しかし違うのでは?~「淳子のてっぺん」( 唯川 恵 著/幻冬舎刊)
22017年。元号は未だ、平成であったと思う。
いつものように新聞の新刊広告欄を眺めていたら、どばっと視界に入った文字がある。
「淳子のてっぺん」。
著者は、唯川恵。自ら「前から(これを)書くことが、決まっていたような気がします」とすら断言。かなりのお気に入りの著作のようだ。
題名がいい。素直に思う。非常に魅かれるものがある。
淳子=先頃他界された、田部井淳子さん。
昭和50年に、女性でで初めてエベレスト山頂を到達を成し遂げた人である。わたしにとっても、非常に思い出深い一年であるが、これにも思い出がある。学級新聞のネタにしのだ。
「お前、書けよッ!」
徹底的に苛めて来た奴が、いきなり名指しで叫叫んできた。
書く=面倒臭いが当時、子供の感情としてあったのだろう。今は、やたらネット等で残したがる、曰く「書きたがる」が常識(?)だが。加え、模造紙&フェルトペンか、マジックの肉筆で、教室の後ろの壁に、やがては貼られる。字がヘタな奴に書かせて、辱(はずか)しめよう。わたしにご指名理由である。渋々受けた。不本意ながらの、担当記者(?)だ。
「女だてらに」「女の子でしょ」云々。
「女の子ちゃんですもの」「女子力アップ」
女の狡さに繋がると個人的に思うけど、今や社会的地位まで占めた(?)、これ以前。全ての面で「女には無理」「女にはできない」等々を覆す為に、多分本著は書かれたのであろう。
それこそ荻野吟子並みの素晴らしさ。努力と根性、創意と工夫、何クソ精神をそれとなくでも訴求するんだと思う。
「根性、根性、ど根性」殆ど、ぴょん吉。千々松幸子ボイスが今でも人気のアニメを彷彿させて来る。が、特にこういう偉業。「無理難題を覆す」を旨とする場合、そういうもの以前に、元々。本人の、大袈裟に言えば、生まれながらにしてあるものが大きいのではなかろうか?
メチャクチャな努力。
幾ら血が吹き出すような努力をしても、美空ひばりになれる歌手はいまい。美空が天才だからである。100も200も作品を書き、全てに評価を得ようとしても、手塚治虫になれる漫画家もいまい。手塚も天才だからである。
「全ての努力は報われる」だの、「頑張ればいい」だのというのは、正直、甘い。いかにも日本人が好むような精神論だ。元に戻す。
やはり元々。こういうのを読む度に、著者は「運」。書こうとする人物の元々を、余りにも書いていないのではないかとも思う。少し前に読んだ、原節子のものには、著者が2度、3度とちゃんと記していたけども。
未読であるけど、ここらを著者はどう見ているのか?機会があれば、手にしてみたくも思っている。