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人間が生きる意味とは?死ぬ意味とは?

いつからか私は「なんで人間は生きるんだろう?生きる意味は何だろう?」と学生生活や人間関係、将来は働いてお金を稼いでいかないと生きていけない現実、他にも諸々のことが私に影響を与えて、この「何で人間は生きるのか?」という疑問がだんだんと大きくなっていました。

周りからは「生きる意味なんて考えたことはない。そんなこと考えなくても生きていける。」と言われ「確かにそうだ。自分でもこんなこと考えても意味がないんじゃないか?」と思うこともありましたが、自分にとって嫌なことがある度に「なんで生きなきゃいけないんだろう?自分は一体何をしているんだろう?」という疑問が出てきてしまいました。

「そういうのは逃げの思考だ!もっと現実を直視して目を背けずに考えないと!」と言われれば、それまでだが、どうしても気になってしまうのだ。思えば、小学校、中学校、高校、大学、大学院と必ず課題が出て、それを消化して、また新しい課題が出て…結局その繰り返し、社会人になっても同じようなもので与えられた課題を消化して成果を出して、お金をもらって生きる。「これだと動物とそこまで変わりがないのでは?いや、むしろ人間に大切に飼われる犬や猫の方がいいのではないか?」と思うほどでした。

色々と考え自己啓発本などを読んだ結果、「自分が好きなことを職業にしなさい。」という生き方が提示されていました。一時は納得したものの「自分が好きなことで生きていけるのか?そこでも結局、努力して成果が出なきゃお金がもらえなかったら不幸じゃないか?人生で成功することを自分は望んでいるけど、例え成功したとしても仕事をやって消化して、お金もらうという繰り返しじゃないか?普通に企業で働くよりかは良さそうだけど。」と、ぐちゃぐちゃと考えていました。

でも、今までこんなことを考えていると「いつまで、この同じことが繰り返される人生を生きなきゃいけないんだろう?」という漠然とした思いがありました。楽しいこともありますけど、やっぱり苦しいことの方が多い人生です。これからもその繰り返しをしながら生きていくのは嫌でした。

そうやって自暴自棄になりながらもネットで「生きる意味」を検索していたら偶然にも、そのことを発信している方がいました。その方が生きる意味から仏教の浄土真宗のことを教えてくれました。今では一緒に浄土真宗の教えを聞いているグループに参加しています。

それで結局、人間が生きる意味ですが、文章が長くなってしまうので物凄く省略します(笑)。浄土真宗においては「死んだ後、お浄土へ往生する功徳が南無阿弥陀仏という言葉に詰め込まれているから、これを称えた者を往生させる」ということが説かれています。これが人間が生かされている意味だそうです。

言われてみれば自分は最終的にどうなれば幸せになれるのか分かっているようで実は分かっていないことが浄土真宗を聞いていくと知らされてしまいます。

それでも、「なんか、いきなりぶっ飛んだこと言ってんな。大丈夫か?」という声が聞こえてきそうです(笑)。しかし、今まで浄土真宗の教えを聞いてきて、自分にはこの南無阿弥陀仏には私の思いや考えを遥かに超えた力がありそうだと思っており、そしてそれに意図せずに遇った人の言動は何か他の方と違うものを感じるほどです。

しかし、実際、私には南無阿弥陀仏というたったの6字が死んだ後にお浄土へ往生させる働きがあるのかは分かりませんが、浄土真宗のお話をこれからも聞いていきたいと思っています。

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図. 私の先生が書いた絵、南無阿弥陀仏と阿弥陀仏

長くなってしまいました。今日はここまで!んーじゃあ、マタネッ!!!

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


最後に浄土真宗について詳しく書いてあるnoteを紹介しますので、興味がある方は読んでみてくださいね。


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