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熱湯の中の氷片

「千の点描」 <第三八話>

彼女は青いフードをやや目深に被り、周囲を見回すこともなく黙々とジョギングに集中していた。オーディコロンが香ってくるほどすぐ傍を彼女が通り過ぎたとしても、ただ外国人の女性がジョギングしているようにしか見えなかっただろう。しかし、無心に走っている女性の周囲を少し注意深く観察すると、彼女の前後左右に、それぞれ二、三〇メートルほどの距離を取って、数人の屈強な男たちがいることに気付くはずだ。それが明確に認識できたのは、彼女が三〇度くらいの角度で広い道路を斜めに横断しているときだった。数人の男性が彼女を中心に長方形を形作り、やはり三〇度くらいの角度でそのまま斜めに道路を横断していった。屈強の数人の男性は、なだらかに彼女を結界の中心に取り囲みながら、彼女と同じスピードで走っていた。ジョギングパンツの下に伸びるその女性の脚はしなやかで、それでいてアスリートを思わせるしたたかな筋肉を感じさせた。彼女は少しも呼吸の乱れも感じさせず、ニューヨークのセントラルパークを走っているように軽々とステップを踏んでいた。

世界のスーパースターである彼女は、噂通りワールド・コンサートツアーの訪問先でも、日課のジョギングを欠かさなかった。その姿はコマーシャルフィルムほどにスタイリッシュではなく、生身の人間らしい現実感を伴っていた。ジョギングの時間からみて、彼女の走っているルートは、前日から宿泊していた中之島のホテルから、今夜のコンサート会場となる大きなスタジアムまでだろうと容易に推察された。ホテルから川沿いに中之島公会堂のすぐ横を通って、北浜の証券取引所辺りを走り、天神橋の南詰め、京橋周辺を経由するものと思われた。いずれも多数の人が行き交う繁華な場所だったが、一番賑やかな通りを一筋避けて、比較的人が少ないオフィス街のルートを取ったので、彼女をスーパースターだと気付いた人はほとんどいなかった。
もし誰かが、あのスーパースターに似ていると思ったとしても、大阪のビジネス街を無防備に走る彼女を、その当人だと考える人はいなかっただろう。彼女のジョギングは、さりげないようで実際は周到に準備されていたものに違いなかった。とにかくここ数日はメディアが彼女の一挙一動に目を光らせていたはずなのだが、その隙をついて巧妙に彼らを撒いたことになる。結局彼女たちは誰にも気付かれることなく、やがて目的地であるスタジアムへと到着した。ジョギング中はある意味で無防備に近かったが、彼女の到着を待ち受けていたスタジアムの警備はものものしいものだった。ツアーに同行しているプライベートなガードマンに加え、コンサートの主催者が用意した数十人ほどのガードマンが待機していた。さらには、熱狂的なファンによる混乱に備えて管轄署の警察官も警備に加わり、スタジアムはまさに蟻の這入る隙間もないほどの厳戒態勢だった。
 
スタジアムでのコンサートのチケットは、六か月前の前売り券の発売開始からわずか三〇分で完売し、デビューから長い時間を経た今も、彼女の変わらない人気を証明していた。ジョギングで汗まみれになったスーパースターは、肩で息することもなく楽屋入り口からスタジアムに入っていった。その瞬間から、スタジアムに生命のスゥィッチが入ったように、スタジアムのすべてが静かに機能し始めたように感じられた。スーパースターを世俗的な目で見ると、彼女は絶対的な支配者のように見える。しかし現実のエンターティメントは夢の世界ではない。一人のスーパースターを商品として、大勢のスタッフが多様なプロモーションの仕事を分担し、一つのエンタープライズとして機能している。
しかし時に、突出した才能が誕生すると、その人の存在が商品であることを超越して、エンタープライズの事業の本質となり、発信するメッセージが唯一無二の事業コンセプトとなる。それほどのアーティストは一〇年、二〇年に一人で、世界中でも数えるほどしかいないが、まぎれもなく彼女はその中の一人だった。彼女のその時代ごとの社会的な反応、思い入れや情熱が、歌やパフォーマンスといったメッセージの形で事業のコンセプトとなる。その意味においては、スーパースターである彼女がまさに神であり、エンタープライズの実質的なオーナーでもある。
したがって、レコーディングやステージにおいてスタッフたちは、スーパースターの絶対的な意思に従って恭しく彼女の指示に従って立ち働いていることが想像される。しかしイメージに反してスタジアムでの彼女とスタッフの関係は必ずしもそうではなかった。
 
