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「Shakespeare's R&J」 ~R&J/シェイクスピアのロミオとジュリエット~感想

”はじめに”

 少年忍者の北川拓実くんと青木滉平くんが出演している「Shakespeare's R&J」 ~R&J/シェイクスピアのロミオとジュリエット~(以下R&J)の、少年忍者オタク視点での感想になりますので、他主演のお二人についてはあまり触れられないかもしれません。また、全力でネタバレしていますので、併せてご了承いただければ幸いです。

”Amo”

 最初に書く言葉として適切かどうかなやみますが、根底にあるテーマのひとつだと思うので、おもいきって書き出します。
 「Amo」とはイタリア語で「愛」を意味することばです。冒頭の授業のシーンで一番最初に歌うように読み上げられる言葉。「R&J」で語られる愛は人類愛(アガペー)ではなく、恋愛であり性愛(エロス)です。思春期ですね笑。彼らが一体何歳からこの全寮制学校という特殊な環境におかれているかは語られませんが、「Amo」という言葉への執着から恋を知る以前から入学しているのかなとおもいます。
 愛を知らず、恋も知らず、異性も知らず、語ることも想像することも許されない。人間として自然な状態とは言えないですが、彼らは神に認められ許された存在となるべく、高潔で清廉であることを自らに課さねばならないのです。
 特殊な閉じられた環境の中で、大人が、人々が望む存在たらんとしている。ジャニーズという環境もまた似たものがあるな、とはおもいます。

”抑圧される思春期”

 全寮制のカソリック学校という抑圧された環境の中で、物語に触れる4人という設定のため、思春期男子特有の異性への想いが満ちています。
 冒頭舞台説明として授業の様子が描かれますが、その中で男性と女性の役割という一般教養的な教科書の内容にさえ、触れることもできない、言葉にすることも許されない、想像することすら禁止されている異性への想いがあふれてしまい、チャイムに合わせて深呼吸を繰り返すことで、その想いを自ら律するという修行のような(実際ここでの生活は修行なのでしょうが)シーンがあって、あまりにも思春期の男子学生の匂いが濃く漂いすぎていて、アイドルにやらせていいのかと心配になりました笑。

”夜の世界の幕あけだ”

 抑圧された彼らの「愛」への好奇心は「ロミオとジュリエット」という一冊の書物を手にすることで歯止めがきかないものとなります。
 夜な夜な寮を抜け出し、4人で秘密の書物を読み上げ「愛」を追体験する。彼らが手にしたものがシェイクスピア作品でなければ、現代で言えばチャイルドロックがかかっていないスマホを手にした男子学生が友だちと集まりこっそりアダルトサイトを見るような、舞台にすることも憚られるような俗な体験です。
 この俗な体験をここまで綺麗なものとして、ジュブナイルな物語として成立させるセンスがとても素晴らしいです。

”愛のゆくえ”

 物語としては、「ロミオとジュリエット(以下ロミジュリ)」をそのまま読み上げ演じて幕を閉じることとなりますが、彼ら4人は「ロミジュリ」を通じてなにを感じたのか。セリフとしてはほとんど語られず、観客の感性に任せるということだとおもうので、ここからは多分に個人的な解釈をもとに言葉を綴っていきます。
 セリフはなくとも、わかりやすく表現されている部分としては、「結婚式」の最中に台本を取り上げ、学生3が破り捨ててしまう場面。そして学生1を学生3が殴り倒してしまう場面(この2つは学生3が嫉妬という感情を知ってしまった場面ですね)。ほかに学生2のズボンを他の3人が下ろしてしまって我にかえる場面があります。

”学生3”

 舞台上にいながら、ライトを浴びていない時間の彼らは「ロミジュリを演じていない学生」を演じています。
 そこで彼らがどんな表情で「ロミジュリ」を演じている他の子を、あるいは演じていない子を見ているのかを観ていると、「ロミジュリ」を演じている時よりも細かい演技をしているのがわかります。
 特に光る演技をしているのが青木くん。嫉妬を知ってしまった学生3。その嫉妬は「リア充への嫉妬」に似た「愛の成就への嫉妬」ではなく、ライトを浴びていない時に学生1に向けるあまりにもやわらかい笑顔であったり、ジュリエットへの想いにあふれるロミオと同一化する学生1に向ける、悲しみを帯びた視線から、学生1への恋心をおぼえてしまった学生3がそこにいました。
 しかし学生3はそれを自覚することも出来ず、それをあらわす言葉も知らず、良くない感情であろうという無自覚な直観から自分自身を抑圧し、それが爆発して学生1を殴りたおし、自分の行動に驚いてしまったのです。そこで彼が学生1への想いに気付かない(言葉を知らない)ところがまた、罪な脚本です。

