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アイディア出汁←おいしい

みなさんこんにちは、健全な時間から失礼します。今日はいかがお過ごしでしょうか。私はトップバリューの安売りのコーンスープを片手にこの文章をかいております。時々クノールの本物のコーンスープを飲むと、やっぱりうますぎて普通に涙とかでるんですよね。こういうありがたみを忘れずに日々すごしていきたいとか思っております。

私以前も少しだけお話したんですけど、インターネットでお絵描きをしてます。最近ありがたいことにたくさん反応がもらえるようになって、モチベーションがかなり高いです。今回触れていくのはずばり、「アイディア」のお話です。みなさん作品を作る際、「アイディアだし」というのはしますか?私はですね。これがほとんどしないんですよ。その時かきたいものがぽっと落ちてくるような感覚に近くて、「アイディア出し」…?なんすかそれ?おいしいおだしでしょうか汗とかいうノリです。

だから、周りにいる絵描きさんに聞いてみることにしました。彼らは描いているジャンル様々ですが、共通していえることは全員絵がうまいです。

1人目 
彼女は100日チャレンジに2回成功していて、いえば「アイディア」の天才です。ちなみに100日チャレンジとはツイッター上のハッシュタグで、100日間イラストを毎日投稿するという地獄の地獄みたいな鬼クエストでございます。彼女も私と同じタイプでかきたいものがぽっとおちてくるタイプです。どうしても思いつかないときはツイッター上で何が流行っているかを検索して、それに合わせた絵をかくそうです。なるほど。とても頭がいいです。「不慣れな奴ほど奇をてらう」とはよくいうものですが、その通りですね。案外、これくらいシンプルな思考のほうがうまくいくのかもです。

氷菓大好き!

2人目
彼はすごく理論的であり、感情的な人間です。絵をかいているというより、絵を使ったマーケティングを得意とする側の人間です。彼が言うには歴史から学ぶことが必要なそうな。私の力量ではまとめることが難しかったため、ここにはもらった文章を貼っておきます。(すみません)

アイディアを出すということはいわば、無から有を生み出すことである。人間は、無から有、有から多くの変革をもたらし文化を形成してきたことが明らかである。このことから「アイディアを出す」という過程には今後の活動を左右する
 本授業ではアイディアを「積み上げる」ことに着眼をおいていた。つまりは多くの施策を用意し、柔軟な考えを持って選別していくことにほかならない。ここで問題となるのは先導多くして船を山に登らせてしまうことである。無限の可能性から不確定な目的地を目指すことに恐怖を抱かないものはいない。必ずしも万人が納得する結果を得ることができないのが前提であるならなおさらである。そうした恐怖を乗り越えるのが、歴史に身を寄せることにある。ドイツの宰相ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語った。人間は、自分の経験からしか学ぶことしかできない愚者であり、過去の他人の失敗から同様の失敗を回避する事ができる賢者である。アイディアを出すということは無限の可能性があると前述したが、必ずしも無限ではないのが本質である。歴史の観点、過去の観点から無理だとわかったものが今現在の無限となりえるのである。可能性という言葉を無限定に使えるわけではない。人間一人ができる可能性は、自分ができないという不可能性から除かれた少ない道のことを示すのだと考える。
 アイディアを出すという段階で重要視するのは、はじめに決めた案を信じ切ってはならないことにある。例えるとすれば、プログラマーは自身の作ったプログラムにバグがないことを恐怖する傾向にある。ミスがあることを前提として、失敗を排除していくことが重要であるのにその段階がないことを人間は恐ろしく思うのだ。ここから読み取れるのは、完璧なアイディアとは、すべてが想定内に進むことではない、トラブルが起きても柔軟に対応ができる可塑性をはらんだ計画であるということだ。アイディアを出すことは、ただそこに無表情の計画書を置くのではなく、そのアイディアが採用されたとき、世間で公表されたときと今後の未来を見据えたものを示すのが望まれると考える。



だそうです。いや~~~~~ためになりますね。うんうん。

紙の本を読みなよ

三人目はまた今度かきます。おまえらは自分で考えて行動するというのをもっと覚えなさい。

さてさて、書いているうちに健全な時間ではなくなってしまいました。アイディア出しというのは人によって全然違うものですね。学ぶべき点があるとするなら、不必要なことはしないこと、目の前の自柄に囚われないということです。とりあえず、今日は寝るとします。おやすみなさい。

 

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