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温泉町の二四面鏡

「千の点描」 <第三三話>

観光案内のポスターでも、雪の…という形容詞が付くほどに雪景色が美しい温泉町だった。私たち一行がこの季節にこの温泉を選んだ理由の一つもやはりその雪景色だった。ところがこの年の冬は記録的な暖冬で、本来なら厳冬と呼ばれている時期を迎えていたが、桜が咲いても可笑しくないほどの暖かさだった。目的の温泉に雪がないことは事前に知らされていたが、いざ町に一歩足を踏み入れてみると、雪のことなどすっかり忘れるほど、穏やかな温泉町の風情が心に押し寄せてきて、この温泉を選んだことが正解だったように思えた。
川の流れの両側に、温泉旅館が立ち並び、川の両側に並行して走る表通りや川を渡る石橋の上を、浴衣姿の温泉客がたくさん行き交う。私たちがこの温泉に着いたのは午後の二時で、宿で一休みしてから温泉に入った。ここ二、三年はご無沙汰していたが、この温泉は私のお気に入りの温泉で時間に融通が利いた頃は、妻と一緒に毎冬のように訪れていたものだった。温泉町は、朝の目覚めが早く、外湯を巡る温泉客たちの下駄や草履の音が、せせらぎの水音と調和して、心地よく耳に届く。昼は昼で、観光客を町に運んでくるバスやタクシーのエンジン音、バスから降りてくる観光客のざわめきが、この町の活気を語ってくれる。陽が落ちる頃になって、薄明かりの中に白い湯けむりが浮かびあがり、ようやく温泉町の落ち着いた風情が戻ってくる。そうした温泉町の一日のすべてが、私には好もしいものに思われた。
 
私たちの一行の中には初めてこの温泉町に来た人もいる。自分でこの温泉町を発見していくのが楽しみだと思うので、無粋な知ったかぶりは遠慮しておいた。どこの温泉町でもそうだが、ほのぼのとした温泉町の表情とは別のもう一つの横顔がある。別に不穏なものや危険があるということではなくて、いわゆる歓楽街的な側面のことだ。表通りを川の流れから遠ざかる方向に折れて、小さな路地に入るとそこにはもう一つの温泉町の風情が表れる。細い路地を入ると、川沿いに立ち並んだ温泉旅館に灯る穏やかな光の色調とは打って変わって、ネオンの扇情的な色彩が湯の街を訪れた訪問者の目を引き付ける。繁華街というには寂しすぎるし、歓楽街というにはささやかすぎる温泉町特有の処で、温泉町を訪れる男たちのいたずら心に応えていた。
バーの電飾看板や、飲み屋の赤提灯の控えめな灯りを圧倒するように、ネオンの毒々しい光が「六面鏡ストリップ」をアピールしていた。ところが、そのネオンに目を奪われる暇(いとま)もなく、すぐその先に「一二面鏡ストリップ」という別のネオンが目に入る。さらにそのネオンのもう一つ奥にも、「二四面鏡ストリップ」の文字が輝いていた。数字が二倍ずつ増えていく奇妙なストリップ劇場のネオンは、この温泉町を初めて訪れた男たちにささやかな話題を提供していた。
 
この温泉町を訪れていたオーケストラのメンバーの中にも、すでにこうした路地に足を踏み入れた者が何人かいて、ストリップ劇場のネオンのことが話題になっていた。その中の一人が温泉旅館の番頭さんに、看板の数字がなぜ二倍ずつ増えていくのかと尋ねていたが、番頭さんは困ったような顔をした。おそらくあまり話したくないことが話題になっているからに違いない。番頭さんが苦々しく話してくれた内容は、どうにも馬鹿々々しいものだった。この温泉町では一時ストリップ劇場が乱立気味で、激しい客の奪い合いになっていたという。ところが、競合し合う業者の中に、少し才覚のあるのがいて、「三面鏡ストリップ」という新しいアイデアを売り物にした。文字通り、ストリップの踊り子の背面に三面鏡を置き、踊り子の背面も見ることが出来るという他愛ない趣向だったが、文字づらの目新しさもあって、一時期人気を博したことがあった。
その成功に刺激された同業者は必死で巻き返しを考えたが、画期的なアイデアも出なくて、結局は三面鏡の焼き直しで、六面鏡ストリップという対抗策を打ち出した。笑い話みたいだが、それでも六面鏡ストリップが出たときにはその店に客が集中したという。単なるアイデアの焼き直しに過ぎないが、六面鏡、次に一二面鏡と数字がどんどんエスカレートしていって、その最先端のものが「二四面鏡ストリップ」ということだった。三面鏡も、二四面鏡も本質的にはまった同じ趣向だが、一見の観光客には鏡の数の多い方が目新しいものと映ったかも知れない。
 
