こちらを遺伝子操作しよう~草木の背丈を決めるの巻き~
やがて我々は老いる。一人残らず老いてゆく。「形あるものは壊れ、生あるものは死す」そして「若きは老いてゆく」のである。
様々な事が億劫になる。面倒臭い、殊(こと)、「庭の手入れ」庭掃除だ。「面倒臭い」に「また今度」+「いつかやる」感情が同時に走る。マンション住まいの御仁なら、関係ないかも知れない。が、多くの日本人が傾くのは、「庭付き一戸建て」。「狭いながらも、楽しい我が家」を思う時、マンションではない。戸建て住宅だ。家=一生に一度のお買い物。その特別付録として、ずっと掃除をしなければならない「庭」がつく。「へぇ~んだ。ウチには関係ないもン。老いたら今の戸建てを売って、適当な広さのマンションに越す。これでいいのだ」しかし世の中、ままなりませんぞ。
わたしの切実な悩みでもある。親の遺した一軒家。まだまだ若い(?)50代、イケてる(大嘘)とはいえ、数年前とは全然違う。読書とパソコン=老眼鏡。顔=シワ&シミ。「M&M」ならぬ「S&S」が、容赦なく襲う。チョコレートの前者は大歓迎だが、後者は全く歓迎しない。自然、庭掃除はおざなりになる。月に一回前後、曇天の日に一応はしている。が、芝と雑草抜きがせいぜいの図。とてもじゃないが、草木にまで手が廻らないのだ。
それでも「根性、根性、ど根性!」平面ガエルのぴょん吉様の威力を借りて(?)、集中的にやる時もある。しかし結果は、オール散切り。みっともない。元々、根性がない+手動でやってるもんだから、30分もやるとヘトヘトだ。
市の「シルバー人材センター」に2,3回、お願いをした過去もある。だが、思い通りにやってはくれない。マニュアル通りで終わっている。加え、ナイショ話になるけども、汚いじーさんしか来ないのだ。仕事が仕事だからとはいえ、もう少し清潔なおじ様方を望みたい。
(だったら)思った。閃いた。最初から草木。庭に植える木樹や花たちの背丈を決めてしまえば良い。遺伝子レベルで様々が分野の研究・開発が進められている今日び、難しくもなかろう。
最初から背丈が決まっていれば、必要以上に切らなくていい。軽くちょちょんと鋏を入れてはい、お終い。時短である。自然とゴミも少なくなる。ゴミ=紙類やプラ類が主と昨今、思われているけども、草木も立派なゴミ一味。真面目にどうにかならないか?
手塚治虫の「鉄腕アトム」に出て来た、天馬博士と逆である。
愛息・飛雄(とびお)を事故で亡くしてしまった博士は、代わりにアトムを作る。ロボット版・息子の誕生だ。最初は、どうしても動きがロボット。ぎこちなかったアトムだが、次第に人間らしい感情が芽生えると共に、博士も愛情が湧くようになる。が、或る日博士は気がつく。「背が伸びない!」。人間の子供なら背が伸びるはずなのにと悔やみ、嫌気が指し、サーカス団へとアトムを売ってしまうのだ。
「背が伸びない!」しかし、庭の草木なら是が非でも!ウェルカムである。
○伸びぬ背に 安心感を 得し鋏 入りぬ音老うも 日々の喜び<短歌 なかむら>