”学生1”

 「ロミジュリ」を演じることに最も夢中になっている子であり、その物語の虜となってしまった学生1。ロミオと同化するあまり、「ロミジュリ」を演じていない時も、ジュリエットを演じる学生2に向ける眼差しが、笑顔が、あまりにも恋の煌めきにあふれていました。
 彼にとっての現実はもはや「ロミジュリ」です。「ロミジュリ」が完結するまで、現実に戻ることはできません。舞台後半、他の3人が現実に戻ろうと教科書を読み上げるなか、彼だけは物語を読み上げ、すがるように他の3人に物語の言葉を投げかける。一人だけ虚構に取り残された、あまりにも切ないシーンです。
 舞台は彼が「ロミジュリ」の最後の一文を読み上げ、そして「夢を見た」というセリフで終わります。彼ら4人は物語に没入した夜のことを「一夜限りの夢」として、現実の生活に戻ることとなるのでしょうが、学生1だけは肉体は現実に生きても精神は虚構の中に置いたまま一生を終える気がしてなりません。いや、そうあって欲しいとおもってしまうのは唐十郎作品に触れすぎたオタクの願いです笑。

”学生2”

 学生1と同じくジュリエットと同化してしまった子。ロミオとの恋の成就だけを願う、迫真の演技。短剣で喉を突こうとするシーンでは、演じていない2人が自然と止めに入ろうとしていたぐらい、演技の才能が開花してしまったのでしょう。他の3人が彼を「女性」として見てしまったがゆえに、キャブレット卿という権力者の役割の力を借りて、彼のズボンをおろしてしまったのかなと解釈しています。そして現実に返り、彼が男子であったことを思い出すと共に、役の力を借りて弱者に暴力をふるってしまった自分を恥じたのだとおもいます。
 学生1と違うのは、学生2を演じている時はそれほどジュリエットと同化しているように感じられないところでしょうか。終盤、現実生活に戻ろうとしたところからもそれは見てとれます。学生1が暗唱する物語の言葉に最初に反応して、物語を閉じることに手を貸したのはやはりジュリエットたるこの子でしたが。

”学生4”

 演じた役のせいか、「愛」に対してどこか傍観者のような距離感のある学生4。きっと愛情より友情を重んじるような、他の3人との友情に篤い子なのではないでしょうか。
 序盤の乳母の演技が明らかに悪ノリといえるくらいノリノリだったり、学生3が無自覚な嫉妬から結婚式の場面で台本を取り上げたことを「おふざけ」として捉え、それに乗って取り上げたりとお調子者な子供めいた部分があったりしますが、「エロスの愛」にあふれた「ロミジュリ」から、なぜか「アガペーの愛」に目覚めた子なのではと言いたいくらい随所に良い人感があふれていました笑。

”役者:北川拓実くん”

 これまで役者としての北川拓実くんを観たことがなかったのですが、実にジュブナイルの主人公に相応しいオーラを持った役者さんでした。
 彼の普段から見せている笑顔の柔らかさから来る透明感がそのまま少年の朗らかさに通じて、また歌声から感じる芯の強さがジュブナイルや童話にありがちな理不尽といえる運命の荒波に立ち向かう強さとして演技にあらわれていたとおもいます。
 そして歌とおなじく、拓実くんの奥行きのある深みのある声が、強い感情も弱い感情も説得力を持たせていました。個人的には朝が来たことを認めたくないジュリエットにむけた「ヒバリだよ」とやさしく諭すような声がめちゃくちゃに大好きです。

”役者:青木滉平くん”

 青木くんの演技は「Kappa」であったり「ぼくサバ」で観てはいるのですが、マキューシオという、女好きで大げさな表現が好きでといかにもイタリアの伊達男といった感じの役は全く観たことがなくて、あの青木くんが演技上とはいえ性的ジョークを言ってる!という衝撃をうけました笑。
 マキューシオの声の張り方が、宝塚の男役っぽく聞こえるところもあって、元ヅカオタ(短い期間でしたが)な自分としては最高にテンション上がりましたね。
 神父でありジュリエットの母でありマキューシオであり学生3であり、と演技の切り替えがとても速くて器用な印象ですが、ベースとなる学生3としての演技が一番繊細で、特にどの役でもメンタルが不安定なシーンになると、手の指が落ち着きなく動くという学生3の個性すら感じさせてくれて最高でした!

”最後に”

 まだ「R&J」公演は終わっていないので、これからまたさらに舞台が成長していくことと思います。個人的にもまだ数回観る機会があるので、その中で感想が変わることもあるかもしれません。
 とり急ぎ、この6/7,8と二日間続けて観たインプレッションを残すという意味で完結させますが、また追記した時には再び読んでいただけたらうれしいです。

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