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夢野久作「黒い頭」から学ぶ


「詩から学ぶ」シリーズの2025年一発目は、夢野久作氏の『黒い頭』から始める。
話の最初と最後に詩を含んだ物語であり、正月が舞台であるにも関わらず黒々と変色したミイラが登場する。少し不気味な童話である。
以下でざっくりと内容を説明するので、ネタバレを避けたい方は青空文庫へ。

少女がミイラの数え歌を歌って羽根つきをした際、羽子板が傷ついてしまう。夜、泣いている少女のもとにミイラが現れる。何故か一緒に、ミイラが人間の王であったころのエジプトに飛んでいく。ミイラは生前の姿になり、歌を歌って踊り出す──という話である。

新聞向けに書かれているため短い物語ではあるが、それゆえ一瞬で脳に焼き付くような異様さがある。
さてイントロはここまでにして、最初の詩と最後の詩を比べながら、言葉の使い方を学んでいく。

最初:主人公の少女が歌った詩

ヒイラ、フウラ、ミイラよ
ミイラのおべべが赤と青
そうしておかおが真黒け
四つよく似たムクロージ
五ついつまでねんねして
六つむかしの夢を見て
何千年何億年
やっとこさあと眼がさめて
九つことしはおめでとう
とんだりはねたり躍ったり
とうとう一貫借りました

夢野久作「黒い頭」より

最後:ミイラだった王が歌う詩

ヒイラ、フウラ、ミイラよ
ミイラの王様お眼ざめだ
赤い青いおべべ着て
黒いあたまをふり立てて
はねたり飛んだりまわったり
五ついつまでもいつまでも
むかしのまんまのひとおどり
なんでもかんでも無我夢中
やめずにとめずに九とう
とうとう日が暮れ夜が明けて
いつまで経っても松の内

夢野久作「黒い頭」より

数え歌に造語を使う

ヒイラ・フウラという言葉は、ミイラに繋いで「ひい・ふう・みい」とするための造語である。
ここで「ひとつ○○……、ふたつ○○……、みっつミイラは……」などと普遍的にしないことで、エジプトやミイラの持つ神秘性が高められている。
異様さを求めるときは、「ありきたりにしないポイント」を見定められるようになりたい。

読み手に問われるリズム感

詩のモチーフは羽根つきの際の数え唄なので、どちらの詩も4拍子(或いは2拍子)で読む必要がある。
「四つよく似たムクロージ」が
「・よつつ|よくにた|ムクロー|ジ・・・」というリズムであるのは分かりやすい。
では「何千年何億年」はどうだろう。
「なんぜん|ねん・・|なんおく|ねん・・」だとリズムが良い気がする。
くせものなのは、後半の詩の「五ついつまでもいつまでも」という一節。
「いつつい|つまでも|いつまで|も・・・」という、句またがりのようなリズムになっている。
(句またがりとは短歌などにおける用語。「みぎをみて/イリオモテヤマ/ネコがいる」のように、単語の途中で句が切り替わることをいう)

このように若干トリッキーな詩をパッと読み、リズムが悪いと一蹴りする人がいたら、もったいない。
また、詩を書く際にリズムを意識しない人も、もったいない。
自他の詩が本当に自分の気に入るものか判断するときは、しっくりくるまで様々なリズムで読むべきではないだろうか。
気持ちの良いリズムというのは詩において、言葉の意味や感情の次に重要だと、私は素人ながらに思っている。

後半の詩は縁起が良い

 前半の詩と後半の詩を比べて、以下3点から後者は縁起が良くなっていることがうかがえる。

後半の詩には四が無い
正月のめでたさを意識してか、はたまたミイラ(=死体)が既に含まれているからか、「四(=死)」という一文字が入っていない。これに関しては四は「よい」に転じることもできるし、九だって「苦」を連想させるが詩に含まれているので、私の考えすぎかもしれない。

眠りと日の出のバランス
前半の詩はミイラの眠っている時間が長い。対して後半の詩は、ミイラが眠らないまま夜明けが来ている。
太陽の光をめでたいと思う日本文化や、作者自身の心が表されているのではなかろうか。
(余談:作者の心というと「むかしのまんまの」あたりは彼の父の影響か、などと思ってみたが、これも考えすぎかもしれない。)

暦と照らし合わせると
この詩を含む物語「黒い頭」は、大正11年の12月末に発表されている。ということは、大正12年の1月を想定して書いたものだと推測できる。
前半の詩の「とうとう一貫借りました」が何のことか分からなかったが、暦と照らし合わせると分かった。

大正12年の1月2日と3日は「一粒万倍日」であり、そのような日は金品を借りるのはよくないとされている。
前半の詩の後にくる物語では、歌った少女の羽子板がへこむという場面があるので、やはり前半の詩は意図的に縁起の悪い内容にしたと考えられる。

まとめ:ことばのおまじない

前半より後半の縁起を良く。これは作者による「末広がり」を願うまじないとも受け取れる。新年に相応しい縁起物として、この詩と物語を書いたのだろう。
このまじない空しく(あるいはミイラがよろしくなかったか)、大正12年には関東大震災が起こり、作者も父親の家が炎上するなどの被害に見舞われた。偶然だと言われたらそれまでではあるが、言葉には気を付けなければならない──ということが、この作品から伝わってくる。


《参考および一部引用:夢野久作「黒い頭」》

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入山夜鷸
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