書評『誰でもわかる精神医学入門』
ワタクシは精神科専門薬剤師として長らく精神科病院に勤務しておりますけど、というか、薬剤師になる少し前から精神科病院でアルバイトしてたんで、精神科病院でいわゆる「精神科の患者さん」と接するのはもう四半世紀ぐらい前からなんですよ。でも、薬学部教育に精神疾患の講義なんてあった気がしないし(あったらゴメンナサイ、でもあって1コマじゃないかと思う)、精神科で使われる抗精神病薬、抗うつ薬、睡眠薬・抗不安薬でさえも、そんなに細かい使い分けまで学んだわけではありませんでした。そういうのはどこで学んできたかというと、当時は職場の先輩方や精神科医の先生方から実地で学んできたという感じです。
それが21世紀になってから徐々に精神疾患の患者数が増えてきたり、精神科(心療内科)系のクリニックがどんどん開業して増えたりしたせいか、多くの一般病院や保険薬局の薬剤師さんにも「精神疾患や精神科薬物療法について知りたい!」というニーズが高まってきたように感じます。そういうのを背景としてか、教科書的な書籍は一通り揃ったというか、今は基礎から学べる書籍がいくつかあります。
薬剤師向けのものでも、例えば
『ゆるりとはじめる精神科の1冊目』
なんてのはワタクシが共著してるからというわけでもないですが初心者にオススメですし、
『精神科医×薬剤師クロストークから読み解く精神科薬物療法』
というのも、症例へのアプローチや処方提案のやり方を精神科医と薬剤師のトーク形式の記述でさらりと学べるものですし、
『精神科薬物療法マニュアル』
あたりは日病薬の精神科薬物療法認定薬剤師や精神科専門薬剤師の認定試験の出題元にもなってる教科書ですし、
『薬剤師レジデントライブラリー 臨床精神薬学』
とかは少し古くなってきたけど、学び方や考え方は通じる部分が多いのでまだ参考になりますよ。(ワタクシも時々引っ張り出して参照するぐらい)
ですが今回紹介したいのはこちら↓
著者の東徹先生にご恵贈いただきました。改めて御礼申し上げます。
そこでお礼かたがた素直な感想と共に紹介したいと思います。もちろん【書評】とするからにはできるだけ「くもりなきまなこ」で書いてみたつもりではありますが、上記のような利益相反がありますので割り引いて受け取ってくださっても結構です。
東先生といえば、以前にもご著書『精神科病院で人生を終えるということ』を頂戴したことがあります。そちらの書評も今は放置中のブログに書いてますのでご参考にどうぞ。
本当に、こんな本がワタクシが若い頃にあったらどんなに良かっただろうか。
精神疾患と、それを治療する精神医学というのは、どこか特殊な世界であって、奥が深すぎて得体のしれない何か、といったイメージを漠然と持っている人は多いんじゃないかと思います。実際ワタクシもしばらくはそうでしたし、その「奥の深さ」を面白い!と感じて今まで携わってきて勉強もしてきたわけです。
しかし、薬剤師として、いざ精神のことを学ぼうとすると、どうしても薬理学や病態生理学、あるいは分子生物学などをベースにした、受容体がどうの、タンパク構造がこうで、遺伝子の発現がアレで……みたいな話のほうが多いわけですよ。そしてそれらって目に見えるわけでもないし、それらの理論が薬効の解釈を助ける場面はそれなりにあるものの、眼の前の患者さんが熱心に語ってる妄想はどうしたらいいのか?そして今それを延々と聞かされている自分には何ができるのか?については何一つ答えられないわけです。
そこで、「統合失調症とは、うつ病とは、こういう病気なのですよ」とか、「そもそも精神科医療ってこういう人が対象なんですよ」とかいう根本的なことはほとんど口伝というか実地で学んで自分の中に落とし込んで理解していくわけですけど、精神科医の先生でも人が違えば考え方が微妙に違っていたりして、そのコンフリクトに悩んだりもしたわけです。
本書とは、そのようなモヤモヤをロジカルにスッキリと整理してくれる本、と言えるでしょう。
まずは精神疾患を「内因性」「心因性」「外因性」に分けるところから始まり、「内因性ってどういうこと?」から「要するに『精神』とはこういうもの」という定義付けを行い、精神科医療がどのような人に必要となるのかを説いていきます。そのことによって、「社会生活で困っていればそれは精神疾患」とはワタクシも聞いたことがありましたが、それはなぜなのかがストンと腑に落ちます。第1章は実にロジカルで読んでいて気持ちが良いです。
