【読書記録】「見ること」
サラマーゴ 著 / 雨沢泰 訳 / 河出書房新社
概要
首都で行われた選挙で、大量の白票が投じられる。政府はそれを緊急事態と捉え、首都を封鎖、警察をはじめとする公的機関を首都から撤退させる。
思ったことメモ
※ここからネタバレを含みます
①「白の闇」との再会
実は「白の闇」の続編として書かれており、医者の妻ら懐かしい面々と再会することができた。医者の妻が率いたグループの人々が、今でも交流を持っていること、斜視の少年が母親と再会できたことなども描かれており、嬉しかった。
②作中の社会はどうなっていくのか
そんな喜びをよそに、政府の動きは非常に不穏です。白票の大量投票を、何等かの勢力が扇動したものと捉え、それを真実にすることに躍起になるのだ。最終的には医者の妻が盲目病のときに一人だけ健常であったことを知り、その事実と白票とを結び付けようとし、それを知らせる新聞を発行するに至る。少し考えれば論理が破綻していることに気づきそうなものの、多くの人々がその記事を信じ込んでしまう。
医者の妻の写真を手に入れるために捜査に当たった警視が、自身の仕事に疑問を持ち、真実を伝える記事を発行するが、最後には暗殺者の手にかかって命を落とし、さらに「国のために戦った公務員」という美名を着せられてしまう。さらには医者の妻までもが殺されるところで物語は幕を閉じるのだが、ではこの社会はこれでおしまいなのだろうか?
絶望的なラストから、いったん独裁の時代に入って行ってしまうことは確実だと思われる。それでも、名もない市民の中に、「見る」人々がいることが救いだと私は思った。警視の奔走により発行された新聞は、数時間後に政府によって回収されてしまうが、一部の市民によってコピーが出回る。しかも、嘘を告げる記事の第二弾(医者の妻が前作でレイプ犯を殺したという記事)が出た後でも。これは、ほんの一部の人でも、ちゃんと「見て」抗議する人がいることを示している。そもそもが白票の大量投票が陰謀でも何でもないとしたら、多くの市民が自分で考えた結果白票を投じたことになる(※白票の扱いが日本とはちょっと異なるようです)。となると、いつかあの社会に民主主義が戻ってくる希望もあるんじゃないかと思うのだ。
そしてじゃあ日本はどうかというと、この作品に出てくる社会ほど期待はできないように思う。米が不足するというニュースが流れるとあっと言う間にスーパーからコメが消える社会、オリンピックで政治家の犯罪が有耶無耶になる社会、選挙のときですら政策とは関係のないところを言い立てる社会(関心のない層のことを考えると言い立てるだけまだましなくらいですが)。ここまでの無関心・流されやすさはサラマーゴも予想だにしなかったのではないだろうか。もしかすると私たちは、見ることの放棄によって、崖っぷちに追いやられているのかもしれない。
※偉そうに書いてみたが、私も以前は見ようとしないタイプでした。
自戒を込めて。
③次読むときに考えたいこと
・政府が独裁に向かっていくプロセスを再確認したい
・公園の女の彫像の意味
・警視の行動の礎となった言葉の意味
「わたしたちは生まれる、そしてその瞬間、まるで自分の人生の契約に署名したかのようだ、しかしいつか自分にたずねるときが来るかもしれない、いったいだれがわたしのために署名したのか」の意味
・「白の闇」とのつながり