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20歳までに衰弱して死のうと思ってた私が気づけば30代の母になってた/想像していなかった未来

はじめまして水耕栽培 レタスと申します。
私の高校時代の夢は
20才までに自然死することでした。

その私が家庭を持って生きている。
当時の私が知れば驚いていることでしょう。

大人になれば、そんなに悩むことでは無いよと思うことでも
小さな社会が世界の全てで
箱の中の地獄に閉じ籠っていました。

私を苦しめた地獄とは

宗教2世であったこと
神の子と家では言われるのに
外では嫌われるから秘密にしなさいと言われ育ってきました。

これは大きな矛盾で葛藤でした。

全てを書くと傷ついて育った2世の方も、
純粋に世界や他人の幸福を願っている
現役の信仰者の方も
傷つけてしまうので否定も肯定もしません。

私はというと
皆と同じ物が買いたい、恋愛がしたい
そんな気持ちにさいなまれました。

反面
信仰の友達は本当に人がよくて
純粋で居心地がよく
悪口を決していわない彼らはクラスのドロドロした関係より安心できました。

「嫌い」と「大切」で相反していたんですね。
板挟みだったんです。

「おやすみプンプン」や「20世紀少年」がクラスで流行った時、世間からの宗教へのイメージを知りショックではありました。

プンプンは漫画を借りて読みましたが
自分には最後まで読めませんでした。
20世紀少年は友達と映画にいきました。
作品の批判では決してありません。

発達障がいの生きにくさ

発達障がいという言葉は今程周知されず当事者だとは知りませんでした。

皆と何か違う、皆ができることができない
常に劣等感がまとわりつきました。

産後に発達障がいの診断を正式に受けます。


一年間だけのお母さん

産後すぐおかだちゃん(仮名)という方に育てられました。
私はその人をお母さんと思い込み後追いしていたそうです。

おかだちゃんはある日居なくなり
記憶は無いのですが急に置いていかれた気持ちになったと予測できます。

その方はお嫁にいった訳ですが赤ちゃんには関係ありません。
心の不安定さのベースはここにあったんだと思います。

実の母と実感した記憶が3歳半頃なので
役二年間私の中で母がいなかったことになります。


この部屋が地獄

高校生の頃には
ストレスからくる二次障害で
躁と鬱をくり返してました。

気持ちの掃き溜めになったのは自傷行為で
薬の多量摂取からグルグル回る部屋を眺め
体がズブズブ床に沈んで行きました。

地獄なんて生きてても行けるじゃん

その部屋の近くで
父の平和へのお祈りの声がする

吐きそう
頭が痛い
助けて欲しい

でも貴方は決して気づかないでしょ

幼稚でありますが親の興味を引きたかったんだと今は分かります。

そんな中一つの目標が生まれます
二十歳までに死のう。

自殺は罪だと聞かされてた私は
万が一地獄という所があり
そこに行ったらどうしようという思いから
衰弱していくことを考えます。

母の育児は間違っていたと死んで後悔させたかったのです。

食べることをなるべく辞めました

そんな生活が維持できず
ついに私は発狂しました。

母と向かい合う時間

初めてメンタルクリニックという所に行きました。
私が壊れていたことと母は向かい合うことになります。

卒業が近かった私はなんとか学校に通いました。
歩くのも困難で
階段を登るのを支えてくれた級友には感謝します。
その子も他所の宗教2世で、意外といるものだと知りました。

母は私が弱ってたと知り
優しさを感じる行動を見せてくれました。

公立の短大に行かせてくれたものの
自殺未遂で帰ってきます。

その時はハイで
体中に電気が漲るようで、授業も座ることができず
校内を走り回りました

4ヶ月頃
朝、目が覚めます
ぐちゃぐちゃの部屋、たまってる課題
私から私へ
声がささやきます

お前は一人で誰からも必要とされてない
何もできない出来損ないだ

死のう
ついにその日がきたんだ

あらゆる薬をこれでもかと
浅知恵で飲み続けました
すると
この世のものではない死者が集まってくるのを感じました。


怖い

怖い怖い怖い
はっきり見えないけど魑魅魍魎のような何かが
床一杯にひしめきあってる死にたくないっ

直感で戻らないければと思った私は
今度は水を飲み吐き出しにかかります。

朦朧していた中、どうやら母に連絡していたようで

目が覚めると遠路にもかかわらず母が来てくれていました。

あまり覚えていませんが
病院のベッドで
ポロポロ泣きながら

疲れた
そういったのを覚えています。

沢山の人に迷惑をかけ、退学しました。

母は休むことを薦めてくれましたが

社会で不要な人間であることを恐れた私は
生きていていい為の理由作りをします。
(これは当時の考えであって休むべき時は休むべきです)

すぐにレジのバイトを始めた私は異変に気づきます。
あまりにもミスが多く、計算ドリルを買ってきた程でした。
ここに発達障がいの特質が顔を出します。
真面目が取り柄だった私は
バイト先で役に立てると思っていただけにショックをうけます。

主治医に話すとあっさり発達障がいだと診断しました。
しかし母は受け入れられず
お前は一番しっかりしてるのにそんなことはないと
治療を拒否しました。

(個性なので直すものでは無いと解釈してます。薬は生きやすいお手伝いをしてくれると考えてます。)

私は両親が何の保険にも入ってないことを心配してたのでしっかりしてると勘違いしたようです。

原動機付き自転車の免許がとれたことが唯一の心の支えになりました。

こんな私でしたが
コツコツ働きあっちで怒られ
こっちで怒鳴られ修行させていただきながら
車を買う費用や資格をとるスクール代を稼げました。

そうです
生きていく方向に向かって行ったのです。

私は一目惚れした男性と結婚しました。
好きな人ができてホカホカした気持ちに照れました。

母は信仰から離れたとして
本当に私が地獄にいくのなら
母も一緒についていく
抱きしめてそう言ってくれました。

今もつかず離れずの関係を保ててます。

現在も仕事は続かなかったり
人との距離感に悩んではいます。
社会的な活躍もありません。ですが

数人の安心できる友人と
コツコツ働く夫がいて

やわらかい子供の寝顔を見ると
人生を諦めたあの頃では
想像していなかった未来にこれたことを感謝します。

デリケートなテーマにふれました
にも関わらず一読して下さった方に感謝いたします。

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水耕栽培レタス
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