リッチコンテンツよりもニッチコンテンツを愛そう
リッチコンテンツ。
アニメや映画、音楽のような動的なコンテンツのことを指す。
ニッチコンテンツ。
現在の市場において、主流ではないコンテンツ。ここでは、ラジオや文芸、演劇などを例として考える。
まず、前提として、リッチコンテンツとニッチコンテンツは両者が対立軸にあるわけではないことは留意しておかなければならない。例えば、ラジオや演劇はリッチコンテンツであると同時に、ニッチコンテンツと言えるだろう。
その一方で、今の時代はリッチコンテンツがメジャーコンテンツ(リッチコンテンツの逆)になりがちである。なぜなら、情報技術が発達した現在、今まで技術問題で送受信できなかった、容量の多いニッチコンテンツの送受信が誰でも行えるようになったためである。私たちはテキストよりも映像や音声の方がコンテンツとして摂取するのが楽であるし、何より表現の幅が広い。そのため、現在ではリッチコンテンツがメジャーコンテンツになっているのはある意味、当然の流れであると言える。
しかし、リッチコンテンツは今やレッドオーシャンになりつつある。YouTuberはごまんと生まれ、アニメや映画はNetflixやAmazon Primeに、音楽はSpotifyやApple Musicといったプラットフォームの中に押し込まれ、飽和状態にある。
逆にいえば、ニッチコンテンツにはそのようなプラットフォームによる押し付けが少ない。なぜなら、利益が出ないためである。例えば、文芸。文芸はkindleやブックウォーカーなどいくつかプラットフォームがあるが、それらがコンテンツそのものに与える影響はリッチコンテンツのそれよりは弱い。なぜなら、市場そのものが小さいがゆえにプラットフォーム側も利益を上げられないためである。
そのため、ニッチコンテンツにはまだまだ大きな可能性がある。制作側が自分達でプラットフォームを創ることもできるし、リッチでないニッチコンテンツであればサーバー管理費やプラットフォーム運営費も低くて済むだろう。つまり、まだまだ色々と挑戦できる余地があるし、Web3.0と言われるこれからの時代は、中央集権的なプラットフォームシステムが崩壊し、分散的なネットワークに移行していくはずだ。今こそ、ニッチコンテンツを愛そう。その魅力に取り憑かれよう!