自身の中の「ダーク型INFP特性」と向き合ってみようじゃない。
NoteのMBTI界隈で、こんな記事が話題となっている。
この中だと私は「純朴型INFP」であることは、こちらの記事で証明した。
しかし、一方で
ってのも事実。
あれ?もしや私、ダーク型でもあるのか…?
そこで今回は、ただ「純朴型」なだけではない、私の中の「ダーク型INFP特性」と向き合ってみることにする。なお、エピソードにはフェイクが多数入っている。
「自殺」という概念を知らなかった頃
小学校高学年頃、私はクラスのほぼ全員から、いじめを受けていた。しかも、あの頃の担任は助けてくれず…詳細は、この記事に書いた通りである。
そんでもって、家にも居場所のなさをやや感じていた。両親がよく喧嘩をしていたからである。
この頃の私が思っていたのは、こんなこと。
「2人とも、早く離婚してくれないかな。そしたら、母親に引き取られて、ばぁばの家で暮らせて、学校も転校できるのに」
当時の私は、自殺という概念を知らなかった。
だから、「自殺したい」と思うかわりに、両親の離婚を望んでいたのだろうね。
「死」を望むようになった中学時代
中学受験に失敗した私は、地元の公立中に入り、吹奏楽部に入った。幼稚園からの幼なじみが久々に同じクラスになって、部活も一緒で、嬉しかった。
相変わらず私のことをいじめてくるやつは結構いたけれど、全員ではなかったし。
そして、吹奏楽部の部長先輩に恋をした。身近な同性に恋をしたのは初めてであった。
しかし、好きすぎるあまり、例えばサックスのパート練の部屋を覗くだの、誕生日に突然手紙を書くなど、少し暴走した行為に走っていたのも事実だ。
そんな感じで、何か異様な雰囲気を纏っていたのを2つ上の先輩たちに勘づかれ、陰湿な嫌がらせを受けるようになったものの、すぐ引退したこともあり、まあ別に問題はなかった(ちなみに、同じトロンボーンパートの同級生いわく、「先輩に殺害予告を送った」という噂が広まっていたらしい…そんな事するわけないのに)
まあそんな感じで、先輩や同級生の一部からいじめを受けつつも、なんとかやり過ごしてきたのだが…。
1年の3学期頃になって、状況は大きく変わった。
先述した幼馴染が、突然私を裏切ったのである。SNSに、「私の髪型真似してくる」、「先輩をストーカーしている」などと事実無根のことや、悪口を書かれたのだ。
そんでもって、先輩の件で同級生からも色々言われるようになってしまった。レズキモいとか、先輩が可哀想、とか。
そこで、私は思ったのだ。
「死にたい、私は死ななきゃいけないんだ」って。
でもそんな勇気がなかった私は、ただリストカットする他なかった。
どこで自殺やらリストカットやらの知識を得たのかは、もう覚えていない。
好きな曲の変化
ところで、当時の時代背景といえば、「ボカロ全盛期」だった。
話が前後するが、当時は、まあ、依然ドルオタも少しはしていたが、それ以上に、2次元、特にボカロにハマっていた。それもまあ、いじめられた理由の一つだし、幼馴染にも「キモオタ」呼ばわりされたんだが…。
振り返ってみると、当時聴いていた曲には結構、「ダーク寄り」なものが多かった。特に好きだったのが、Neruさん。ボカロ文化というのがそもそもN型寄りだと思うが、Neruさんの曲は特に、「ダーク型INFP」な世界観を反映していた印象だ。
語ると長くなるので、またの機会に。
ダーク要素を手に入れた私
てな訳で「ダーク要素」を手に入れてしまった私は、高校入学以降も度々「ダーク化」するようになっていった。
例えば、こちらの先輩との件があった時。
その後、部活で色々あったり、同級生にアウティングされたり、他にも色々あって「私は嫌われ者」と思うようになったり。
そして、先述した「学校記事」の「お嬢の件」があった時(人に依存するのも、ある意味「ダーク」の極みだ)。
高2の修学旅行の件(私は問題の当事者ではないが…自他境界が曖昧なのだ。これはまた記事にしたい)。
何かあるたびに私は「ダーク化」し、そのときは決まって、リストカットをしていた(とても浅いので跡はもう残ってない)。
リスカ以外に、首を絞めるなどもするようになった。
カフェイン中毒で死なないかと思って、カフェインがぶ飲みしたこともあった(バカ)。
風邪薬を若干ODしたこともあった。
離人症に苦しんでいた。
食べ吐きもあり、かなり痩せてしまった。
学校記事などで度々話題にしていた親友・ケロにも「鬱トークばっかりやめて」と言われる始末だし。
3年になったらちょいマシになったけど、周囲への憎悪感情も大きく、人と関わる気力もなく、「ぼっちキャラ」だったし、
上記の記事のマダム先生にもそのことでごちゃごちゃ言われたり。
でも、この高校時代を経て、
例えば、パパ活とかそっち方向に行かなかったのは…根が純朴なのもあるし、環境も大きいけど…
上記にあるような「表現」に救われていた面も大きい。
演劇部の活動なんて、もろ「表現」だし。
やや痛いSNS投稿も「表現」。
信頼できる人と話すことも「表現」。
あとは、よく絵を描いたりもしていたし、ポエムを書いたりもしていた。
駅前のカラオケ屋に1人で行って「歌う」ことも、ある意味そうか?
ちなみに当時は、ボカロやアニソンをよく好んでいたのと、邦楽ロック、そして、坂道グループの曲もよく聴くようになり、カラオケでもよく歌っていた(特に欅坂)。
要は、そういった「表現」をすること、そして、他者の表現に触れることで、自分の中の「ダーク性」と折り合いをつけていったのではないか、そんな気がする。
私には、「表現」が必要だ。
今でも時々「ダーク化」するものの、リストカットなどはほぼしなくなったし、以前よりダーク化しにくくなったような気がする。
それは、人と話すとかそういう日常的なことも含めて、「表現」の手法を多く持つようになったからではないか、そんな気もする。
特に、このNoteの存在はとても大きいな、そう感じるのである。