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    「おつり」と「おまけ」

ダレかさんとナニかさんの花畑_No.03_

買い物に〈つりあう〉お釣り

「お釣り(もらってくるの)、忘れないで」
「お使い(=買い物)」を頼まれるとき、母親からの注文は細かく、ウルさかった。家計用のぜに入れはがま・・口。レシートなんかまだありませんでしたから、帰ってからの申告もラクじゃなかった。
 
 ぼくが生まれた戦後すぐの頃は、店に品物は少なく、「ひと山いくら」のヤマもチビて、買い物カゴが重くなることは特売でもないかぎり少なく、支払いにも  釣り銭にも1円玉が幅をきかせてました。
 その頃は紙幣(お札)が10円から上、小銭が10円玉・5円玉・1円玉。子どもの「お使い」に持たされる金額も、釣り銭も小さなものだった…けれども  やりとりはシビアだった(注1)。

 わが家の、お使いのキマリは、店・買い物のメモ書きと、用意の代金が入ったがま・・口とを手わたされる。
 そんなご時勢、お店の方でも心得て。ゴム紐で吊り下げたざるから小銭をつかみだす手ぎわも鮮やかに、八百屋のオバさん愛想よく  魚屋のオジさんは威勢よく声を張って「ハイ、お釣り」、手の平に並べ、「ひ~ふ~み~」と数えて見せるのにも芸があった。
 そのころ味噌や醤油は「量り売り」されたから、白味噌200㌘とかのメモ書きも「釣り銭」も  ともに細かったわけなのダ。

「お釣り」は品物と代金との「つりあい」からきたものだろう…けれど、そこには商人の客との間の「釣り・釣られ」関係もあったろう。 
 ついでに、酒屋の夕暮れどきなどには大の男たちが、「量り売り」のコップ酒を  うれしそうにチビチビる❝角うち❞風景が、子どもにはイイ社会勉強のはじまり  だったりもしましたっけネ(注2)。

どっちもウレしい… 「お駄賃」と「おまけ」

「お使い」の報酬は「お駄賃だちん」で、これがその頃の子どもたちにとっては、正月の「お年玉」とならぶ小遣こづかいの財源。
「ごくろうさま」の声と一緒に家人から手わたされるものでしたが、お店のほうでも  こんな家庭事情を熟知したうえで、「エラいね」なんて誉めてくれるの。これが商い上手ってもんで。「ご褒美ほうびだよ」って、それが5円玉ひとつでだってサイコーにうれしかったもんです。

 ついでに、このご褒美の5円玉はまた、幼児期「おまけ」にもらった飴玉からは  ちょいと〈昇格〉したことも意味しておりましたから。
 そうです…いちど  こんな経験がありましたっけ…。
 いつもの魚屋のおじさんに、「お駄賃とおまけ・・・と、どっちがいい」とタメされたんですが。恥ずかしいけど、ぼくヒジョーに悩みましてね。  あげくの応えが「…どっちも…」だった。
 もう、真っショージキにイクしかなかったの。そしたらオジさん、自分の頭ペタペタ叩いて「こいつぁマイッた、負けたよ」と、5円玉と飴玉の両方を手の平にのせてくれまして。

 ぼくはこのオジさんを「オトナにしておくのは惜しい」と尊敬。それからしばらくは「大きくなったらナニになりたい?」と訊ねられるたびに、「魚屋さん」のひとつ返事でした。

「負けとくよ」から「もってけドロボー」まで

 それくらい「お駄賃」にも「おまけ」にも感じやすかった子ども心。次に  ふとしたことから気づかされたのが、どうやら「お負け」がじつはあきないの極意らしい…ってこと。
 つまり客との〈かけひき〉で、代表的なのが「叩き売り」ってやつでした(近ごろの垢ぬけた東京、真ん中あたりじゃトンと見かけなくなりましたけれども…)。  

 これを知ったのは、ふだん暮らす住宅地から、大きく開けた〈街場〉世界へと足を踏み出したとき。上野・浅草から新宿・神田・蒲田界隈かいわい辺りとか、川(多摩川)向こうまでわざわざ行かなくたって。川崎にも繁華な辻々には露天商が出て「啖呵売たんかばい」の腕前を競ってましてね(注3)。
「叩き売り」といえば「バナナ」。ほかにも「瀬戸物(陶器)」とか「反物たんもの(呉服)」「乾物」など  いろいろあったんですけど、なにしろ口上と間合い勝負で客を魅きつけちまう  怖いくらいのもんでした。
 勢い余って「もってけドロボー」とばかり「捨て売り」になっちまう短気者から、客の同情心につけこんで稼ぐ「泣き売り(泣きばい)」まであって多彩だったの(注4)。

