かくして、元に戻りましたとさ。
初任給の喜びを、あなたは憶えているだろうか?「大人になった」。わたしが自覚した4月25日である。自覚序でに、ケーキを買う。家族に買って帰ろうと、銀座まで。「トップス」超有名企業のチーズケーキだ。
なぁ~んて実は、お約束。「トップスとかいう所の、チーズケーキが食べたい。駅のコージコーナーじゃなくって。お・ね・が・い・ね」朝、妹に頼まれた。囁くように言う。言葉にすら出さないが、今は亡き母も期している。「うん。じゃあ」期待を背負い、出勤した。
勤め先が築地であるから、銀座は直ぐ。都営バスで5、6分の距離である。「銀座4丁目」で降り、銀三(銀座三越の略)へ。地下にぐいぐい降りてゆき、お目当て<トップス>へ。星のマークが目印だ。「チーズケーキを下さい」。急いで頼む。昼休みを裂いて来ている、余裕がない。急いで帰社せねばなるまい。硝子のショーケースの中を見ると、白い延べ棒みたいである。1800円ナリ。(高っかっ!)正直、思う。紙製のケースに入れ、洒落たビニールの手提げ袋に入れた後(のち)「ありがとうございました」。店員の声が見送ってくれる。満足そうだ。
会社の冷蔵庫に保存し、「なかむら」。付箋で記したのを確認してから、退社時に大切に持ち帰る事、約2時間。ようよう埼玉県の我が家に辿り着く。
「ただいまぁ」「わぁ~っ、買って来た?」「うん」。こういう時の心境は、幼い我が子に初めてお土産を渡す、父親に似ているんではなかろうか?少ない自分の小遣いをやりくりして(?)、多少の額を子供に貢ぐ。子供の為に犠牲にする。尊い一つの愛のカタチ。愛情表現だ。初めてならば、テレもあろう。「夕飯後のデザートに、食べよう」すんなり話が決まって来る。冷蔵庫に入れ、その時を待ちながら、いつものよう夕食だ。
その時が来た。皆々、目がランランと輝く。(ぐふふふ)(げへへへ)(トップスですよ、トップス)言葉にならない興奮度。「包装からして、高級だねぇ」妹が言う。輝かしいアメリカ、憧れの米国、夢と未来と煌めきのアメリカン・ドリームの象徴ばかりのマークが更に更にと、我々を魅了する。「いい?」「うん」寛大な心の父親のような心境に、再びわたしはなる。洒落たビニール製の手提げから、やさしく紙ケースを取り出す妹。下から上へ方式のケースを持ちあげ、ご対面。「美味しそうねぇ。ありがとう、お姉ちゃん」母が言う。「うん」今度の心は、優しい夫そのものだ。
来客用のお皿&カップ。フォークを用意し、茶話会(?)。夢にまで見たトップス商品を囲んで雑談が始まる。確かに美味しい。高級だけが味覚となって、舌を酔わせる。満ち足りた時間を演出する。けど、濃すぎる。飽きてしまう。ねっとりだけが残るのだ。バクバク食べている母と妹を横目に、何となくだが考えた。「あ~っ、ありがとう。お姉ちゃん!いい夢が見られるわ」「良かった」平凡に返した。
2、3日してから、妹に聞いた。「この間のトップスなんだけど、コージコーナーの方が良くない?」「あ~っ、、、」暫く考えてから妹も言ったね。「美味しいけど、コージコーナーの方が、一杯食べられるよね。少し予算は出ちゃうかも知れないけども、払うのはお姉ちゃん」黙っていると、「渋栗のモンブランがいいな。ショートケーキも好き!シュークリームもいいねぇ!お母さんも好きじゃない?」
質より量。高級ブランドケーキを切り分けるより、庶民ブランド(失礼)に傾く。1個も2個も食べたいと思う我が家。
「ただいまぁ」かくして、駅前のコージコーナーに。翌月から、庶民ブランド(?)ケーキに我が家は戻りましたとさ。目出度し、目出度し。