忘れてただけで、本当は心の中にある幸せとか嬉しいと感じる心

なぜかここ数年は何をするに対しても
義務感や罪悪感が心と脳を支配していて
なんとゆーか、自分の心に素直になれない
という時期を自ら選んで過ごしていた。

幸せになっちゃいけないとか、
苦労しないといけない、とか
そういった考えが心の奥〜にあって
そんな事ないとなんとなく気付いてるけど
気付かないふりをして
そっちの方が「周りにとって良い」と思って
そう過ごしていたように思う。

だから、思い切りやる、ということに躊躇して
やってるけど不完全、本気でないというか
言い訳がましい日々だった。
(単にやりたくないという時もあったけど)

今から振り返ると、
○○でなければならない
完璧な自分でなければならない
○○することが正しい
○○が正解、○○は間違い
できてない自分が恥ずかしい
もっと私はすごいはずなのに
上手くいかないところを見せたくない
スマートにこなせるはずなのに
と、思っていた。
極端な考えだし、
逆にどれだけ理想高く自信があるのか
お恥ずかしい。
し、何より成功より失敗に
フォーカスしてしまってる、と今ならわかる。



だから家庭も仕事も上手くいってるようでいってなかったし、
上手くいってても、振り出しに戻されたりしていた。


そんな憂鬱な状態から
どうして抜け出せたかというと

つい最近、久しぶりに好きな事をして、そのことを何も考えず好きだな、と素直に認めた時、抱えていたモヤモヤから解放されたような気がした。


例えるなら、本当はランニングが好きだったのに、
なんか動くのめんどくさいし、
仕事終わりに走ってる私を見て
みんなどう思うんだろうとか
いらぬ心配を考えて自分の気持ちに我慢をして走らないで、他人をサボる理由にしていたけど、

ただ、ただ、走る

を何も考えず集中できた事で、
動くのめんどくさいし、とか
どう思われてるんだろうとか、
他人の目を気にしていた事を
すっかり忘れて、「ただ走ること」に冒頭出来た。

それがとても良かったように思うし、
実際、とっても楽しかった、爽やかだった
嬉しかった。
ポジティブな感情で心が満たされた。

「ただ走ること」に集中すると
風を切る気持ちよさ、
じんわりとした汗、
肺の空気が入れ替わる
のがとても心地よい。

疲れたけど、好きな事ができて幸せ、
という気持ちを久しぶりに感じた。

これが、大切なんだな、と
客観的に見る事ができた。

不安や不満な気持ちで過ごし過ぎると
こうした単純に自分が好きだったもの、
好きだからやってたことに蓋をしたり
忘れてしまったりするのかもしれない。


行ったり来たりだけど、
素直に喜びを感じる、
というのはとても尊い事なのかもしれない。

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