【エッセイ】来た道★行く道の話
#エッセイ #相互扶助の精神 #名言 #北海道移住 #芝犬 #散歩 #ロスジェネですがなにか
老婦人からのヘルプ依頼
『おはようございます。すいません犬の散歩のときに倉庫二階にある雪投げショベルおろしてほしいこの前畑で転んで右肘打ってから力はいらなくて宜しくお願いします』(原文ママ)
2024年12月。
私のスマホに近所の老婦人の方からメッセージが来た。
この方の家は私たちのいつもの散歩ルートの途中にある。
メッセージは犬の散歩の途中で良いのでちょっと寄って倉庫の二階に上がって物を取って欲しい、という内容だ。
以前にも似たようなことがあり何度かお邪魔しているお宅である。
その倉庫の二階に上がるには垂直のはしごをかけて登る必要があるが、力が入らず上がれないということのようだ。
メッセージを見て何故か私は離れて暮らす母を思い出した。
『あとで行きますので絶対無理しないでくださいね』
私はすぐに返信したのだった。
★
1975年、東京で私は生まれた。
そこから何処をどう彷徨って生きてきたのか、
気がついたら北海道にある人口5,000人のこの小さな町に移住してもう20年以上も経っている。
この町には開拓の頃より相互扶助の精神が宿っている。
北国の厳しい寒さの中での暮らしを乗り切るために培われた住民同士の絆だ。
移住者にも寛大で私たちのような外来種の新参者も快く受け入れてくれる素地がありとても暮らしやすい町なのだ。
私と冒頭の老婦人とはもう十年来のお付き合いである。
彼女は先祖がこの土地への入植のころより農家を営んでいたご主人の家に嫁いだが、そのご主人も十数年前に亡くなった。
5人の子供たちは独立し家を出ており、今はひとりで少し畑をやりながら猫と暮らしている。
我が家の3人の子供たちや犬も自分の孫のように可愛がってもらっており、秋になると収穫した野菜のおすそ分けをたくさん頂くほどお世話になっていた。
逆に今回のように声が掛かると行って話をきき、何か困りごとの作業をしてからお茶を飲んで野菜を御礼にもらって帰る、というのがルーティンだ。
「この雪かきショベルですか?こっちの大きいソリも一緒に下ろしますよ」
「あ、そうね。ありがとう、いつも悪いわね。あとでナス持って帰ってね」
倉庫の二階から冬道具を下ろしながら自分の母親の事を思う。
ー 元気でやってるかな。また春になったらアスパラ送るか。
母も私たち5人の兄弟を産んで育ててくれたのだ。
ゆえに同じ5人の子供を育てたこの老婦人と母が重なって見えてしまう時がある。
私の母の場合はまだ私の姉も同居し兄弟たちも近くに住んでいてひとまず安心なのだが、こちらの老婦人の場合はひとり作業で無理でもしたらと思うと身内のことのように心配になるのである。
ー それにしても年を取るとはこういうことなのか。
できなくなることが増えても人に頼めない人は無理をするだろうし孤立してしまうだろう。
彼女のようなコミニュケーション能力を身につけるのは生きていくうえでとても重要なことなのだ。
私もいつか通る道なのか。
★ ★
老婦人宅での用を済ませ、家に帰ると学校帰りの娘がソファでゴロゴロしていた。
「ほら、制服とか鞄とか片付けておかないとまたママに怒られるぞ」
「はぁーい。あとでやるから」と、いつもの様子である。
ー まぁいいか。どうせいつもの怒られるパターンだろう。
私も子供の頃はダラダラしていたので彼女の気持ちがとてもよくわかる。
疲れて学校から帰ってきた時くらいはダラダラ、ゴロゴロしていたいのだ。
だから私もあまりうるさくは言わないようにしている。
いつかダラダラする人も自分らしく生きられる社会が実現しこのまま世界に平和が訪れますように、と願わずにはいられない。
だが、そうは問屋がおろさない。
「ただいまー」
「あ、ほらママが帰ってきちゃったぞ。早く片付けろ!」
「あー、待ってママー。今やろうと思ってたところなの」
「あんた、いつも同じこと言って全然直らないじゃないの。今日テスト却ってきたんじゃないの?早く見せなさい。靴下も脱ぎっぱなしだし、流しのコップも洗ってないし、ホントいい加減にしなさいよ。ニヤニヤしてないであんたも父親としてガツンと言いなさいよ。あんたがそんなんだからいつまでもこの子がしっかりしないのよ。私働いてきて疲れてんのよ。もう、しっかりしてよ。」
あーあ、始まった。
オレも子供の頃こんな風に怒られながら育ったけなぁ。
★ ★ ★
子供叱るな来た道だもの、
年寄り笑うな行く道だもの、
来た道行く道二人旅、
これから通る今日の道、
通り直しのできぬ道。
犬の散歩で通る道。
犬も歩けば棒に当たるのだ。
「あ、おはようございます!先日は野菜ありがとうございました。また何か手伝えることがあれば声かけてくださいね」
ー 娘よ、怒られたって気にするな。やがて朝日も昇るだろう。