この温泉町からさほど遠くない地方都市でオーケストラの演奏会があった。この演奏会は半月余りにわたる長いコンサート・ツアーの最後の公演に当たり、長いツアーの慰労の意味で、オーケストラのメンバー全員がこの温泉町を訪れていた。本来ならば出演アーティストは、公演地である地方都市のホテルに宿泊するのが建前だが、オーケストラの事務局はメンバーからの強い要望に押し切られ、演奏会が終わった翌日の朝に、地方都市からこの温泉町に急遽移動したのだ。
オーケストラの事務局の気の利いた計らいといえるのだが、すべてがそれでうまく収まるとはいえなかった。今回のツアーの指揮者は、欧米での活躍も多い巨匠だった。長いツアーでは指揮者もソリストもオーケストラと行動を共にしてきたので、慰労ということであれば断るわけにもいかず、巨匠もこの温泉町に宿泊することに同意した。これが、この悲惨な出来事のささやかな出発点だった。巨匠は温厚で物静かな人だった。いつも笑顔を絶やさず、オーケストラの事務局の体面にも気を遣い、余程のこと以外は事務局の要請を受け入れていた。宿泊していた温泉旅館では、事務局がセットした巨匠やソリスト、オーケストラの主要メンバーが顔をそろえた慰労の宴が開かれた。一同、ツアーが終了した安堵感から肩の力も抜け、旬の贅沢なカニ料理に酒もすすんだ。日頃はあまり酒に強くない事務長も上機嫌で、慰労宴のメンバーと盛んに杯を交わした。これも、この悲惨な出来事のもう一つの伏線になった。
 
酔いの回った事務長は、そのまま宴(うたげ)をお開きにすればよかったのだが、変に気が大きくなり、気を利かせたつもりで、巨匠を夜の温泉町に誘った。ツアーマネージャーである私も同行すべきだったのだが、ちょうどテレビでモハメッド・アリのボクシングの試合が放映されていた。目の離せない展開だったので、少しお酒を飲み過ぎたので酩酊しているという理由を付けて、その夜の同行を遠慮した。夜の温泉町をそぞろ歩きするのは悪いアイデアではなかったが、事務長は巨匠を表の通りではなく、もう一つの温泉町の顔、つまり裏通りの路地へと案内したのだ。
海外での生活が長かった巨匠にすれば、この路地で見聞きするものは間違いなく未知との遭遇に違いなかった。巨匠は、何処に向かっているのかを知る由もなく、この夜は無礼講という約束なので、少々のことは黙って受け入れようと思っていたのだろう。ところが、二四面鏡ストリップのネオンサインの前に立った時には、さすがの巨匠も戸惑いの表情を隠せなかった。しかしそこは温厚な人柄だけに、折角の趣向を台無しにしては申し訳ないと、思いきって未知の空間に足を踏み入れたのだ。後になって考えれば、これが決定的な悲劇への一歩だった。
 
温泉町のストリップは、エロチックというよりどちらかというとコミカルな仕立てが主流で、ストリップの踊り子も、ストリップ嬢と呼べるような若い人はめったにいなくて、正確にはほとんどがストリップおばさんというのが現実だった。四畳半程度の部屋に、床の間を少し大きくした程度のステージらしきものが設けられていて、舞台の後ろには半円形状に二四面鏡が配置されていた。この場に相応しい典型的な艶歌が流れる中、ストリップ嬢は、闘牛士のように赤い腰巻を巧みに操りながら、下腹部を見えるようで見えないように、小さな舞台いっぱいにただ忙しく動き回っていた。
一曲目の艶歌が終わり、ストリップ嬢も一通り踊り終えると、ここからがコミカルな演芸にトーンが変わる。音楽も艶歌から場違いな童謡風の音楽に変わった。ストリップ嬢は、聴衆を煽情するように艶めかしい視線を投げかけながら、恭しく自分の乳房を手でつかみ、「ここが森永乳業の牛乳工場」と、つまらない話芸で客を笑わせる。客がわこうがわくまいが一向に気にすることもなく、次に踊り子は客の方にくるっとお尻を向けて、自分の手で臀部を軽くたたき、「ここが大阪ガスのガスタンク」と、囃したてた。そうした芸の合間に、客とのやり取りや、他愛ない漫談で、客の笑いを誘っていた。謹厳実直な巨匠としては、何とも反応のしようもなく、それでも温厚な笑顔を絶やさなかったが、客はせいぜい全部で一〇人程度なので、ストリップ嬢も笑わぬ巨匠が気になって仕方がないといった様子だった。
 
