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trio

東の地で暮らしを初めて5ヶ月。

大学卒業式の翌日から片時も氣を抜かず張り詰めていた糸が切れそうな時期。第1章を終わらせる時は今だ!と思いまして連休を貰って実家に帰ってみた。小休止。
地元とか分かんねぇし愛着なんてねぇし、引っ越し11回目だしと強がっていた私はしっかり福岡に育てられたのだと知りました。

会ってくれた人ありがとう。楽しかった。めちゃめちゃ癒された。


・状態

お盆、またの名をスーパーウルトラ繁忙期。やらなければならないことが把握できる範囲の限界を超えていてもう訳が分からない様。また、その様子。大丈夫な私と小男な私が重なり合い、状態はヒジョーに不安定でありました。
粒子を安定させて初めて移動が意味を成すとおもうので、まず状態を明瞭にしておこうね。

辞める選択をしなかった一秒前の私の責任を取っている、の継続状態でした。

面白いことするってむつかしいネ。

仕事中に泣く回数はゴールデンウィークに比べると随分減りました。ただし無意識に涙が垂れた場合はカウントせず、お客様や社員にバレたときに1とする新ルールに基づくことにする。1月に1回以下になりました。ちなみに悲しみは怒りに変えると、運営を妨げる力が弱まる。なので無理やり逆ギレにシフトするか、夕ごはんのことを考えて悲しさを散らすのが今のところ最善策。「怒る」って未だに意味分かってないから難しいけどね。こちらで作った秩序の中に人を招き入れるのだから、そりゃ理不尽は自然発生すると知っておかなければならない。

重いもの運んだり立てたり倒したりするとき、腹筋を使えるようになりました。腰や爪や手首をやってしまうことは今やほとんどないぞ。
大声を長時間出さなきゃいけないときも腹筋使えるようになりました。肩で息しなくなった。内股が改善されて姿勢もよくなった。

絵を描けるようになってきた。
会社で振られるイラストと私の居場所(コア)となる芸術を、なんだか混同してはならないような氣がしてちょっと分けていたの。だが徐々に諦めるようになった。剥き出しの心を平面に乗せようとすると、それが幾らウキウキワクワクであっても次元間変換の動機であり媒体である「死」はどうしても顔を出してしまう訳で、それはそれで美しいから良しとして魅せ方に注意を払おうという氣もちで描いている。絵を描くことは排泄に違いないけれども、それを肥料にして豊かに育った花を綺麗にバランス良く生けて差し出すのが会社の名を使って提出するイラストであり、そうすればZENの作用も無理なく包含できてるし、よいかんじ。

同じ仕事をする日がないため、嵐が去った後になってあの現場は面白かったとか、珍しい体験を出来たと言うことに氣づく。面白いことをしていると思えれば限りなく面白いし、やらされていると思ってしまえば苦しみは極刑の如しだ。

だからみんな好きでやってるし、みんな楽しくてやってんだろうという前提の上で受発注が成り立っている。苦しく感じた人は既に別の道へ走っていったと思っている。他人の感覚なんて分かんないのにね。「なんかやる事ないから来たわ〜」とか言って休みのはずの上司がパジャマみたいな格好でやってきて仕事して帰ったりする。好きなキャラと関わる現場で終始はしゃいでいる先輩、休日にコスプレイベント満喫していたら中身が仕事仲間だった先輩、仕事環境に課金しすぎて部屋よりデスクが居心地良くなっちゃってる先輩。とても愛おしく、私もいずれそうなっていくのかと想像すると膝から崩れ落ちそうである。死ねない程に入り込むことが何より怖いので。

好きな事への情熱と人情で回っており、おかげで労基が浸透しない。令和の時代における絶滅危惧種みたいな会社だ。是非とも守っていかなければならないし早急に滅ぼさねばならない。
鋭く優しい本当の愛を必要としている。


・癒し

「帰ってきたら抱きしめちゃるけんね!!」と電話越しに泣かせてきた妹より、無事粘着力の強いハグを頂き回復。

大学の友達が時間合わせて会ってくれて、楽しい人生を自慢し合って、嘘みてえなプリクラ撮った。のらりくらり生きていいのに恋愛とかして絵なんか描いてウチら馬鹿すぎるって笑った。

母が私の直筆イラストを手に入れようと、私がメイクしてる後ろでいそいそと手帳のカバーを外してスタンバイしていて、泣く。6歳のとき、もっと楽しい絵を描きなさいよと貴方が言ったから、私はカサブタを剥がすような絵をここまで深めることが出来たので。

劇団テンペストさん主催、涼乃さんプロデュースの公演「飾り」を見に行った。私は作中で歌う2曲の作曲をさせて頂いて、ドキドキでした。
面白かった。キラキラで可愛くて新しくて、無限の可能性がここから始まるって感じ。眩しい勢いを浴びられました。ありがたすぎ。ありがとうございます。

いいね!!舞台大好き!!と思うと同時に、勿体ない事したな。
顔を合わせず真面目な文字でやり取りする中で、やっぱり生粋のバカ真面目に拍車が掛かってしまう。「舞台に楽曲を提供させて頂くなんて初めて……上手く出来ないかも……でも出来るだけ熱量とクオリティを高く…!」と必死になっていた。初めての体験であることは涼乃さんも役者の皆さんも同じだった。迷いながら悩みながら懸命に稽古と準備をされたんだろう。その一歩一歩をもっと肌で感じて寄り添って一緒に作る実感を一番大切にすべきやったなと、千秋楽が終わってから思ったよ。
大切な「初」に交差させて頂くときに自分が上手くできたかできてないかを氣にするのはむしろ勿体ないことだった。
私が願って叶えたこのご縁と場はもっと純粋な音と温度をふるわせる為のものだった。念願のゼロ距離でお芝居とライブを見て、ああ舞台ってそうだったわと、嬉しくなると同時にちょっとだけアチャーしました。

思い返せば学生時代、先生の質問の全てに手を挙げて答える生徒だった。分かったら返事をしろと言われた次の日から卒業まで全ての言葉に欠かさずハイと返した子どもだ。
もし傾倒する所が芸術とエンタメでなければ、どれだけ硬くつまらない生き方だっただろう。


美しいものを呼吸して、面白いことを共にしたい。
それだけです。もう考えることなんてないでしょう。

2024.8.26

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