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「理不尽」を考える

おはようございます。note、43日目の朝です。
昨日は仕事で、理不尽な理由により叱られたり若干針の筵ぎみだったりしたので、落ち込んでるchiemyです。落ち込みつつ、ふと疑問に思ったのは「私はなぜ、相手の怒りが理不尽だとわかっているのに落ち込んでいるのか?」ということ。理不尽だから、私に大きな非はないわけで、それに対して落ち込んだり反省したり嫌な気持ちになる必要は本来ならまったくないのに、なぜ落ち込でいるのだろう? なぞである。謎というか、アホである。

相手は相手の事情と感情により怒っていて、いわばそれを私に八つ当たりしている。それに対して、本来なら私は、それを受け止める必要などまったくないのに、私は相手の感情を受け止めてしまっていて、受け止めた結果、傷を負ったり落ち込んだりしているのだ。それは私が昔から「自分に向けられた他人の気持ちはすべて受け止める」という癖のもとに動いているからで、この癖を「他人の気持ちは他人のものなのだから、受け止めたくない気持ちは受け止めない」とプログラミング(癖)を書き換えればいいのではないだろうか?

不機嫌を撒き散らしている人は、あれに似てるね。動物園のゴリラ。檻の前に「フンを投げることがあります。注意してください」って看板がついてるタイプのゴリラ。誰だって、ゴリラがフンを投げてきたら、慎重に確実に回避する。上手に逃げる。間違ってもキャッチなどしない。私がしている「落ち込む」って、ゴリラが突然なんの脈絡もなく投げてきたフンを、大事に丁寧にキャッチして、大切に抱きしめているのと一緒なのでは……?(気づいた)

アホである。うんこは大切に抱きしめてはいけない。アホすぎである……!!

これ、みなさん気付いてました?私は今日まで生きてきて、初めて気づきました。びっくりだよ。びっくりだけど気づけてよかった。これ以上落ち込んでても、それはゴリラのフンを抱きしめているのと同じだから、そんなのはさっさと捨てて、今日を楽しむことを始めよう。

あなたの今日がハッピーで溢れますように。そして私の今日が、楽しいことばかり起きる一日になりますように!(上書き保存)朝から変な例え話をしてごめんね。またね!



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