大嫌いな自分を書く
書こうか、書かないでおこうか
そんな記事が眠っていませんか?
正直に言うと私はかなりあります。
ある程度時間をおいてみて、「こんな事書いていたんだな」と消す事も有るし、「ここ修正して出しちゃおう」となる事もあります。
今回の記事も悩んで悩んで、寝かせて発酵しちゃっていた記事ですが、もし今悩んでいる人が同じようにいたら、と思って出すことにしました。
夏も終わりだし、関係ないけど。
一言で言うと、
私はストーカー被害に遭いやすいという事です。依存されやすいとも言います。
私の性格に非が全くない訳ではないと、後から考えると、「あぁあの行動が駄目だったかな」と思う事もあります。
始まりは、
学生の頃、本屋さんでバイトしている時。
いつも来る常連さんがいました。
美容室経営の方で、雑誌を大量に予約、取り置きされている方でした。
本屋さんって会計の時にしか基本的に会話はしないのですが、その方が毎回領収書を言われるので、入ってこられた時に、毎回私は前もって準備していました。
名前もお店の名前なので数回聞いたら覚えます。
それが好意として取られ、
バイトまでに使っていた自転車の籠に缶コーヒーやお菓子が入るようになりました。
最初はだれか分からず、忘れ物だと思って持ち帰る事はせず、パーキングに置いて帰っていました。
それがしばらく続き、その次は後を付けられるようになりました。
車で低速で付いてくるのです。
初めは同じ方向かと思っていたけど、止まると止まるし、気持ち悪くなって、車が通れない道をわざわざ選んで帰宅する様になりました。
すると、ある夜、また自転車の横を低速で付いてくる車があって、怖くて引き返そうとした時、
窓が開いて、その美容室の方が「お疲れ様」と私の自転車の籠に小さなテディベアを入れました。
私は怖くて、本屋の横にあるスーパーまで戻って、そこでバイトをしていた同級生に助けを求めました。携帯電話など、まだ高級だった時代です。
直ぐ父が車で迎えに来てくれて、
結局そのテディベアには盗聴器が入っており
美容室の人は本屋に出入り禁止となり、
私もバイトを辞めました。
後から聞いたのですが
既婚者でした。
友達だと思っていた人がストーカーになった事もあります。
年上の彼女と上手く行かない相談を聞いていたら、いつの間にかストーカーでした。
その人の親が一時期、所謂”議員”ってやつだったので「いう事を聞かないとお前の家族をめちゃめちゃにする」と夜中に電話で言われたり、
勤めていた銀行に待ち伏せされたり、
意味なく一日中ロビーに座っていたり。
これも父に相談して、警察に相談する寸前まで行きましたが、向こうが議員の父親の顔もあって、引きました。
「お前の行動が成せる事だ」と父から叱責されました。
領収書を準備しておくのも好意と取られてしまうのか?
話を聞くのも好意なのか?
頭がぐちゃぐちゃになりましたが、当時の私にはわかりませんでしたし、ぶっちゃけ今も分かってません。
空気が読めない性格で、物事をオブラートに包めない話し方で、ボーイッシュな性格です。
今は、回避として、出来るだけ人とは距離を取るしかないと思っています。
そのため人と
群れる事は苦手で
出来るだけ一匹狼でいます。
話すと人懐っこい性格と言われます。
人見知りって確かにしないかもしれません。
何人来ても知らない人だらけでも平気です。
「そのずばずば言う言い方が好きだって人もいるよ」と言われた事もあります。
ヨーロッパにいたときは、
挨拶が頬っぺたくっつけたり、
ハグだったりに全く抵抗が無かったのは、
私が他人との距離感で
OKとする範囲が近い事も原因かもしれません。
現に調停離婚した元DV日本人夫も
結婚前の私に10年以上執着していたので、
私ってそうだと思うしかないのでしょう。
そして今、
支援を担当している人からの依存があります。
引きこもりで45歳まで来て、
変な宗教にハマっちゃった過去がある。
家族とも距離があり、
自分の話を聞いてくれる人が今までおらず、
それが唯一私だったのかもしれません。
きっと現実にはたくさんの人が声をかけてくれたのでしょうが、その方の性格上、流してしまって来られたはず。
私は仕事なので、根気強く聞く必要があります
が、それが依存に繋がってしまった様です。
駐車場での待ち伏せや、私の出勤時間や日にちの確認。
もともと急な変更などが苦手な利用者の方も多く、職員の行動はスケジュール表にて開示しているのですが、私が別の支援で外出したり、外回りに行くとパニックになられます。
今、一番の課題かもしれません。
徐々にですが、1対1の面談でなく
私以外の職員も同席し、
面談を行うようにして半年。
半歩くらいは依存が薄らいできたでしょうか。
私にしか話せない事がある、と言うのは人間関係の構築や気持ちの問題から理解が出来るが、駐車場での待ち伏せ等は私にとっては恐怖でしかなく、それはご自身が持つ、嫌な記憶や怖い経験と同じですと話して、改善されています。
ご本人は自分の行動によって誰かを怖がらせたり、不快にさせていると自覚が無かったとのことで驚かれていました。
認知のズレは必ずしもあるので、ハッキリと伝えて理解してもらう必要を感じました。
今までの社会経験の少なさや
人との関わりの無さが生む事だろうと思う事なので、それも一つの支援対象だと思います。
それにずっと言っている事は、「就職された後の職場に、私はいません」という事です。
今は私を頼って依存しても良いが、一生ついて回ることは無いという事実も伝えています。
その上で、
私の様な存在の人を一人でも多く作りましょうと、多くの支援とつながっている今、多くの人と関わり合いを持ち、多くの依存先を作りましょうと話しています。
これはちょっと難しいようですが、根気でやるしかないなと思っています。
伴走している、と思っていたら依存されていたという事になっています。
バイトの時や銀行員の時のストーキングとは少し異なりますが、一時期、私は匙を投げました。
「もうあの方の支援は無理です」と。
でも私が投げてしまったら、またその方は引きこもりに戻ってしまうかも知れません。
周りのサポートもあり
支援のやり方を変えて試行錯誤で今です。
20年以上人と関わってきていないという時の流れは、そうそう変化しないもの。
人の考え方や思考パターンも年齢と共に柔軟性を欠く事を目の当たりにして
正直、匙を投げたい気持ちもあります。
怖かった記憶が蘇る。
嫌だった記憶が近い。
大嫌いな自分と向き合うのは
ぶっちゃけキツいです。
けれど、必要とする人がいるなら
突き進んでみよう。
大嫌いな自分を突き進んでみたら
どうなるか
やるだけやってみます。
クソったれな大嫌いな自分!!
未だにスキ制限中です(T ^ T)
すいません…。
悲しいかなぁ。
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