17秒好きなこと、の効能
今日はとてもおもしろい話を聞くことができた。
なんでも、17秒間好きなことを考えつづけることが、瞑想を200時間することと同じ効果があるだとかなんだとか。言われてみればたしかに、同じことを17秒間ものあいだ、じぃーーーっと捉えて、脳みそのいたるところをひとつに集中させることは普段していないな、そもそも、17秒間という単位について今まで頭の端にも置いてこなかったな、だとか思うと、あたらしい人生の使用方法について気がついたような気分で、わくわく。
瞑想というものの存在は、鶴岡さんの影響で世に広まったのかもしれないけれど、思い返せば本腰をいれて向き合ったことがない。いつからか、世の中を変えるビジネスマンや発明者たちも重宝されている、瞑想というもの。
それに加えて、ペンを右手にして、紙に「瞑想」を書いてみると、この「瞑」がなかなか思い出せずむずかしくて、「瞑想」を広辞苑で調べてみる。
名草・名僧・明窓・迷走...と続いたあとに、「瞑想・冥想」が出現。ふた通りの、めいがあるし、意味を調べてみると、「目を閉じて静かに考えること。現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと。」とある。気になって「現前」を調べる。そうすると、
げん-ぜん【現前】目の前にあること。目前にあらわれ出ること。まのあたり。笈の小文「丈六の尊像は苔の緑に埋れて、御ぐしのみーとおがまれさせ給ふに」。「ー成就」
とある。目の前と目前の二つに、どんな違いがあるのか気になってしまう。
その先を読み進めていくと、「現像」が出現して、そういえばフィルムカメラのネガが20本溜めたままこの部屋のどこかへ埋まってしまっていることを思い出して、広辞苑をベッドに置いたまま、ネガを探す旅に出る。
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