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ブレイブストーリー


この世界のどこかには勇者にしか抜けない伝説の剣があるらしい。

仮に自分がその勇者に選ばれたとしたら、2種類の行動パターンが思い浮かぶ。

1つはその剣を抜きに行くというものだ。自分は勇者なのでどんな大冒険でも耐えてみせるし、剣を抜いたあともその勇気で怪物を討伐してみせる。

しかし、こんな流れはあまりにテンプレすぎる。

勇者とは同調圧力に屈せず未踏の地に立ち向かえる者を指す言葉だろう。

ここで登場するのが第2の選択肢、「面倒くさいので抜かない」である。これもまた勇気ある決断だとは言えまいか。行動的な人間の方が勇敢であるという前提を覆す勇敢さがあるのではないか。




詭弁のニオイがプンプンするが、実際世の中にはたくさんの「行動的になったからこそ起きた災厄」がある。

ゾンビ映画を想像してほしい。「おい!この世界は一体どうなっちまったんだよ!ちょっと外の様子を見てくるぜ!」とか言って動き回る人物と「やめておけ、町はゾンビだらけだぞ!」と冷静に引き止める人物、どっちが映画内で生き残りやすいだろうか。

もちろん後者である。ああいう映画においてアクティブすぎるやつはたいてい「ゾンビに襲われた場合こうなりますよ」を説明するためだけの噛ませ犬にすぎない。

そう考えると、様々な歌手が我々にとにかく1歩踏み出させようとしてくる動きにも疑念を禁じ得ない。

ミスチルは「高ければ高い壁のほうが登ったとき気持ちいいもんな」と共感を求めてくるが、登ってる時のしんどさが登頂時の気持ちよさを上回るパターンだってあるだろう。ハナレグミは「サヨナラから始まることがたくさんあるんだよ」と歌っていたが、これはコミュニティからサヨナラした途端に人生が終わるケースを無視してはいないか。J-POPの問題点はメロディの平均化ではなく、歌詞がMECEでない点である。

陰謀論もカルト宗教も、混乱する時代の中でジッとせずにはいられないから誕生する。1歩踏み出さない判断もまた勇気なのだ。




ところで、最近の僕は何の行動を起こす気も起きない。すべてのタスクが面倒くさい。

周りの人々が上京したての僕に紹介してくれたおいしいお店にはまだ1軒も行ってない。積ん読と洗濯物は溜まる一方だし、午前中に起きたはずがもう午後3時ではないか。

今までの話を踏まえれば、こんな状態こそ勇者らしい生き方であるとわかるだろう。そして、「何もしない」という勇気ある行動を後押しする「面倒くさい」なる感情は我々にとって大きな意味を持つと気づくだろう。

人間の4大感情は「喜怒哀楽」だがどう考えても「喜」と「楽」がカブっているので「面怒哀楽(めんどあいらく)」にするべきだ。まるで面倒くささが1/3を占めているかのような語感になるが、そう言ってしまっても大げさでないくらい重要だ。

僕は虚無感に満ちた休日に怖気づくほどひ弱ではない。類まれなる勇気を持って、自分の中の「面倒くさい」という感情に従ってみせるのである。重い腰を上げた結果ぎっくり腰になったり車にひかれたり感染症にかかったりしたらどうするのだ。






1ヶ月間在宅勤務を続けすべての気力を失った勇者は、今日も果敢に家とコンビニを往復する。剣の代わりに伝説のスティックパンをむさぼりながら大胆不敵に時間を溶かし、面倒くささに導かれるまま昼寝をもってホイミを唱える。

日が沈むと堂々たる指さばきでUberEartsを注文し、屈強な配達員が荘厳なる玄関先に悠々と配達した至高の夜マックに豪胆な面持ちでかぶりつく。その後雄々しい裸体に激烈なシャワーを浴びせ、毅然とした態度で万歩計アプリを起動すると1日で30歩しか歩いていなかった。

容赦なく怠惰を貫く勇者の陰で、「月曜日」という名の火を吹くドラゴンが目覚めようとしていた。













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