《エッセイ》学校に(仕事に)行きたくない ※長文
少し前の火曜日。息子とEテレを見ていて、そろそろ終わりにしようかなというとき。
「でこぼこポン!」という番組が始まり、「ぼこすけくん」が
「学校に行きたくないよ〜」
と言うので、気になってついそのまま見ていた。
この番組は何度かしか見たことがなかったが、キャラクターたちがちょっと不器用で、苦手なことをまわりと解決してゆく番組だということはなんとなく知っていた。無くし物をしちゃうとか、道に迷っちゃうとか、順番を待てないとか。
だけど、「学校に行きたくない問題」が出るとは。
「まさか、学校に行きたくないその悩みの原因を探って解決していくのか??」と思っていたら、違っていた。
「ぽん」というキャラクターが言う。
「風邪を引いたら学校をお休みするよね。こころが疲れたときも、お休みしたらいいんだよ。」
ぼこすけくんは安心していて、わたしも一緒に安心した。
ただ「行かなくていい」と言うだけでは無く、その後はフリースクールの存在や、オンラインで他人と関わることができるサービスの紹介がされた。
「学校じゃなくても、いろいろできる場所があるよ」
というような内容になっていて、
「居場所はあるよ」「自分の居心地のいい場所を見つけることができるよ」というようなメッセージも感じられた。
*
夏休み明けに不登校になったり、自分で命を絶つ子どもが増える傾向にあることが、この企画の背景にあったのではないか。
最終的にはぼこすけくんが元気な顔で
「しばらく休んでたら学校に行ってみようと思ってきた!学校の先生も、僕ができないことをサポートしてくれるって言ってくれたから!」
のようなことを言って、学校生活に復帰しようとする流れになって番組は終わった。
それが周りとしても本人としても理想だと思うし、視聴者としては安心する締め方だった。
現実はなかなかそうもいかないのではないかとは思うけど。
*
優しい時代になったと思う。
わたしは学校にまともに毎日行けない子どもだった。「不登校」とまではいかないけど、
よくサボっていた。
なので正直、番組の終わりにぼこすけくんが元気に学校復帰宣言するのを見て、ちょっと置いてけぼりな気持ちで寂しくもなった。その結末が最良だと思いつつも。
父の仕事の都合で、幼少期に2度引越しがあり、3つの園に行った。
その最後の幼稚園でクラスメイトと仲良くなれず、意地悪をされていた。あまり園生活が好きでは無くなり、「行きたくない」と毎日思っていた。
小学校生活も中学年くらいから、つまり女子の派閥ができるような学年くらいから、憂鬱になっていった。どうにか登校はしていた気がするけど、たまーにサボって休んでいた。
中学生になると週に1度は休んでいた。
もともと人見知りで、人と話すのが苦手だったのがさらにひどくなった。
自分の口元がコンプレックスになったことと、なぜか異様に口臭が気になっていたことで、口を開けたくなかった。
部活は楽しかったし、友達は多少いたけど、集団生活は辛かった。たくさんの人の中でどう存在したらいいかわからなかった。
「毎日同じ場所に同じ時間に行く」ということも辛かった。
毎日自分の妄想の中でだけ、たくさんのクラスメイトと喋っていた。
いつのまにか、「週に一度休んでいい」と自分の中でこっそりルールが決まり、週末になると「来週はどこで休もうかな」と考えていた。
休む日は時間割で決めていた。嫌いな科目の日に休むというわけではない。
「しばらく出てないと授業の内容的にまずそうだな」とか「小テストやるなら出とかないとな」とか、「副教科は別にいいか」とか。
そんなことで決めていた。
中2の秋か冬に担任から「これ以上、今のように休むと進級があやういです」と言われた。母もいたので三者面談だったのかもしれない。
(公立の中学校でも進級できないことがあるのか、今でも疑問だからこれは高校の記憶かもしれない。)
そこから3年にあがるまではちょっと頑張って登校しなければいけなかった。
母はうんざりしていただろう。厳しく怒る人ではないけど、休む日の朝、布団から意地でも出てこないのでさすがに怒っていた。
でも朝の登校時間を過ぎれば私は何も怖くなくなって、好きなワイドショーなどを見て楽しんでいた。
はなまるマーケットを見て笑って、主婦向けの情報を見ながら「これはいつか実践しよう」とか考えたりして、あとは本を読んだりして過ごし、昼はいいともを見て、午後はワイドショーのジャストが好きだった。「毎日これを見て過ごせる生活がしたいなあ」と思っていた。今も疲れるとそう思う時がある。
同居していた祖母に病院に連れていかれそうになり、腕を引っ張られても拒んでいたらとても怒って頬を叩かれた。
上品でものすごく繊細で優しい人だったので、祖母は自分を責めたのではないかと今では思う。
父は当時忙しくてあまり話をする時間はなかったけど、夜にリビングから「また休んだと?」と言っている声が聞こえたことがある。
高校は楽しかった。
自分で行きたい学校を選んで、そこに行くことができたのは大きかった。小中学校は選べなかったから。
友達もできたし部活の仲間は家族のようで、毎日とても楽しかった。
けれど集団生活は相変わらず苦手だったし、
「同じ場所に同じ時間に毎日行く」ということがどうしても苦痛で、やっぱり毎日登校することはできなかった。
部活には毎日でも行きたい気持ちがあったので、夕方の部活のために頑張って遅刻して登校したりもしたけど、結局、月に2〜3度は休んでいたと思う。
頻度は減ったけど「次はいつ休もう」と考えることは、ひとつの心の支えだった。
家族の誰も、わたしがどうして学校を休みたがるのかわからなかった。
責めているわけではなく、そう思うのは当然だったし、今のようにメンタルヘルスは常識では無く、そういう時代だったと思う。
