《エッセイ》優勝ランナーにはもうなれない
息子と家で走り回っているときのことだった。
ただテーブルのまわりをぐるぐる走り回るだけの(ある意味過酷な)遊びに飽きた私は、ふと近くにあったタオルを取った。そのまま両手で頭上に掲げてみると、自然と「みんな!ありがとう!」という言葉が口を出た。ウィニングランをする陸上選手の気分になってしまったのである。
言っておくが私にはウィニングランの経験はおろか、アスリートだったことも、陸上競技場を走ったこともない。でもなぜか布を両手で頭上に掲げながら走ると優勝ランナーになっちゃったのだ。
その時ふと思った。
私はもう優勝ランナーになることはないのだろうな。
それを望んでいたわけでもなく、夢見たこともないのだが、そう思った時にほんの少しだけ切なさを感じた。どのくらい「ほんの少し」かというと、冬の朝の匂いくらい。昆布だけでとった出汁の旨みくらい。光できらめく赤ちゃんの産毛。猫のあくびの音。
さっきも書いたが私なんて熱心に走ったこともなく、そもそも走るのも動くのも嫌いで、これからの人生で走る予定は無い。なりたいわけではないのだがなぜ切なくなったのか。
たぶん、その可能性が、完全に過ぎ去ったからなのだ。
例えば私が小学生なら、陸上選手になる可能性はあった。まあ小学生で既に運動は嫌いだったけど、そこから何かのきっかけで好きになって頑張る可能性は無くはなかった。
でももう、多分ないと思う。だって今の私は走るのが断然嫌いなのだ。ジョギングだって何度かチャレンジしたけど、やっぱりおもしろくなかった。可能性はすごく低い。
つまり、自分の人生が過ぎていってることへの、切なさなのかもしれない。
ここ最近、そういう風に「あ、もう私にはそれが起こることは無いんだな」を感じる瞬間がたくさんある。老いたんだろうか。
先日は息子とジャングルジムの周りを走り回っていると、大学生くらいの男の子ふたりがやってきて、「懐かしいー!」と言いながら登りはじめた。そしてそのまま、夕暮れの中ふたり、ジャングルジムの上のほうに腰掛けて、なんと恋愛話を始めた。青春が過ぎる。あたしゃ清められましたよ。
A君には彼女がいるようで、会うのは週一で良いなど、結構サッパリした関係だという。そのことにB君は驚き、A君が「あっちが年上だからかな」と言う。B君が軽く冷やかしながら「俺はどうしたらいいんですかね〜」と教えを乞おうとしたりしていた。ああ。ごたごたした居酒屋で、うっすいカシスオレンジとか飲みたくなった。
と同時に「私にはジャングルジムで誰かと恋愛話をすることはもう無いな」と、また一瞬切なくなった。
似たような例で、フードコートで高校生カップルが勉強をしている時も、同じように切なくなったが、これは高校生のときに恋愛できなかった未練があるような気もする。制服デートとかしてみたかったなーと、恥ずかしながら未だに思う。だって一生戻れないもの。
私の母校は制服がダサかったし、近くには小さいゆめタウンしか無かったけど。かわいい制服を着た、髪の毛つやつやの、勉強してんのかしてないんだかな2人を見て、微笑ましいやら切ないやら。
他にもいろいろある。
産後お酒に弱くなり、胃も小さくなったから、夜中まで友達もだらだら呑むことも無いんだろなとか。夜って眠いし。
なにかで優勝して胴上げされることもない。
日本代表にもならない。
カリスマ美容師とは呼ばれない。
ばりばり働く人を見たときも、思う。当たり前だけど、そこらじゅうにたくさんいる。
私からすると、どこかに就職するだけで、立派だ。そこで長く働いてキャリアを築くことは私にはまったく不可能なことだったし、いろいろあったからこれからそう頑張ることは、無い。だからこそ眩しく見える。毎日勤めている人たちって超人だ。
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こうして「過ぎていった可能性」だけを挙げると、後ろ向きに生きているように感じるが、そうでもない。私は割と人生を、年齢を重ねることを、楽しめるほうだと思う。
この歳になっても意外な成長や変身は、思っていたよりずっとたくさんあるものだ。
好きなものは年々増えていっている。音楽も、人も、本も、季節も食べものも、場所も。パクチーを好きになるなんて驚きだった。犬も苦手だったけど今は好き。猫はずっと好きだけど、予想以上に大好きになってる。
夫と結婚して、いろんなことがあって、人間的にすごく成長したと思う。結婚と育児で、嫌な自分をこれでもかというくらい知ることになった。
(夫は炊飯器すら持ってなかったのに、40歳で結婚して、炊飯だけでなく目玉焼きや卵焼きを作れるようになった。すごい。)
私の仕事の経歴はめちゃくちゃで、もう就職は無いと思っていたけど、青天の霹靂でご縁があり、今度から少しだけ働くことになった。たまたまフラっとお手伝いに行った先で「筋がいい」とお声がけいただいたのだ。本当に少しずつなのだが、なんと自分の好きなことのひとつがお仕事になった。人生にこんなことがあるとは思わなかった。
ハーブティーが苦手だったが、おととい、初めて美味しいと思えるものに出会った。感じたことのない癒し効果。やみつきになった。
まだまだ知らないことも知らない自分もたくさんたくさんあるの。予想外なことばっかりだ。だから自分も人生も世の中も見捨てられない。
来年、再来年、10年後、どんな自分になってるかわからない。
そう考えると制服デートはもう無くていいけど、もしかしたら何十年後か、シニアのマラソン大会とかでウィニングランしてる私も、もしかしたら、いるかもしれない。