人助けを頑張るあなたは、犠牲になり続けてはいけない
人を助けることは素晴らしい、と言う人は沢山いるでしょう。
でも、ときには人助けをしなくても良い、と言う人はあまりいないように思います。
私も大多数の人と同じように、人を助ければ褒め称えられる環境で育ちました。
褒められたがりだった私は、率先して善行を積もうとして、喧嘩の仲裁やお悩み相談役を買って出ていました。
特によく悩みを聞いていたのが、小学校からの仲良しで習い事も同じだったAちゃん。
中学に上がるとそれは一層増え、家庭の問題やいじめもあり、彼女は頻繁に「死にたい」と言うようになりました。
不登校気味にもなっていたので、先生たちも話を聞こうとしてくれてはいたのですが、Aちゃんは大人に対する不信感が強く、詳細を話そうとはしませんでした。
また、当時ほぼ学年崩壊状態にもなっていたため、先生たちも手が回らず。
「話を聞いてあげて」「別室にいるから給食を運んであげて」と、次第に頼られることが増えていきました。
私は頼りにされて誇らしかったのと、当然大切な友達を助けたいと思っていたので、Aちゃんの傍に居続けました。
共感してみたり、なだめてみたり、図書館でカウンセリングの本を借りて読んだこともあります。
とにかく全力でAちゃんを死なせないようにするのが、私の使命だと思っていました。
しかし、状況は好転しないまま、私もいじめを受けるようになりました。
思い当たる原因のない無視。トイレから戻ったら消えている上履き。一緒に帰っていたクラスメイトが楽しげに叩いていた陰口。
ニュースになるようないじめと比べれば可愛いものですが、思春期真っ只中だった私には十分なダメージです。
一人で抱えず誰かに相談したほうが良い、という知識はありました。
でも、Aちゃんから相談を受ける側だった私は、人の負の感情を受け止めるのがいかに大変か、身を持って学んでいたので、誰かを私が同じ目にあわせるなんて考えられませんでした。
Aちゃんの「死にたい」は相変わらずで、当時私は携帯を持っていなかったため、交換日記やら、FAXやら、固定電話やらで話を聞き続けていました。
自身の問題もあり、しんどくなってきていたのですが、私が見放してAちゃんにもしもの事があったら……。
そう思うと、やめることは出来なかったのです。
徐々に、意図せず涙が溢れるようになり、食欲がなくなって体重も落ちました。
Aちゃんが見込むとおり、死んだら楽になれるのかもしれない。もう悩まなくて済む。我慢しなくて済む。
頭の中は、そんな考えで一杯でした。
結局、中学を卒業して別の高校へ行くまで、私はAちゃんと共にいました。
卒業のときは、寂しさより解放感が強く、晴れやかな気持ちだったことを覚えています。
しかし寧ろ、問題はここからでした。
中学三年間で私に染み付いたものは、卒業したからといって無くなる訳ではありませんでした。
我慢癖、希死念慮に加え、もう二度と巻き込まれないために、人との深い関わりは避けるようになりました。
幸い部活の仲間には恵まれたものの、高校以降、他に今も繋がっている友達はいません。
一方、Aちゃんはというと、高校で新しい友達もでき、少なくとも中学よりは楽しく通えているようでした。
私は、「元気になって良かった」と安堵する反面、「私が必死にならなくても大丈夫だったんだな」と勝手に騙されたような気分になってしまいました。
さて、私が書きたかったのは、Aちゃんへの恨み節ではありません。
叶うなら、当時の私に教えてあげたいのです。
自分を犠牲にし続けてまで、人助けをしなくても良い。
助けられるほうもそこまで望んではいないし、無理して出来た傷は一生あなたを苦しめるから。
届くはずもありませんが、代わりに今、人助けを頑張っている誰かが拾ってくれることを願っています。