ストリップ嬢は、笑わぬ巨匠が東京の人間と目敏く見てとり、とっさに東京をモチーフに話芸を展開しようとした。つまり、自分の下腹部をグルグルとなぜ回し、ここが「東京都水道局」と、ご機嫌を取ったか思うと、次はお腹の手術痕の傷を手で触りながら、ここを走るのは「山手線」と、巨匠の気を引こうと、必死で頑張るのだが、巨匠はまったく表情を変えない。ストリップ嬢は、どうしてもプロの根性を見せなくてはならないと思ったのか、いきなりステージを降りて巨匠に近寄って、あっという間に巨匠の眼鏡を奪って自分の股の間に挟み込んだ。普段の成り行きとしては、慌てた客が眼鏡を取り戻そうと、ストリップ嬢と型通りの絡み合いをして、適当に盛り上がったところで眼鏡を返すという展開になる。しかし巨匠は微動もしない。
プロとして巨匠に敗北したのが悔しくて、ストリップ嬢の頭の中で何かがプツンと切れたのか、ストリップ嬢は巨匠の眼鏡を乳房に挟んだり、お尻に挟んだりと、意味もなく迷走し始めた。巨匠に同行した事務長も初老の楽譜係のスタッフも、思わぬ成り行きに仰天したが、世事に疎い不器用な人ばかりなので、ただオロオロするばかりだった。ストリップ嬢が不必要に眼鏡を弄(いじく)っている間に、眼鏡のレンズはストリップ嬢の手の脂かそれとも汗なのか、まるで擦りガラスのようにすっかり曇ってしまっていた。
それが直接の動機か、あるいは目の前で繰り広げられた一連の出来事に対して我慢の臨界点に達していたのか、巨匠は意を決したように立ち上がり、怒りに震えながら眼鏡を返せとばかりに、ストリップ嬢に詰め寄った。眼鏡を奪い返そうとする中で、どうした弾みか、巨匠が赤い腰巻を引っ張って奪い取る格好になってしまったのだ。その拍子にストリップ嬢は、客席を向いてどしんと尻餅をつき、たちまち込コミカルなショーは中断されてしまった。これが悲惨な出来事の経緯であった。
 
ストリップ劇場のオーナーである地廻りのやくざは、巨匠が誰かを知るはずもなく、自分の面子を守るために巨匠に謝罪を要求したが、巨匠は頑として受付けない。挙句の果てに、巨匠はストリップ嬢の楽屋にしばし拘束される羽目となったのだった。同行した楽譜係のスタッフが慌てて温泉旅館に駆け戻り、ツアーマネージャーの私の部屋に飛び込んできた。私としてもまったく想定外のことで、妙案があるわけではない。仕方なく、泊まっていた温泉旅館の主人に相談することにした。旅館の主人は驚いて、すぐに始末をつけてきますと言うのだが、こちらにも些かの落ち度があるし、何といっても巨匠の名前が表に出るのだけは避けたかった。
そこで旅館の主人のアドバイスに従いマネージャーである私が一斗樽を携えて、地廻りのやくざの事務所に出向いて詫びを入れるという形をとることにした。ところが事前に旅館の主人が地廻りのやくざに電話を入れ、拘束中の人物は世界的にも有名な芸術家だと伝えたものだから、相手もかなり恐縮した。巨匠はすぐに旅館に送り届けるし、一切詫びには及ばないとことだった。そうもいかないと、私と相手方との間に多少の押し問答があって、結果的には私の方が手打ちの一席を設けることで一件落着ということとなった。これが、巨匠にとっての世にも悲惨な出来事の一部始終だった。翌朝、温泉町から東京へと向かう列車のグリーン車の中で、巨匠は何事もなかったようにいつもの温厚な笑顔であった。しかしその眼はもう以前のように笑っていなかった。
 

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