027:84年同期入社組
1983年春、大学4年生のボクは就活真っ只中でした。
ボクは兵庫県生まれで、18歳まで地元の学校に通っていました。
高校3年生の時、「京都に住んでみたい」という理由だけで京都にある大学をあちこち受け、京都産業大学が一番最初に「来ていいよ」と言ってくれたので、ありがたく入学させていただく運びとなりました。
大学生活もあっという間に3年が過ぎ、そろそろ就職どうするよ? となった時、「もう少し京都に住んでいたい」という理由だけで、京都に本社のある企業をあちこち受けてみることに。
京セラ、ワコール、大日本スクリーン、島津製作所などなど。
で、任天堂さんが一番最初に「来ていいよ」と言ってくれたので、ありがたく入社させていただく運びとなりました。
内定をいただいたのは1983年の7月頃だったかなぁ。
ちょうどファミコンが世に出た頃ですかね。
(1983年7月15日発売)
ということは、そうなんです、このタイミングで内定をもらったボクたちは、ファミコンの存在を全く知らずに任天堂から内定をもらった最後の世代なんです。
翌年から「ファミコンの任天堂で働きたい!」というめちゃくちゃ賢い子たちが全国から殺到したのは言うまでもありません。
1年遅かったらクリアできてなかったでしょうね。
イージーモードからいきなりベリーハードモードですもん。
人生って面白いです。
1984年4月、無事任天堂に入社します。
『ダックハント』が発売される3週間前のことです。
本社採用の同期は、男性15人と女性6人の21人。
この同期入社の社員の中には手塚卓志くんや近藤浩治くんもいます。
もし彼らが入社していなかったら、『スーパーマリオブラザーズ 』は作られてなかったかもしれないし、『ゼルダの伝説』のあの名曲は間違いなく生まれていません。
運命って面白いです。
まさに運を天に任せた結果なのかもしれません。
84年入社のほとんどの人が、コロナ禍の昨年、めでたく定年を迎えました。
38年間勤め上げたそんな同期入社の仲間たちとの思い出やら、仲良しっぷりなどを少し書き残しておこうと思います。
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