はなをいけると心が救われるんだよ
わたしが家族との関係が最悪になり家を出たのは厄年の春
岩手の山奥で生まれ育ち、祖母の介護と仕事しか知らない世間知らずが東京でひとりで暮らすと決心しての上京だった
友人たちに「ここに人が住んでるの?」と驚かれるような六畳一間のボロアパート
親とケンカ状態で家を出たため、必要最低限もない状態での独り暮らしの始まりだった
電気も机もない、がらんとした部屋
夜はテレビの光の中、アイロン台にビニールを敷いてその上で、食器もなくて鍋からご飯を食べていた
そんな暮らしだったけど、実家から花器を3つだけ持ってきていた
花をいけることを諦める、そんなことは思いつかなかったから
東京で最初に勤めた会社の給料はとても安く、今だったらソッコー労基署が飛んでくるような劣悪な雇用環境だった
そこの給料だけでは生活できなくて、土日はクリーニング店でアルバイトをしていた
それでもギリギリの生活で花を買うなんてもっての外だった
都会の花屋の花はとても高価だった
それでも仕事の帰り道、何度もなんども花屋を覗いた
そして値段を見ては諦めていた
今日こそは1本花を買おう!
そう決心して花屋へ行っても
「この値段だったらキャベツが1玉と玉ねぎが3コ買える」
そう思うと手が出なかった
いつも目に涙をいっぱいためて花屋の前を通り過ぎた
そのボロアパートは東武東上線沿いにあり、線路わきに生えている雑草とよばれる植物を摘んで来てはコップに挿して飾っていた
雑草だろうが誰も見向きもしなかろうが、わたしには嬉しい植物だった
元気をくれる植物たちだった
電車がゴーゴー走る音がして揺れる部屋で独りぼっちでその植物をぬぼー、と見て過ごしていた
寂しくて悲しくて辛くて荒んでいる心がどんどんほぐれていった
わたしがいけばなを多くの方々に知って欲しいのは、はなをいけるという行為は心を救う行為だからだ
実家にいた頃、家族、特に最後の方は義母との関りが最悪で、介護も辛いし、仕事は今だったらブラック企業だったし、何度か生きることを放棄しようとした
それでも今日、わたしはここにいる、生きている
毎週水曜日、欠けることなく通った「いけばな稽古」があったから
静かな稽古場で独り植物と向き合う
植物の生命力を手から感じながら荒れ狂った心が凪になっていく
明日も立ち上がって歩いていこうって思う
それをひとりでも多くの方に経験して実感してもらい、広まっていくようにと願ってる
今日、辛いと生きる希望を失っている方々に届きますようにと願ってる
なのに、わたしひとりの声は小さくてか細くて、ぜんぜんどこにも誰にも届かない
諦めろ、という声ばかりがわたしを取り囲む
今日読んだガリレオシリーズの湯川先生のセリフにこんな言葉があった
「諦めるな、一度諦めると諦め癖がつく」
諦めそうになったわたしの心を押してくれた
諦めずにもう一度言ってみよう
はなをいける行為は心を救うんだよ
一緒にはなをいけましょう
9月9日(金) 京都でイベントします
たくさんの方が来てくださいますように!