とするのではなく、周囲の風景・景観と調和するように構成されています。禅寺の庭園にしては石をほとんど用いず、多くの種類の木々を用いた庭にされているのも、茶席の庭として季節ごとの風情を楽しめるようにしたものです。
『おもてなしの心』
「緊張したりしなくていいですよ~無理に正座したりしなくても大丈夫です。ゆったりした気持ちで聴いてください」と柔らか~い雰囲気でお話しが始まりました。
目配り、気配り、心配り
「どうしたらみなさんに喜んでいただけるか 、満足感を感じていただけるか」を常に考え行うことが「おもてなし」であり、最上級の心遣いといわれています。おもてなしについての話をユーモアを交えて話してくださいました。
また、景観や環境は「物質面の豊かさと精神面の豊かさ」に繋がるもの。
近年日本の多くの場所で景観が悪くなったということは、現在の私達日本人は「人間らしいまともな環境で生活できていない」と言えるかと思います。
便利さを望み、物質的な豊かさを求めるほど、「景観」「環境」は私達が本来望んでいるものから大きく離れたものになってしまいます。
本堂
創建当初の本堂については記録はなく判っていない。かなり以前より質素な仮のお堂にご本尊を安置してきた。
現本堂は昭和59年多くの方々のお力によって立派に建立させていただいたお堂です。
雲龍図
本堂内の天井には墨絵の雲龍図が描かれています。本堂建立の祈りに前田青邸門下の入江正巳画伯(1924-2004)に描いていただいたもの。
茶室(三畳)
逆勝手の道安好みの席で「閉茶室」とも呼ばれる。躙り口は無く廊下の貴人口から入る形式となっています。
(国指定重要文化財)
茶室(二畳台目)
点前畳の奥に床の間がある「亭主床」で、片桐石洲の代表的な席。二畳台目の隣にさらに二畳の控えの間を設けることで、使い勝手をかなり考えた席だといえる。尚、全国に現存している茶室の中で、年代・作者・形状等が証明できるものの中では最古の席といわれています。
(国指定重要文化財)
1日お世話になっている奈良観光バス
最後までよろしくお願いしま~す🥰
か・わ・い・い🥰
今回は「慈光院」について書きました。
今日はここまでになります。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
大切なお時間をありがとうございました。
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