 ごめんなさい。ここで  ちょいと脱線…〈バナナ〉余話。
 戦後(ハッキリいえば❝敗戦後❞)の日本、庶民社会に明日への希望を抱かせてくれたのがコレ、といってもいいくらいのバナナ。明るい黄色、チャーミングにウェーブした皮は手で剥けて、クリーミーな甘さで栄養も豊富。気さくな果物の王様…といってもまだ、けっして安価なものじゃなかった。
 ところは  その頃の、日本一のデパート日本橋三越(注5)。
 それも、正面入り口を入ってすぐのエントランス・ホール脇で(きっとなにかのデモンストレーションでもあったのでしょう)、バナナが山のように積まれた景色にアットーされてしまった少年ガキのボクは、つないだ手をひくや「お母さん」と声を張り上げ、「ぼく  まだバナナ食べたことない」と訴えましてね。
 後で母は「あんな恥ずかしいことなかった」と述懐してましたし。吾ながら(ヤなガキ…)の所行ではありましたが…この咄嗟とっさの思いつき勝負作戦は効果覿面てきめん、まんまとゲットに成功と相成ったのでした。

 …つまり…そんな世の中のバナナであり、「叩き売り」だった。ほんとにしなりのいい薄合板を何枚も重ね合わせ  その上から段ボールを巻き付けた板で、思いっきりバンバン叩きながら、はじめはホンの冷やかし気分でとりまく客たちに向かって挑みかかる威勢、ハンパじゃなかった。
「お負け」精神から生まれたのにはチガいない「啖呵売」という芸は  それほどのもの。

「寅さん」ワールド…は現代の実演販売

 このコワいくらいにスカッとした「叩き売り」が、これほどまでにツヨく印象にのこることになったワケは、もうひとつ「押し売り」という戦後すぐの社会病(…だとボクは思ってます)が、対極にありました。
 戦地から復員した兵隊さんたちのなかには、ふつうの仕事には就きにくい傷病兵の存在があって。こういう人たちが白衣姿も痛々しく松葉杖なんかついて、歯磨き粉とか売りに来るんですが。その素人商売のやり方というのが、やむをえないとはいえシツコい一手。

 内地にいて生きのこった人たちには(兵隊さんはご苦労さん)の気もちがありますから、要らない物でも買わされることになる…そこはガマンするんですけど、それよりも気もちにシンコクだったのが〈暗~い空気〉をもちこまれてしまうこと。
 さらには  これをマネて、ナンの関係もない者までが傷病兵になりすましての騙し売り「かたり」が横行する。これなんかも「泣き売」の一種とされましたけど、とてもとても「啖呵売」の隅にもおけない嫌味なものでした。

 ほんものの「啖呵売」ってのは、呼吸いきなんですよね。
 たとえば「高ぇな」と客が値引きをもとめるでしょ。すると、その声と一言二言ひとことふたことやりとりしておいてから、「負けたョ」と応じる…その呼吸いきのつかみ方がコツらしい。
 この映画『男はつらいよ』の寅さん世界には、「実演販売」とか現代マーケティング手法にも通じるものがあったりもするわけで。

駄菓子屋(イラストACより)

「おまけ」がウレしい

 ま…そういうわけで「おつり」と「おまけ」。
 あの頃「グリコのおまけ」でミニ経済社会の入り口に立たせてもらった子どもたちにとっては、本屋さんにけば「付録」いっぱいの幸せなお楽しみ世界でもありましたっけ。

 高校同期の古い友だちに、神田に明治時代からつづく老舗の居酒屋「みますや」主人(いまは隠居)がいて。いうまでもない江戸っ子。こんな旧友ならではのウレしさ味あわせてくれるのが、なんでもない一言の挨拶だったりします。
 過日。みやげの品に添えておいた小物にさりげなく返してくれたのが、「おまけ・・・がうれしいネ」  
 庶民はこうでなくっちゃ…ね。


(注1)戦後すぐの通貨事情…明治維新の新貨条例によって日本の通貨単位
    は「円」になったわけだが。戦後しばらくの間は「円」の下「銭」
    (1円=100銭)がまだ通用していて、廃止は1953(昭和28)年。
    現在も通用している硬貨の発行開始は、1円が1955(昭和30)年、
    5円が1948(昭和23)年、10円玉が1959(昭和34)年。
(注2)角うち…「立ち呑み」の俗な呼び名。語源で有力なのは「升で呑ん
    だ昔のなごりで、升は角で呑むから」というのと、もひとつは「決 
    まった席のない立ち呑みマナーとして、店が混んでくれば客同士た
    がいに身体をゆずって斜めに構えたことから、これを将棋の〈角打
    ち〉にたとえた」。ぼくは後のほうを支持します。
(注3)川崎宿…東海道五十三次2番目の宿場。民謡『お江戸日本橋』に〽
    六郷わたれば川崎の…と唄われ、川崎大師参詣の客で繁盛した。
(注4)泣き売…啖呵売のなかでも異色の不思議世界。なぜか「 万年筆工場 
    が火事で失業しまして…」のツクリ語りから客の同情に訴えかけ、 
    灰の中から摘まみ出した部品を組み立てながら売りつける。この仕 
    事には、客に化けて商売を助ける「サクラ」が付き物だった。
(注5)三越日本橋本店…始まりは江戸時代の越後屋・三井呉服店。明治38
    年(1935)に日本で初めての百貨店となり、エレベーター・エスカ
    レーター・スプリンクラー・全館暖房などの最新設備でも時代をリ
    ードした、格上・段違いの一流デパート。


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