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運命の腕立て伏せ

「千の点描」 <第七話>

私の家は大所帯だった。父母に祖母、兄弟五人に、父方の従兄を加え合計九人。それに兄の友人が居候していて、それを加えると総勢一〇人になる。豊かな家でもないのに母が万事鷹揚(おうよう)で、食べるものでも、格式のある料亭に出入りしていた高級鮮魚屋から旬の魚を取り寄せるといったように、金に糸目をつけないというほどでもないが、美味しいものには目がなかった。私が幼い頃といえば、戦後一〇年も経っていなかったので、日本の食事情はかなり酷(ひど)いものだったが、私の家では分不相応に結構贅沢なものが食卓に載っていた。おそらくエンゲル係数は一般の家庭に比べて、かなり高かったのではないかと思う。
私の家の朝食はパン食が中心で、母は近所のパン屋のパンは美味しくないと決めつけていた。そこで、近所のパン屋の前は素通りして、家から歩いて二〇分もかかる鈴木のパン屋でパンを買っていた。パンを買いに行くのは母と私の役目だったが、それには理由があった。総勢一〇人の朝食のパンとなると相当な量になるので、母一人ではとても持ちきれなかったのだ。当時の日本の食事では、炭水化物の摂取量が圧倒的に多く、朝のパン食といっても一人でトースト四、五枚は食べていたような気がする。それが一〇人分になるので、詳しい量は忘れたが多分一日数斤の食パンを買っていたのだと思う。
 
鈴木のパン屋には私と同じ歳くらいの子供がいた。母と私が鈴木のパン屋に行くと、あまりきれいとは思えない木枠にガラスを嵌(は)めたパンの陳列ケースの横で、緑色の洟(はな)を垂らして、いつも母と私をぼんやり見ていた。鈴木の両親は朝早くから自家製のパンを焼き、二人で店頭に立っていた。子供の観察だからあまり当てにできないが、まずは実直そうに見えた。とはいえなぜかすこぶる不愛想で、私の家は上得意先であったはずなのに、いつまでたってもお天気の話をする以上に母や私と親しくなることはなかった。
 
それからしばらくして、母がパン屋に行く時の付き添いは、私から弟に代替わりして、私も鈴木のパン屋の子供のことをすっかり忘れていたが、小学校に入ってすぐに、パン屋の子供の鈴木と再会することになった。といっても懐かしく話をしたということでもなく、ただ私と同じ学校にパン屋の鈴木がいることを知ったに過ぎない。しかし小学校の二年生になると、鈴木と私が同じクラスになった。もちろん互いに顔見知りで、親しくなっても不思議ではないが、いつまでたっても親しくなることはなかった。おそらく何かが、二人の親交が深まることを妨げていたのだろう。
しかし、私と親しくくならなかったことが特別なことではなく、鈴木は誰とも親しくしていないことに気付いた。私も多くの友達と楽しく触れ合うという性格ではなく、どちらかというと一人でいることが多かったが、鈴木の場合は完全に孤立しているといった感じだった。
ところが二学期になった頃から、鈴木とクラスのメンバーとの関係が急激に変化していった。つまり彼は、クラスの支配者のようにクラスの男子生徒に対して威圧的な態度を取り始めたのだ。私がクラスの人間関係に無関心だったということもあるが、何がきっかけで、どのような経緯をたどってそのような状態になったのかはまったく知らない。だから私の視点から言えば、それはある日突然始まったという印象だった。大人の世界から見れば、鈴木は少し腕白な子供くらいにしか認識できないだろうが、小学二年生の私たちの目には、彼は邪悪この上ない権力者と映っていた。気に入った物なら、誰の物でもお構いなしに取り上げた。もちろん鈴木に反抗したり、彼の行いを非難すれば、即座に腕を捩(ね)じ上げられ、乱暴この上ないヘッドロックを見舞われた。鈴木の横暴な振る舞いと、有無を言わせない鉄拳制裁に接している子供たちにすれば、彼は世の中で最も恐ろしい怖い存在だった。
 
私はというと、鈴木の支配体制が完成するまで、クラスにおける支配体制の浸透に気付かなかった。それは、鈴木が私だけには暴力を振るったり、いじめたりすることがなかったからだ。後になってその理由に思い当たるのだが、私の家がパンを大量消費する大家族で、鈴木のパン屋の上得意だったからだと思う。大人の世界と子供の世界はまったく別のものだが、どこかで二つの世界は微妙につながっているのだ。だから私は鈴木に怯えることもなく、直接の脅威を受けることもないので、彼が支配する子供の世界をある程度冷静に観察することができた。
鈴木のクラス支配の目的は、やはり権力欲を満たすことだと思う。鈴木のパン屋の夫婦の誠実そうな顔を思い浮かべても権力欲の背景が見えてこないし、洟を垂らしていた幼い鈴木の姿を思い返しても、やはり権力欲の萌芽が感じられない。しかしそれはどうあっても、鈴木の行動が権力欲に裏打ちされていることは疑いの余地がないように思えた。鈴木は、自分の権力を誇示するために、同級生たちにさまざまなことを要求した。その一つが野球チームの結成だった。鈴木の突然の思い付きと、絶対的な命令によってすぐに野球チームが結成された。
もちろん野球チームと言ってもユニフォームがあるわけではなく、全員普段着に運動靴、同級生に供出させた一本のバットと二つのグローブがすべてだった。とはいえ、野球チームを急いで立ち上げても、当たり前のことだがチーム一つでは対戦相手はいない。それは鈴木にとってとても不本意なことだったようで、そこから彼のクラスの生徒への要求はますますエスカレートしていった。最初のチームは、自分の忠実な手下だけで構成されていたが、対戦相手を作るためクラス内にさらに二軍を作ることを要求した。当時の一つのクラスの生徒数はおよそ五〇人で、そのうちの約半分が男子生徒だった。一つのチームには最低九人以上のメンバーが必要なので、二軍を作るとクラスの男子学生のほとんどすべてが鈴木の野球チームに隷属されることになる。
 
