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祖母との闘いの末は

noteでお付き合いがある方の企画にはなるべく参加したいなぁ、と心がけている

ステキな企画が多いからだ

で、今回はコレ

例文に

「おばあちゃんが手作りで作ってくれた手袋を大事に使い続けている....」

ってあって、「ぬぬぬぬぬぬぬ~」となった

わたしは祖母との関係は女帝VS召使以下、祖母にはクソみそに扱われていたから、そんな優しい思い出なんかないからだ

けど、わたしは編み物はしないし、思い出となると祖母になる


へなうさ工房
トナカイさんの鼻と角はいつもコレ

祖母は所謂いわゆる明治のオンナで、ナニかと言うと「オンナたるもの」と口うるさかった

更に、時代は昭和、離婚再婚が珍しかった時代に我が家は生みの母が子どもを置いて出てゆき、新しい母がやってきたので世間の目が厳しく、それに対抗(?)するために、極端に厳しく躾けられた

そして我が家は祖母という女帝が君臨している極端な男尊女卑家庭だった

その上、祖母はわたしの生みの母も育ての母、どちらも気に入っておらず、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの法則でわたしのことを極端に嫌っていた


幼いころから家事全般をやらされ、常にアラを探されては体罰を受けていた

今の時代だったら幼児虐待で通報されただろうな、というくらい凄かった


クリスマスリース
追加発注があり、大慌てで追加作成

そんな祖母は自身にも厳しいところがあって、常に何かしら手を動かす、ということをしていた

中でも一番やっていたのは編み物

だから極寒の地岩手で暮らしていたわたしの冬の帽子も手袋もすべて祖母の手作りだった

編み物って、ほどけば何度でも使えるからそれらのものは誰かの何かをほどいた再利用のものだったけど、新たに編みなおして手渡されると、嬉しかった

あれだけ虐げられて育てられていたのに、やっぱり編み物をしている祖母の姿は一生懸命で、それが自分のためだと思うと嬉しいものだった

ほどいた毛糸を薬缶の先につけた毛糸を通す金具に通し、湯のしして巻くのを手伝いながら、「今度は何を編むんだろうな」ってワクワクした

友達は市販のおしゃれな帽子と手袋で、やっぱりそれは羨ましかったけど、それでも不思議と祖母の帽子と手袋で満足していた


なんでだろうな、、、



トナカイさんは一晩乾かして色塗りする

わたしが手仕事が好きなのは明らかに祖母の影響が大きい

祖母にはたくさんの家事を躾けられ、裁縫もそして編み物も教えられた

厳しい人だったけど、幼くて同じ調子に編むことができないわたしの編み目を丁寧に数えて、一定の調子になるまで何度もほどいてはやり直しをさせた

辛抱強く付き合ってくれた


今思うと、そんな祖母の躾がいまの自分のベースにある


わたしが植物の手入れを癇性的にするのも、弟子にさせるのも、たぶんそういうところからきている

毅然と美しく生きる

大切なものは丁寧に扱う


編み物はしなくなっちゃったけど、祖母の教えはわたしの中でちゃんと生きてるよ



追記:
ふと、編み物に関する思い出は祖母のみって書いたけど、もう一つ印象的なオハナシがあった

それは、またいつの日にか、、、



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