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真夜中の訪問客

「千の点描」 <第二〇話>

大阪から京都の下鴨にある新しい家に引っ越したその日の真夜中に、大胆にも大きな音を立てて塀を乗り越えてくる侵入者があった。
 
わが家はそこそこの大所帯で、引っ越しの荷物が大量にあった。当時はシステム化された引っ越し専門の業者が少なくて、大抵の場合は近在の運送屋に引っ越し荷物を運んでもらった。わが家の荷物は一〇トンのトラックで換算すれば、おそらく二台分くらいあったと思われる。これまでにもわが家は、何度か転居を経験していたので、気持ちの上では引っ越し当日に粗方の家具や荷物の整理を済ませたいと思っていても、それはまず無理だと初めから結論付けていた。
そこでわが家では引っ越し荷物の搬入については、作業の優先順位を決めて、多少作業の段取りが変わっても、後々面倒にならないよういろいろ配慮していた。つまり、重い家具を配置して、部屋のレイアウトを決め、家具や棚に荷物や書籍を入れてから、一番最初に置いた重い家具の位置に不都合があると、全てをやり直さなければならなくなる。このようなケースを避けるためだ。
そこで作業の優先順位としては、後々動かしにくい重量のあるピアノや冷蔵庫、箪笥、本棚、テレビ、ステレオなどの大型家具や家電を最初に所定の場所に置くことを第一と考えていた。次には、台所の家具や荷物は台所へ、居間の家具や荷物は居間へ、子供部屋の家具や荷物は子供部屋へといったように、とりあえず家具や荷物を部屋ごとに振り分けることだった。三番目には、当面の生活に差し障りがないように、台所、風呂、そして睡眠のための機能を確実に確保することだった。この方針に従って次には、各部屋に置かれた家具や荷物の最終的な設置場所を決めることだった。さらに時間的な余裕があれば、荷物や段ボールの梱包を解いて、後の作業を効率的に進めるために、中身を確認してメモしておくことも大切な作業の一つだった。
口にすれば簡単なことのように思えるが、運送屋が後先考えずに適当に運び込んでくる荷物を方針通りに処理するのはなかなか骨の折れる作業だった。わが家が引っ越しに慣れているからといっても、六〇回近く引っ越したといわれる葛飾北斎とは比べようもなく、正直なところ玩具箱をひっくり返したようにしないだけでも一苦労だった。引っ越し当日の作業も、まずまずの進み具合で、その日は仏壇を客間に設置して、ようやく仏壇の扉を開いたところで作業を終えることになった。夕食も持参した幕の内弁当で簡単に済ませ、当然風呂にも入らず、家族全員が久しぶりの肉体労働で疲れ果て、その夜は一〇時にはみんなすっかり熟睡していた。ところが夜中の二時過ぎに、私の部屋に掛け込んできた弟のただならない叫び声で、私の深い眠りが突然破られたのだった。
 
新しい家は六〇坪ほどの敷地に二階建ての母屋と、母屋の一階と渡り廊下でつながれた小さな離れの部屋があり、弟はその離れの部屋で眠っていた。渡り廊下を母屋側に渡ったところに私の部屋があって、弟はまずは離れの部屋から一番近い私の部屋にやって来たのだろう。恐怖に顔をひきつらせた弟が言うには、誰かが大きな音を立てながら塀を乗り越えて入ってきたらしい。弟は、私の部屋においてあった木刀を手にし、私にも一緒に部屋に来てくれと悲壮な顔で懇願した。
仕方なく二人で弟の寝ていた部屋に戻ると、部屋の外からは物音もなく、家の裏を流れる小さな川の水音が聞こえているだけだった。少し落ち着かせて弟に詳しく聞いてみると、まず誰か塀に飛び載った物音で目を覚ましたという。初めは野良猫かと思ったらしいが、塀を軋ませる重量の大きさからして、これは人に違いないと感じたのだそうだ。離れの部屋と外の塀との間には、一メートル幅の通路があって庭へと続いていたが、そこには白い玉砂利が敷き詰められていた。塀の上に誰かが載っていると思った後も、相変わらず塀は何者かの重さで軋み続けていて、その後すぐにその塀の上から誰かが、ザックと庭の玉砂利の上に飛び降りる音がしたという。そして、人が玉砂利を踏みしめて歩く音が聞こえたので、弟は、これは泥棒か強盗に違いないと確信し、私の部屋に飛び込んできたのだそうだ。

部屋に入った二人は、極度に緊張しながら屋外の物音に全神経を集中したが、その日は風もなく庭木の枝や葉を揺らす音も聞こえず、相変わらず小さな川の水音だけが聞こえていた。もし泥棒や強盗の侵入なら、大した武器もなく二人で立ち向かうのも危険だし、場合によっては警察に連絡しなければならない。しかし今の段階では、泥棒や強盗と断定することができず、私には家族のすべてを起こすかどうかの判断も付かなかった。
それから一〇分程二人は無言で周辺の音に聞き耳を立てていたが、やはり川の水音しか聞こえてこない。あまりに静かなので、弟も些細な物音を大袈裟に報告したのではないかと私に誤解されていないか不安に思ったのだろう。さらに詳しく、少し前に弟が経験したことを再び私に説明した。弟のただならない慌てようから、彼が本当に泥棒や強盗だと思っていたのは間違いないと思えた。それでもその後、一時間ほど二人は物音に注意を払っていたが、やはりそれ以上の変化はなかった。