つまり、スタッフが彼女の指示に従うのではなく、彼らが彼女の成すがままの行動を許容しているようにも見えた。おそらく彼女の行動をすべての基準に、それぞれのスタッフが彼女の行動に対応した自分たちの仕事をこなしていたのだ。彼女の指示が必要なわずかな事柄については、彼女の行動を妨げないように最小限のメッセージが彼女に伝えられていた。例えて言うとそれは蜜蜂の世界に似ていた。命令伝達のネットワークは目に見えず、女王蜂は自らに与えられた能力に従って自らの仕事に専念し、働き蜂もそれに対応しながらそれぞれ自分の責務を黙々と果たしているように思えた。
スーパースターは、彼女がスタジアムに到着する以前に準備完了していたステージをチェックすることもなく、ホールの音響や照明を気にするでもなかった。ステージに一瞥(いちべつ)をくれると、そのまま楽屋に向かうのかと思ったが、そうではなかった。彼女は思い立ったように、突然舞台袖近くにあった地下への階段を降り始めたのだった。その行動に特別の目的があるようにも見えなかったが、階段を下へと降りるとスタスタとスタジアムの大道具や照明スタッフの控え室のある方へと歩いていった。むしろ、気まぐれに彼女が歩いていく先に、偶然ホールの舞台スタッフの部屋があったというべきかもしれない。スタジアムの警備員がその姿に気付いて、何処に行くのかと声をかけようとしたが、彼女が今夜のコンサートの主役であるスーパースターであることに気付いてそれを思い留まった。
 
彼女は少しの躊躇(とまど)いもなく、一つの舞台スタッフの部屋の扉を開いて、そのまま無言で中に入っていった。部屋の中には初老の女性清掃作業員が一人いて、突然の訪問者にひどく驚き、モップを手にぽかんと彼女を凝視していた。初老の作業員は、入ってきたその人物が今夜舞台に立つスーパースターであることを知っていたのだろう。その作業員は驚きから醒(さ)めて、ハッとして我に返ると、まるで自分が居てはいけない場所に居たかのように、慌てて部屋を出ようとした。しかしスーパースターは、私の方が闖入者なのだからとでも言っているような仕草で、静かに作業員の動きを制した。
スーパースターの含みのない親しげな笑顔につられて、作業員はごく自然に彼女の笑顔に向けて挨拶を返した。それも日本語ではなく、滑らかな英語だった。素朴な女性作業員が思いがけなく英語を話したことにスーパースターが驚いたのか、あるいは流暢な英語を話す女性作業員に興味を持ったのか、それは分からない。スーパースターは舞台スタッフの部屋にあったパイプ椅子を無造作に自分の方に引き寄せ、そこにゆっくりと腰を落とすと、そのまま女性清掃作業員と言葉を交わし始めたのだった。
 
女性清掃作業員がなぜ流暢な英語を話すのか、その理由は分からない。かつてアメリカに居住していたのか、あるいは日系移民の子孫なのかも知れない。彼女が英語を話せる理由や、その人が歩んできた人生はいろいろと想像できる。同じように、英語を話す初老の女性が、ホールの清掃作業員として従事している理由も幾らでも考えられる。しかし、それはスーパースターにとって、女性作業員にとってもどうでもいいことであったように窺(うかが)えた。少なくとも二人は、そんなことを気にする様子もなく、あたかも
友人同士のように親しく話し続けていた。
スーパースターと女性作業員との間に、どのような会話が交わされたのかは、実際のところは当の二人以外には誰も知らない。ただ半開きの部屋の扉からは、幾つかの会話の断片が廊下にこぼれ出ていた。誰かが廊下で二人の様子を窺っていたとしたら、「ベイ・シティ」や「バルビゾン派の絵画」、「エディット・ピアフ」、「スタンリー・キューブリック」、「ヴェロニカ」といった会話の断片を耳にしたに違いない。互いに話す必要に迫られていたわけでもないのに、二人はゆっくりと一時間半も話し込んでいた。
 
ときおりスーパースターのスタッフが、ただ部屋の前を通り過ぎているという風情で、半開きの扉からそれとなく部屋の中の様子を窺がっていた。そして楽しく快活なスーパースターの話し声を確認すると、そのまま黙って扉の前を通り過ぎ、決して部屋の中に入ってくることはなかった。近寄りがたいスーパースターの気まぐれと言ってしまえばそれまでのことだが、とにかくそれは予想外の展開だった。世界のスーパースターが、日本の地方ホールの舞台スタッフの控え室で、初めて会った名も無き清掃作業員と、二人っきりで一時間半も膝を交えて話し込んだのだ。この不思議な出来事を知っていたのは、ごく限られた側近のスタッフと彼女を日本へ招聘したプロモーターの担当マネージャーだけだった。
 
しかし、熱湯の中に投じられた一片の氷の欠片が、時間の経過とともに溶け続けて小さくなりながらも、熱湯の中でしばし浮かんでいるように、束の間だが世の中には、あり得ない不思議な空間と時間は確かに存在する。崑崙山脈の氷河が融けて、灼熱のタクラマカン砂漠におびただしい量の水が溢れ出し、わずかな間に過ぎないが、幻のように登場する大河ホータン川。それと同じように、人生にも常ならない奇跡の瞬間が訪れることがある。作業員の女性が、あるいはスーパースターが、その奇跡を経験して何を考えたのか、あるいはそれを契機にどんな生き方を学んだのか、それは分からない。しかし、その奇跡の瞬間が突然訪れ、ひと時の間存在したのは二人にとって紛れもない事実だった。
 

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