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特殊機関の猫

「千の点描」 <第六一話>

「いつも、誰かに尾行されているような気がする!」と、雑賀(さいが)は神経質に背後を窺(うかが)いながら、私が開けた家の扉の隙間から囁(ささや)くように言った。今朝、長い間消息がなかった雑賀から突然の電話があって、どうしても相談したいことがあるという。だが家族にも周りの人にも言えないことなので、内密に相談したい。ついては、今から家を訪問するので、ぜひに会って欲しいということだった。偶然その日は、私一人だけしか家に居なかったので、雑賀のその申し入れを受け入れた。私も彼の後をつけてくる者がいないことを確認して、静かに扉を開いて彼を招き入れた。
高校を卒業してからの彼のことは共通の友人から聞いていた。学生運動の過激なセクトに属していて活動家になっているという。雑賀の言う誰かに尾行されているのではないかという恐れは、当時の政治状況から見て、その可能性はある程度あると思っていた。雑賀は高校の一年、三年の時の同級生で、高校当時は体育会系的な根性第一のキャラクターに加えて、大勢の仲間と踊って歌って、喰って騒ぐのが大好きなお祭り人間だった。当時、音楽の世界で国際的なブームを引き起こしていたビートルズの仕草を真似て、テニスのラケットをギターのように抱えながら、おどけてビートルズのヒット曲を歌ってクラスを沸せていた。拙い英語であったが、英語の歌詞を勉強して歌っていたので、彼の真面目な一面を知ったことを覚えている。
 
私は確かに雑賀の同級生ではあったが、かといってあまり親しく交流していた訳ではない。ただ二人の家は、五、六〇〇メートルほどしか離れていなかったので、近所でもよく顔を合わせ、挨拶に毛の生えた程度の会話はあった。それだけではなくて、二人は小学校、中学校は同じ校区だったし、高校も同じだったので、PTAのつながりなのか、私たちの母親同士には親しい付き合いがあった。そうしたこともあって雑賀の母親は、私たち二人が古くから親友同士であると認識していたようであった。その後、三年生の頃に、仲間内の小旅行があって、その際に偶然私も旅行に同行したことがあった。その小旅行で、二人は一気に意気投合したという訳ではないが、それをきっかけにまずまず気軽に話せる仲になっていた。このように雑賀とは濃淡入り混じった交友の期間を持っていたが、総じて言うと、やはり雑賀の印象は学生運動の活動家のイメージとは程遠い存在だった。
 
私と同じ町内に、雑賀とは別に子供の頃からの幼馴染がいて、彼も高校三年の時の同級生だった。ところがこの友人と雑賀は、運動部同士の関りなのかそこそこの交友があり、高校を卒業してからの雑賀の消息を知っていた。高校を卒業して、雑賀が四国にある国立大学に入学したことは私も知っていたが、幼い頃からのスポーツ好きだと思っていただけに、幼馴染の友人から、彼が学生運動の活動家になっていると聞いて驚いたことを記憶している。ただ彼の叔父は著名な国際ジャーナリストで、その影響もあって何かをきっかけに政治的に目覚めた可能性もあると推測するしかなかった。雑賀は、サッカーのクラブ活動を続けながら、同時に学生運動にのめり込んでいった。そんなケースもあるにはあるのだろうが、私の経験からいうとレアなケースだと思う。ただ彼は高校生の時から、運動部の活動も学生運動の活動も、それほど違ったモノだとは認識していなかったようだ。大学に入ったら運動部も学生運動も、学生の特権みたいなものだから、青春を賭けて一生懸命頑張りたいと、ユニークな考え方を語っていたのを思い出していた。

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