続いて第2章にて、精神疾患の本丸である統合失調症の解説になります。本当に、統合失調症をどれぐらい理解しているかでそれ以外の精神疾患への理解度の深まりがまるで変わってくるのはワタクシも感じているところですが、そこを読みやすく平易な語り口で話を展開してくださいます。
個人的に面白くかつ激しく頷きながら読めたのは、Huhnらが2019年に報告した抗精神病薬のネットワークメタ分析1)の結果を引用しながらいくつかの抗精神病薬の違いについて語りつつ、「どの薬が良いかということは一口には言えないのです」と述べながら、仮想症例を示してその曖昧な結果を奨励にどうやって適用していくかという考え方を語られている点です。
これはまさしく精神科におけるEvidence Based Medicine(EBM)です。
一昔前だと「EBMなんて身体科のものであって、精神科では机上の空論なんだよ」ということをドヤ顔で語る精神科医もおられましたが、そんなことはありません、精神疾患という目に見えないし検査データに現れない病気の治療にも臨床医学論文の情報は活かせますし、今や本当にさまざまな臨床疑問に答えうる研究が論文となって利用可能な時代になりました。むしろ「なんで効いてるか分からない」からこそ、臨床で患者さんに実際に効いているという現象を統計学を駆使して検証したエビデンスを用いて精神科の薬を使い分けていかなければならないのです。
ワタクシもNPO法人AHEADMAPとしてそのような誰にでもできる論文情報の利活用の普及啓発活動を行っていますけども、本書のそのような治療薬の決め方からぜひそのエビデンスの活用の仕方の片鱗を感じ取ってもらいたいと思います。
本書はその後、第3章で気分症(気分障害)、第4章でその他の精神疾患、第5章で認知症を解説してまとまるのですが、精神科以外の薬剤師が読むのであれば、まずは第1章と第2章をじっくり読んで、あとは第4章の中の依存症についてしっかり読んでいただければ、臨床での薬の使い分けや患者さんとのコミュニケーションの知識や力が効率よく身に付くものと思います。統合失調症が分かれば抗精神病薬の使い分けが分かりますし、抗精神病薬の使い分けが分かればあらゆる精神疾患で使われることがある抗精神病薬が、その患者さんに適切なのかそうでないのか理解できるようになります。依存症はいわずもがな、一般病院でも多く出会うでしょうし、その際のアプローチに活かせるでしょう。
もし、一般の方が読まれるとしたら、やはり第1章と第2章をしっかり読んだ後は、順に読んでいただいても、興味があるところから読まれても良さそうに思いますが、特に101ページからの「統合失調症で罪が軽くなるのはなぜか」の項はよくよく読んでおいたほうが良いです。なぜ権利が制限され強制的に治療を受けさせられるのか、また、そうされるとしたらどのような条件か、とも合わせて理解することで、精神科医療で極めてシビアなテーマである人権や責任についての考え方がよく分かることと思います。
もちろん研修医や精神科専攻医の先生方にもぜひお読みいただきたいですね。精神医学って科学でもあり哲学でもあると思うんですけど、それってどっちも硬派にロジカルですからね。ロジカルに学んでロジカルに処方や指示を出していただけますと、共通言語で連携できますので他職種の力をより引き出して素晴らしい治療ができる名医になれるんじゃないかと思います。
という感じで、本書の内容は著者の東先生が軽妙に語るような文体で構成されており、タイトルに「入門」とは書いてあるのですが、実に深い難解なところまで分かりやすく整理したり例えを用いたりして丁寧に書かれた本です。特に、診断基準としてよく使われ引用もされるDSM-5の記述はなかなか小難しいのですが、それもところどころ分かりやすく書かれておられるのは勉強になります。
ワタクシもよく分かっていなかったことが数多くありましたし、この記述を参考にしてこれから若手薬剤師や薬学生に対してもっと上手く、もっと面白く説明や講義ができるんじゃないかと思っています。
最後に、本書の第1章の結びの文章を一部引用したいと思います。この文章は精神科医療のスタンスをまとめたものですが、まさに精神疾患とは何なのか?何を相手にして何を目指せばよいのか?悩める我々に対する著者の構えというか、メッセージのようにも思えましたので。
いやぁ、実に良い本が出たもんだ。
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