「オオカミの家」という映画
今日レイトショーでめちゃくちゃ良い映画を観てきました。「オオカミの家」っていうんですけど
公開当初から気になってたけどうかうかしてたら終映。けどありがたいことに公開から1年してリバイバル上映。今日観てきました。
以下ネタバレというか解釈ゴリゴリの感想です。観てない人が読むのは勧めません。
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「コロニー」=「家」=「共同体」の話だった。
「ああしてはいけない」「こうしなさい」「なんでそんなこともできないの」そう言われ続け罰を受け続けた一人の少女マリアが、「コロニー」を逃げ出し、家主のいない家に転がり込む。そこで自分の、自分だけの「家」を作り上げようとして尽く失敗する話なのだと思う。その上で「オオカミ」や「豚」というモチーフが登場する。
「豚」はコロニーや家の中で管理され世話される対象の隠喩だと思う。マリアも、逃げ出したコロニーの中では「豚」だった。無知の豚。しかし無人の家に転がり込んだマリアは、家の中で子豚を見つけ、「世話」をする。
「オオカミ」は「豚」の逆。豚を喰らう存在。豚を管に理し育て上げ、喰らう。マリアはこの「オオカミ」に酷く怯えていた。
「家を出てはいけない。外にはオオカミがいるから」
しかしチリには狼は存在しないそう。存在しない脅威。あり得ない虚像に対する畏怖。それに怯え続けるマリア。「外」に怯え続ける少女。「外」とはつまり「コロニーの外」だ。
また、オオカミはこう言う。
「おれはお前の中にいる」
マリアも豚を飼育していく中で、自分好みに仕立て上げ、人間の頭を与え、人間の美を与えた。マリアは意図せずかつての家で植え付けられた観念を、豚たちに投影する。自分が忌避した「共同体」の残虐性を自分の子ども=豚たちに当てはめる。
そして、結局マリアは「自分だけの家」を作り上げることに失敗する。忌避した「オオカミ」の下へと帰ることを決意する。
そしてオオカミの声は最後こう言う。
「お前も世話してやろうか?」