君の魔法で咲く花よ。
陽が海の底へ沈んで、溶けだした朱が夜空と混ざり淡い紫色をつくる頃、彼女は魔法の杖をひと振りした。閃光が花開いては、舞ってゆく。
この時間だけ、なんでもない僕らでも魔法使いになれるから。
日没の海辺、ひとけの無い砂浜に二人。
夏本番にはまだ遠く、夜は半袖一枚では少し心許ない。日中の熱気を冷ますかのように吹く風が彼女の白いワンピースをはためかせた。
燃えつきた線香花火を片手に、こちらを見て少し寂しそうな笑みを浮かべている。覗いていたカメラから顔を離す。
「終わっちゃった。」
僕は何も言わずにポケットからライターを取り出した。仏壇のそばにしまわれていた内の一つを、家から拝借してきたものだ。
彼女は線香花火を一本持つと、こちらへ歩み寄ってきた。
「いいよ、これ、持ってて。……使ったこと、ある?」
僕はそのままライターを差し出す。彼女は多分大丈夫、と受け取った。
「ちょっと固いから気をつけて。」
彼女は静かに頷いて元いた場所へと戻っていく。何回かカチカチと空振りをして、ぽっと火がつくのをファインダー越しに見守った。
彼女は手馴れた手つきで弧を描いた。
ずっとひそかに魔法が使えるように練習してきたみたいに。
桃色の光が爆ぜる。手のひらサイズの空で流星になって消えてゆく。
「花火持った手、こっちに伸ばして。」
「そう、もうちょっと上。」
彼女は微笑みながら言われた通りのポーズを取った。
錯覚しそうになる。
全部全部、これは魔法なのに。
伸ばされた手を引き寄せてはいけないんだ。
シャッターを切る。瞳を閉じる。
カシャ、カシャ、と音が聞こえる。
日の入りの空は刻一刻と表情を変えて、僕らを急かす。
ぱらぱらと撮った写真を見返した。
「うん、いい感じ。」
小さくつぶやくと、彼女はワンピースをひらひらさせて嬉しそうにした。
「ほんと?楽しみだな。私ね、才くんの撮る写真がいちばんすきだから。」
「……ありがとう。嬉しい。」
波打際、こぼれそうなほどに夕陽を湛えてきらきらと揺れている。彼女は服やサンダルが濡れるのもお構いなしに光の溶けた海水を蹴った。光の粒子が弾ける。
負けないくらい眩しい笑顔の彼女を、気づけば写真に収めていた。
出会った頃、写真に写るのはすきじゃないとカメラを持つ僕を警戒していたのに。
簡単に撮った写真を再確認する。
いつのまにか撮りためた人物写真で一番枚数が多くなってしまった。
はっと顔を上げると、目の前には破顔した祭が視界に飛び込んでくる。
もう写真を苦手と言っていた人とは思えなかった。
もう一度シャッターボタンに手を伸ばす。
夕暮れの消費期限は近い。朱から紫へ、そして闇が東の空から手を伸ばし、侵食していく。
「最後にもう一回、花火で撮ろうか。」
魔法は、一般的な人間とは相容れない。
近寄り難い何かがあるんだろう。
それはそうだ、常識を覆してしまうから。
だから今日も、ふたりだけ。
カチ、と微かな音がして火花が咲く。
近くにいるから花だとわかる、小さな花。
彼女が何を思って咲かせたのは分からない。
分からないままでよかった。
今日もまた、花開くのを見届ける。
ただそれだけだ。
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