平和について話そう
平和について話そう
というトーク会を行いました。
その日のことを。
苦しみ・悲しみを目の当たりにして
始まりの合図は 私の中のもやもやでした。
ウクライナで起こっていること
苦しむ人々、壊される誰かの故郷
ウクライナでの出来事を機に「戦争反対」と強く表明する人の多さや募金への動きが早いことの素晴らしさ
と反対に
ウクライナ以外で起こっているさまざまな争いや攻撃にはなかなか目を向けられない現実
今も苦しい最中にいる、世界から忘れられている人々の存在
ウクライナの人はwelcomeと表明した日本政府ウクライナの人はwelcomeと表明した日本政府
日本では99%にも満たない難民認定率
苦しい状況で生活せざるを得ない日本在住の外国籍の人
こんな色々を思って苦しい日々が続きました。
そもそも、また戦争が始まってしまったことだけでも苦しいことなのに。
どう捉えたらいいか分からない
誰かと話したい、
話を聞きたいという気持ちが高まり小さな会を開きました。
世界中をつつむ悲しさや苦しみが、世界平和への起爆剤になれば、という小さくて大きな願いを込めて。
と言っても 戦争反対!と叫ぶのは苦手なので
平和について話すことにしました。
バラエティいろいろな参加者
リアル参加の方、
横浜や名古屋からのオンライン参加者も含め9名での開催。
平日の真っ昼間によく時間をあけてくれたと 呼びかけ人ながら感心しました。
それ以上にSNSでの投稿に賛同してくれた声が届きました。ありがたい。
私と同じ もやもや族は一定数いたようです。
参加された方がバラエティ豊かなのも特徴で
赤ちゃん連れの主婦、学生から70代のシニアまで
バックグラウンドも様々な男女が集まってくれました。
参加した思い
・大学の先生に誘われた
・平和について考えるというのがしっくりきた
・自分のキャパシティでは受け止めきれない現実を目の当たりにして、消化できないもやもやがあった
・苦しかったから人と話したかった
・状況が掴めていない
・視野を広げたかった
・どんな発言も、どこかの誰かを傷つけてしまいそうな不安があった
・戦争が始まってからしか止めようとできないのか
・政治と自分の距離を感じる
などなど。
それぞれの立場からの意見は、社会そのものでした。
平和とは
途中参加者さんからの問いかけで「あなたにとっての平和とは」という問いかけもありました。良い問いかけ!ありがとう!
それに対し参加者さんからの声を一部ここに。
・矛盾を見ない状態
・世界中が平和だった時代はかつてなかった。今の時代にサンダーバードがいたらなぁ。
・子どもがご飯を食べられている。笑顔でいる。
・戦がない状態
・異なる常識の中で共存できる状態
・異人種、異文化、異宗教、あらゆるものが違う人と一緒にご飯を食べる瞬間
・自分の未来を自分で選択できる状態
気づき/これからしたいこと
大事なのは、これから自分がどうするか
社会に何を望むかを考えることだと思います。
聞いてみました。
皆さんの声はこちら。
・日本は、平和に対する基準が高いかもしれない
・多角的に物事を見る練習が必要
・やはり最終的には教育に行き着く
・平和は願って待つのではなくつくり守るもの
・女性議員をもっと増やそう!
・感情ではなく思考で捉える
・平和を願う民意が動くことを願う
・子どもに伝えていきたい
・こういうフラットな、世界情勢を話し合えるしゃべり場をもっと開こう
・様々な特性を持つ人を許容した"その先"を考えて見つけていきたい
・artの持つ力を、学生にも伝えていきたい
・何を報道され、何を報道されないか、どの角度から報道されているか読み解く力をつけたい
・考えること、多角的に物事を捉える力を育みたい。
皆さんの声を聞いて
寄付をするにも、そのお金が何に使われるのかを考えねばならないこと、
普段にも増して今回は重くのしかかってきました。
10円だって攻撃に使って欲しくない。
実はお買い物も政治も同じ。
何を買い、誰に投票し、どんな政策にYesというか
それらは戦争を始める前の段階。
防ぐことができるとすれば、平時の動きを変えることでしょうか。
今回のことで言えば
ロシアを追い詰める動きに、私たちは関心を持っただろうか。
日本はどんな立ち位置で何と言っていただろうか。
私たちはめぐる経済でロシアの進軍を支援していないだろうか。
そしてロシアに関らず、
私たちのお買い物や母国の政治政策は貧困を促進するものではないか、
誰かの苦しみを後押しするものではないかと
平時から考えて選ぶことができることを忘れてはいけない。
私たちは、これまでの紛争に責任はなくとも
これからの平和には責任がある。
平和は誰かがつくるのでも降ってくるものでもありません。
つくり、まもるものです。
今回、こうやって企画して実行して人が集まってくれて
機械も整ってないし、オンラインの人は聞きづらかった見づらかったのは
本当に申し訳なく思ったけれど
改善点はあれど
やったことに意義があることを強く感じました。
結果にコミットする会ではない、答えを出す会ではない
というのが今回大切でした。
一人一人の心からしか平和は作れないから
こうやって
平和を願いたいよねって再確認することが今 必要だったように思います。
わたしと同じモヤモヤ族も多いのだとわかりました。
モヤモヤは、もしかしてめちゃめちゃ大切なことかもしれないと思い始めました。
怒り、不安、悲しみが自分や社会をうずまくと誰かを悪くした方がスッキリする。だけど善悪、白黒に分ける前に "モヤモヤ"を読み解くところに平和への糸口があるのかも。
わたしは、憧れのジャーナリストさんたちのように
スパッと物事の流れや裏側を理解し自分の意見を言えるようになりたいと思っていました。捉え方がわからないことばかりだからまだまだ時間はかかるけど、多角的に物事を見ることができるように見方を育てていきたいと思います。
最後に。
開催場所は
街中で、人目が気にならず風の音が影響しない室内がいいなと思っていたら
偶然が重なって崇城大学のギャラリーを貸してもらえることになりました。
教授のおかげで学生さんもきてくれました。視覚芸術学科の皆さんの作品に囲まれて行えたのもまたよかった。
artは世界の見方を変えます。
おまけ
せっかくシニアの方がいらしたので聞いてみました。
ベトナム戦争のとき、ルワンダのジェノサイドの時はどうだったかと。
ベトナム戦争のときは、熊本でもデモがあっていたそうです。
ルワンダの時は、ニュースで見るくらいでそんなに動きはなかったように思う。
私たちはどうするだろうか。
ロシアとウクライナのことを。
パレスチナのことを。ロヒンギャのことを。ウイグルのことを。シリアのことを。
他にもまだ知らない迫害や紛争がおそらくたくさんあります。
目を開いていこう。