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どうせ自分しか生きられないなら堂々と生きてやれ、と思った話。

一昨日、ある気心知れてきた仲間と
zoomで集まって近況報告をしたのだけど、
その中で、私は思い切って
「私は人に興味が無い」という話をした。


我ながら勇気を出したなと思うが、
事実なので仕方ない。


こんまり流の片付けを仕事にしている私。
片付けの依頼をしてくれたお客さんに対しては
なぜ片付けが進まなかったのかその理由を紐解いて
一緒に手を動かして片付けたいと思うし、
ぜひ身の回りのものにカタを付けて
楽しく暮らしてもらえたらと思っている。

レッスンが終わって帰る時は
いつも清々しくて充実感があるし、
貢献できる場所があって、心底ありがたいと思う


けれど、
その人の幸せを心から願って、とか
自分の関わりでエンパワメントする、とか
まして「日本のときめき総量を上げていく」
なんて崇高なビジョンには
正直少しもピンときていない。
こんまりさん、ごめんなさい。
(世の中的に素晴らしいとされていることほど、それ無理って言い辛いよね。否定してるみたいで)


でももう
皆の顔色を見て足並み揃えるのに疲れたし、
隠していてもどうせだだ漏れなので
言うことにする。

私はだたただ、片付けるのが好きなだけだ。

そして、どちらかといえば
人がどうにかなるよりも
物が大切にされるようになることの方が
ずっと面白くて、やっていて飽きない。

その辺に関してはオタクなのだ。


そもそも私は自分を薄情者と思っていた


私は長らく
自分のことを薄情な人間だと思ってきた。


人と必要以上に近くなるのが苦手だし、
自分の中に人を幸せにしようなんて気持ちが
大して無いのを知っていたから。


だから
そんな自分をダメなやつだと思ったし、
ゆくゆくそこを直していかないと
この世界では生きていけないと本気で悩んでいた。
悩んでいたんだけども。
途中で気づいた。
これは無理ゲーなんじゃないかと。


だって
私が綺麗事だと思うようなことを地で行く人には
どんなに取り繕っても敵わないし
私が意識しなくても在れる在り方で勝負しないと
いつまで経っても認められることはないし
不毛でしかない。


人によっては「え!(引くわー)」って
思われるかもしれない。
そんな人に仕事頼みたくないよ、っていう人も
いるんだと思う。(だからこそ隠してた)


けど、
何が一番って
誰かに嫌われないために、好かれるために、
自分の個性を無いことにするなんて
自分に優しくない。
生涯、共に生きていくのは自分自身なのに。

大丈夫と言いながら、大丈夫じゃなかったし
何か違うと思いながら飲み込んできたけど、
そういう生き方はちっとも自分に優しくなかった


40年以上も生きてきたやり方が
明日から急に変わるわけではないけれど、
せめて気づいた今からは
堂々と人でなしを生きよう、と思う。
私は人に興味が無い。

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