嗚呼、繋がりは深き~「歌に恋して評伝・岩谷時子物語」(田家 秀樹著/ランダムハウス講談社刊)~
コーちゃん。=越路吹雪さん。岩谷時子。聞いて浮かぶ人だろう。
竹下景子が演じていた。松下由樹も演(や)っていた。
舞台であれば、高畑淳子。ピーターこと、池畑慎之介さんと共に、息のあった所を魅せる。何回か再演されているものだ。
+♬あなぁ~たぁ~のぉ、その腕でぇ~(後略)
物凄い声量と、真っ赤なドレス。昔、たまたま「愛の賛歌」を熱唱していたのを見たのが、越路吹雪の初めてである。強烈なインパクトでもあった。
陸上?水泳?ツガガール時代の賜物か?
バーベルでもやって、鍛えていたんだろうかとすら思われる、余談だが、マイクを持つ右腕に太さを感じる人だ。
越路吹雪。曰く「コーちゃん」。
由来は「越路」の「こ」ではなく、本名「河野」からである。
「あっ、コーちゃんの」作詞家と同時に、マネージャー。影であって、防波堤。岩谷時子がいたからこそ、越路吹雪は存在した。
深く知りたいなぁと思った矢先に、出版された本でもある。買うに決まっているではあるまいか。
早速、アマゾンで取り寄せ、ページを開く。
本文に入る前、数ページに渡って掲載される写真の多さに、まず驚かされる。一人であったり、越路と一緒であったりであったりであるが、いつも笑顔のものでしかない。
「写真提供者 岩谷時子」となっているから、基本的に本人が提出したものであろう。
写真が掲載される本。
不特定多数の人が見るであろうものに、ぶすくれた自分の写真を載(の)せようという人はいないだろうから当然なのかも知れないが、各々の笑顔が非常にいい。カラーでないのが何であるが(カラー写真が、なかったかも)、もんのすんごく輝いている。まるでギャル。
「あなたは私の胎内にいる」
とまでの表現で、詩に書かれた越路との写真は、特にめちゃくちゃ素晴らしい。殆どギャル。
「たまたま」「偶然」しかしそれには、運命の糸。
「赤い糸と糸で」男女の中では言われるけれど、男女とか、年齢とか、大げさに言えば人種とか。
「たまたま」から育まれるもの、きっかけとなるもの、その後を何となくでも決定づけたり、方向性を決めるようなものには、働いているのではなかろうか?
単に宝塚にいた、さほど忙しくもない編集部員と、どちらかといえば落ちこぼれ。まるでどうでもいいような役者の卵が、暇が縁で(?)雑談するようになり、親しくなって、方向性が定められてゆくのである。
作詞家。
岩谷が言われるようになる切っ掛けも、越路の仕事を通してであり、そこから段々拡がるものの基礎ができあがってゆくのである。
昭和27年。
現在、越路役で好評を得ている、池畑慎之介が生まれた年に、岩谷が作詞を
初めてするのだ。
「10代の頃から見ていましたからね」
インタビューに答えて池畑は言うけれど、15、6歳。家業が嫌さで家出をし、妖艶な少年・ピーターとして芸能界に入る前後の彼の時期は、岩谷にとって最初の絶頂期であるだろう。
「ザ・ピーナッツ」やら加山雄三。
「愛の讃歌」は、昭和40年から、歌い継がれるものである。
いずみたくとも交流を持ち、「さむすん」なんとかというのも、前後する時代に岩谷が邦訳したのだ。
郷ひろみがあり、沢田研二。
男性では故・阿久悠がいるが、女性でこれだけ長く、歌謡界に君臨。
その時だけでなく、歌い継がれる作品、誰もが口ずさんでしまう素晴らしさを持つ作品を作る人は、「他にいないでしょうね」
酒井政利も断言する。
しかも、故・阿久は昭和12年生まれだが、岩谷時子は、大正一桁生まれであるのだ。
本文に入る前、本田美奈子.との交流があり、デビューしてからのほぼ10年ごと。
時代・時代を追いながら、岩谷に焦点を当て、最後の章では、ミュージカル。「レ・ミゼラブル」開演時代から、本田美奈子.との事によって締め括る、優れた一冊だけど、一寸の不満もないわけではない。
「アニメーション」
多くが大好き、狂わんばかりにわたしも見ていたアニメーションの主題歌も、幾つか岩谷は手掛けてもいる。
「ミラクル少女リミットちゃん」
ぐらいがわたしの知識であったけど、他にも同じ関西出身が縁となったか、手塚治虫原作「ふしぎなメルモ」やら、東映のいわゆる魔女っこシリーズでも、主題歌とお終いの歌詞を手掛けてもいる。だからできれば、著者にも方向性を見て欲しかった。歌謡曲ばかりではく、アニメ主題歌迄をも作る岩谷時子の才能を。
「そうか、アニメを作っていたのか」
調べる内に、出て来たのに違いない。
「だったら入れるか」
考えにあって欲しかったのだが、一切ないのが残念だ。
わざと無視していったのだろうか?それとも著者が、アニメなんてとの主観があっかた?
「岩谷時子がアニメ、ねぇ」
ガラじゃないよな、無視しよう。編集方針としたのだろうか?
本田美奈子.も、少女時代にそれらに接して育ったのだ。
「歌の中で、沢山恋をしましたからね」
「自分でいうのもおこがなしいですが、最初に書いた時、本物だった」
岩谷自身の言葉として、非常に印象深いものが残る。