今になってみれば、両親と祖母、特に母には頭を抱えさせて申し訳なく思う。
*
大学生になったら気持ちが軽くなって、毎日授業に出ていた。起きられなくて遅刻はしてたけど。楽しかったのだ。
学びたいことを学べる大学を選び、行かせてもらった。
仲良くできそうな人と過ごした。
1人でいたい時は1人でいられた。
みんなと過ごすことも楽しくて、大好きな仲間ができた。
やってみたいと思ったことにはできる限り挑戦した。
「居場所を選べる」ということと、
「1人で動いてもいい」「周りを気にしなくていい」ということが私にとって大きな翼だった。
*
息子が大きくなって、「学校に行きたくない」と言い出したらどうするか、たまに考える。
夫は真面目なので、話を聞こうとし、「頑張って行こう」「いっしょに通学してあげる!」とかって言うだろうと思う。
私は間違いなく「休んでいい」と言う。せっかくなので、本人が大丈夫なら一緒にどこかにお出かけしたり、お茶したり、家でパフェでもつくるか焼肉したい。
何日も行けないようなら話を聞かねばならない。
普段からいろんな話を聞けている状況が理想だけど、思春期になると難しいだろう。
勉強はしておいたほうがいいと今でも思うから、テレビで言ってたフリースクールのように何か方法を考えないといけない。
*
小さいうちから「世界はたくさんある」ということをどうにかして息子の脳に植え付けておきたい。「世界は学校/園だけではない」ということだ。
友達だって、クラスにできなくても、他の場所でできる。
子どもの世界は狭くなりがちだ。
子どもは、生活の中で出会う子どもとだけ仲良くしなくちゃいけないわけではない。
友達に年齢制限はないのだから、大人と仲良くしてもいい。
「楽しい大人と出会う」ことが、未来をすごく明るくしてくれると私は思っている。
「楽しい大人ってたくさんいるんだな」と気づいたのは大学生になってからだったけど、子どもの頃に知っていれば、出会っていれば、暗闇も少しは明るかったと思う。
息子にはいろんな人に出会わせたい。
大人でなくても遠くに、すごく気の合う子がいるかもしれない。友達を探すために旅に出てもいい。
なかなか会えなくても、その存在は希望のひとつになるだろう。
*
毎日が暗かった子どもの頃、生きる希望は「大人になること」だった。
早く大人になりたかった。
「早く高校に行きたい」が直近にある目標であり希望だった。自分で学校、つまり居場所を選べるからだ。
そして早く大人になって、
好きなところに住み、
好きな人と友達になりたかった。
「大好きな友達」に憧れていたのだと思う。
それは徐々に叶っていった。
なぜかって、「生きたから」だ。
生きていれば絶対に叶うとは言えないけど、生きていないと叶えられない。
子どものころの私は「消えたい」と思うことはあったけど、死のうとは思わなかった。(家族の仲が良かったことは救いだった。)
絶対に楽しい人生を生きたかった。
たくさんの仲間と大笑いしてみたかった。
帰りたくなくなる学校生活を送ってみたかった。
信頼できる友達がほしかった。
高校に入り、「早く明日学校であの子達と話したいなー」と初めて思った時、感動した。
私は大人になるにつれ、人生が楽しくなっている。
楽しいことばかりでは全然ない。歳をとるにつれ、辛いことも多く経験する。悩みはボリュームが大きいものになっていく。
でも、大人になれば生き方次第ではないかと思う。(家族の介護がある等の家庭の事情は除く)
単純にいろんな権利が増える。働くことができる。住む場所を自分で選ぶことができる。食べられるもの飲めるものが増える。1人で病院に行ける。
1人で旅行に行ってもいい。夜中歩いててもいい。変な時間に寝ても起きても自己責任。
いろんなことを知ることができる。
だから、助けを求める方法も、逃げ方も治し方も、たくさん知ることができるはず。
関わる人を自分で選べる。世界はもう狭くない。いろんな場所にいけば多くの人に出会える。
辛い関係は切ってもいい。(学校生活でも友達関係をやめてることはあってもいいと思うけど、狭い世界でなかなかそうはいかないと思う。)
楽しいこともたくさん見つけることができるし、日々生きている中で知り合う人は増えてゆく。
だから、長々と書いたけど、生きていようよ、と言いたい。
大人になろうよ、人生が楽しくなるまで生きてやろうよ。
大人になっても楽しくなかったら、気の合うひとや助けてくれるひとや、安心できる場所と人を探そう。誰かに会ってみよう。SNSは慎重にならないといけないけど、そんなんじゃなくても、例えば良いバーに行けば話してくれるひとがいる。気力があるなら習い事をしてもいい。公園でたまたまいた人と会話することもある。
職場の人と、ちゃんと話したら長く付き合う仲になることもある。
会う人会う人、気が合うかはわからないけど、話してみないとわからない。
日々は苦しいことがあるから、「人間みんなイヤ!!」みたいな時もあるから、そういうときのために、人間はさまざまな音楽や映画、演劇、美術を生み出してきた。
そういうものにたくさん触れてみてよ。
芸術に触れることや生むことは生きてる人間だけの権利だよ。
芸術じゃなくても、植物や生き物や、その香りや温度を感じることも、生きてる権利だ。
「生きているのが楽しそうな大人」になることが私の生涯の目標。
最後に子どもの頃の私が1番苦しかった時に聴いていた音楽を貼って、おわり。
(Tomorrow、わたしは当時、ミュージカルで日本語版を聴いて感動していたので日本語版も。たぶんコロナ禍につくられたものだ。歴代アニー!)
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