かといって、外から人が侵入してきた可能性が少しでも残るのなら、安眠する訳にもいかずとりあえず二人で寝ずの番をすることにした。何事もなくこのまま推移すれば、交代で寝ようとも話し合ったが、場合によっては生命に関わる危険が去ったわけではないので、二人ともそのまま一睡もすることも出来ず、ほとんど言葉を交わすこともなく外が白けるのを待った。朝になって外が明るくなるのを待っていたように、木刀を持って家の周囲や庭を詳しく調べたが、全く何も変わったことはなかった。庭には多くの草花が植えてあったが、それらが何者かの靴で踏み荒らされているという痕跡もなかった。その後、起床してきた家族に昨夜弟から聞かされた異変をかいつまんで話すと、引っ越したばかりの家で落ち着かず、ちょっとした物音に弟が過剰反応したのではないのかと判断された。そう断ぜられると、私にも弟の話の信憑性を判断する確たる根拠はなかったが、その夜を境に弟はもう決して離れの部屋で寝ようとはしなかったのは事実だった。
 
侵入者が塀を乗り越えてきたと弟が大騒ぎしてから、丁度一週間ほど後に、今度は私が夜中に何者かが玉砂利を踏む音を聞いた。誰かが玉砂利を踏んで歩く音を聞いて目を覚まし、布団を剥いで身を起こしたのとほぼ同時に、ドアを開けて弟が私の部屋に飛び込んできた。弟は顔面蒼白で、侵入者のいることを怖れながらも、あの夜の自分の主張が正しかったことを強く訴えた。
弟はその夜離れの部屋にはいなかった。あの夜の出来事から神経が敏感になっていて、母屋の真ん中にある部屋で寝ていたにもかかわらず、私と同様玉砂利を踏む音に気が付いたようだった。確かに弟が言う通り、猫程度の小さなものが玉砂利を踏む音ではなく、どさっと質量感のあるものが一歩、二歩と玉砂利の上を歩いていた。私にもそれは間違いなく人間が歩いている音のように聞こえた。疑う余地なく、誰かがこの家に侵入したのだと思った瞬間、体中に鳥肌が立ってきた。急いで寝ている家族を全員叩き起こさなければと思いながら、まず私と弟は木刀やゴルフクラブを手に、庭中が見渡しやすい離れの部屋に入って窓を全開にした。そして災害用の大型懐中電灯で庭や通路を隈なく照らしてみたが、やはり何も発見できなかった。

しかし今や、泥棒や強盗がわが家に侵入した可能性があり、場合によっては生命にも危険があるという判断は、私たち兄弟の共通のものだったので、迷わず家族に伝え、緊急の対応を呼びかけることにした。私たちは急いで階段を上がりながら、父と母が寝ている部屋に向かって大声を出し、不審者がわが家に侵入した可能性があることを叫ぶように伝えた。私たちの尋常ではない大声に叩き起こされた父と母は、慌てて襖を開けたが、こんな夜中に兄弟が二人揃って駆けつけてきたことにまず驚いていた。
そして私たちの引き攣(つ)ったような表情を見て、ただ事でないことだけはすぐに理解した。それでも父と母はまだ完全に目が覚めていないのか、要領をえないまま寝間着姿で私たちの指示に従った。まだ使い慣れない階段をゆっくり階下に降りて、黙って離れの部屋まで私たちの後についてきた。兄にも同様に大声でわが家の危機を伝えたが、兄は父母より少し遅れて離れの部屋にやってきた。何かは知らないが、わざわざ人を起こすほど出来事なのかと、寝入りばなを起こされた兄はいかにも不満げな表情を見せていた。
 
弟は家族が顔を揃えると、先週の夜と、今夜起こった出来事を早口に捲し立てて説明していたが、話に幾分混乱があったので、私がある程度客観的な表現で、この家に起こった二度の出来事を簡潔に説明し、そのことによる危機を訴えた。木刀とゴルフクラブを握りしめた私たちの話を聞いて、父と兄は驚いて恐怖の表情を見せたが、意外なことに母はあまり驚く様子もなかった。少し頭を傾げたと思うと、自分で納得したような表情になったかと思うと、「分かった、分かった。よう分かりました。それはな、お婆ちゃんがこの家に戻ってきはったんや!」と、こともなげに呟いたのだった。
母の超自然的な解釈によると、先週の夜は仏壇を初めて開いた日だったので、さっそく祖母が仏壇に戻ってきたのだという。仏壇が開いていなかったら、わが家を示す目印がなくて、どこに帰ればいいのか困っていたに違いないが、先週の夜にわが家の所在が分かって、夜中にようやく帰ってきたのだという。それでも引っ越して初めてのお盆だったので、この家のどこに玄関があるかもわからず、仕方なく塀を乗り越えて入ってきたのだと、疑いようのない真実のように母は説明した。

そしてまた今夜は、お盆が終わったので、家族に別れを告げて帰っていったというのだ。確かにその夜は、五山の送り火が京の夜空を美しく照らしていた。この超自然的な母の解釈を、母はもちろん、父や兄もなるほどと納得して、表情に現れていた不安を一気に解いて、そのまま自分の部屋へと戻っていった。これで収まらないのは弟だった。「一旦家に入れたんやから、帰る時くらいは玄関から出たらええのに、なんでまた塀を乗り越えて帰るんや!」と大きな声で家族に抗議していた。その後も弟は、決して離れの部屋で寝ようとはしなかったので、きっと今でも母の解釈を全く信じていないのは確かなことだった。

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