見出し画像

あたしの家のはなし(1)

祖父母、両親、姉とわたし。

1000mの山を望む盆地のような地形、農家も多く果樹栽培も盛んないなか町に育ちました。

祖父は元数学の先生でしたし、農地解放前の戦前は地主として小作を雇っていたらしく、母屋は100坪を超える大きな家でした。
祖母は学業の神様で有名な隣県の大地主から嫁いできた奥さまでしたが、母が嫁いできたのは戦後、10年ちょっと経ったまだまだ貧しい時代のことで慣れない農家を支えていました。

昭和30年代、母は結婚して間もなく男の子を出産しました。
しかし、悲しいことにその男の子は生まれてすぐに亡くなったそうです。わたしよりも6歳上の兄です。
両親が亡くなって戸籍を見る機会がありましたが、その赤ん坊の記録はありません。いなかの古い習慣のせいでしょうか、死は忌みごととして記録されなかったのでしょう。
名前も付けてもらえず、亡くなった子どものことを母はどう考えて思っていたのだろうと時々思います。

その後、2回目の子宝に恵まれましたが男の子を6ヶ月で流産、3回目は4ヶ月で流産したそうです。

父の兄弟は9人、その末っ子の叔母は同じ家に結婚前でまだ同居していました。『お兄ちゃんをあんたのお母さんがちゃんと産んでいたら良かったのに』『あんたのお母さんの里がちゃんと出産させていたら男の子がいたのに』と幼い頃から何度も何度も聞かされていました。

私の家のはなしをいろいろな思いを込めてちょこちょこ書いていこうと思います。
同じ世代でこんな経験をした人は珍しく、嫁を軽んじるいなかの家の、わたしの育った家の悲しさを記録として書き記します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?