二軍を作る際に、一軍に野球の達者な生徒を集めたので、二軍は当然弱いチームになる。試合は学校近くの河川敷で行われたが、一軍と二軍には圧倒的な力の差があって、試合をしていつも一方的な展開となる。これでは選手のモチベーションが下がると危惧したのか、鈴木は同学年の他のクラスにもチーム作りを強制し始めたのだ。これはまさに、鶏が先か、卵が先からの議論になるが、チーム作りが学年全体の支配につながったのか、あるいは学年全体支配のためにチーム作りを進めたのかは分からない。しかし、学年全体での野球チーム作りが、結果的に彼の支配を学年全体に拡げることになった。
つまり、最初のチームを一軍と位置付け、やがて二軍、三軍、はては六軍まで作って、学年のほとんどすべての男子生徒を半ば強制的に野球チームに参加させたのだ。鈴木の抑圧や暴力が、先生や生徒の父兄にほとんど露見することなく維持されたのは、野球という健全なスポーツへの参加という見せかけの意義が、周辺の大人を納得させたのだと思う。有無を言わせない鈴木の強引な行動を間近に見てきた学年の生徒たちには、鈴木の支配は絶対的なもので、少なくとも学校を卒業するまではこの支配体制が変わることはないだろうと、ほとんど諦めの気持ちで彼の支配に甘んじていた。
 
鈴木の絶対王政が続いていたある日、私たちのクラスの体育授業で、先生の掛け声に従ってクラス全員がそろって腕立て伏せをすることになった。多分一週間に一回、体育授業に先駆けての恒例の運動だったような気がする。腕立て伏せの回数が多くなるにつれて脱落者が増えていって、やがて残っている生徒の数が一〇人、五人、三人、二人となり、最後は一人になる。その最後の一人はいつも鈴木だった。
その日は、二〇回を越えて腕立て伏せを続けているのは、五〇人ほどのクラスの内、鈴木を含めわずか一〇人くらいで、私はすでに脱落者の一人だった。先生が三一、三二、三三と掛け声をかけたその時、どこかからブリッという鈍い音がした。運動場では他のクラスの体育の授業も行われていたので遠くから歓声も聞こえていて、特に大きくも不自然な音でもないので、体育の先生を含めその音に気を留めるものもいなかった。腕立て伏せはそのまま続き、先生が三七、三八と掛け声をかけている頃になって、辺り一面に微かにおならのような臭いが漂い始めたのだ。
 
この頃、小学校の運動場の周りにはまだ畑がたくさん残っていて、風向きによっては肥溜めの臭いが漂ってくることもあったので、みんなさほど不自然には感じなかった。私はその臭いがあまりにもフレッシュで生々しいので、これはただ事ではないと一人辺りを見回していた。さらに臭いは次第に周辺の空気を侵食しながら、その領域を急速に拡げていった。
やがて腕立て伏せをしている私たちクラスの全員を、臭いの大きな球体の中に包み込んだ頃になって、ようやく先生とクラスの全員がその臭いの異変に気付いた。一人、二人と周囲を見回す生徒が現れて、腕立て伏せを続けていた生徒も動きを止めて臭いの漂ってくる方向を目で追ったが、皆の視線の先にはうつ伏せになりながら手で顔を覆っている鈴木がいた。
 
白っぽい半ズボンのお尻の辺りはうっすら黄ばみ、半ズボンから飛び出た二つの足は汚物にまみれていた。これが鈴木でなく普通の生徒に関わることだったら、一日、二日、生徒の間で多少話題になった程度のささやかな事件で終わった。しかし、私たちの学校の絶対的な独裁者であった鈴木が主人公だったので、この出来事は長い間生徒たちを支配してきた学校の権力構造を根底から覆す大事件となった。
この事件を境に、永遠に続くと思われたあの鈴木の支配力は、シャボン玉のようにたちまち掻き消えてしまったのだ。当然のことのように、六軍まであった野球チームも翌日にはすべて自然消滅していた。これまでは、真正面から鈴木の顔を見ることもできなかった生徒たちが、これまでの彼への怒りのすべてを込めて、“ババタレ”という不名誉な仇名を彼に投げかけた。
子供らしいといえばその通りだが、あまりにも直截過ぎる仇名に、幼い頃から鈴木のことを知っている私としては多少気の毒に思うこともあったが、彼の横暴さを考えれば当然かも知れない。生徒たちは、初めは陰に隠れて、しばらくすると公然と鈴木を“ババタレ”と呼ぶようになり、一人からクラス全員に、一つのクラスから学年全体に、彼の仇名は瞬く間に学校内に浸透し、しばらく経つと女の子までが、臆することなく鈴木を“ババタレ”と呼ぶようになった。
 
私は鈴木の仇名のことよりも、些細な出来事が、学校の独裁者として君臨していた彼の支配力と権威を一瞬にして奪い去ったことに驚かされた。幼いながらも、手品のように生み出された支配力と権威が、再び手品のように消え去るのを目の当たりにして、社会の仕組みの胡散臭さを思い知らされた。彼の腕力が突然消えてしまったわけではないのに、もはや彼を怖れる生徒は一人もいなかった。

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