潜在意識を無理やり書き換えようとした結果、潜在意識が大暴れしました
引き寄せの法則とか、心理学とか、色々なことをインプットして
怒りは二次感情である
ネガティブな感情はなるべく感じないほうがいい
過去も未来もなく、今しかない
などなど
あれこれと摂取した結果、私がたどり着いた答え
「怒りは二次感情だから、その前の感情さえ理解しておけば、怒りはコントロールできるし、そもそも感じなくてよい」
「ネガティブな感情は悪いものを引き寄せる可能性があるから、なるべく感じないようにしよう。何事も学びとして捉えよう」
「私は過去に捉われがちだから未来志向の練習をして、過去をなるべく考えないようにしよう」
私はこの3つを自分に課して、なるべく怒らないように、なるべく落ち込まないように、なるべく未来志向になるように「気を付けて」生活するようになった。
その結果が出たので、ここに報告してみようと思う。
わたしの怒り
私は霊感がある。霊感がある人あるあるかもしれないが、ものがよく壊れる。特に電化製品はバチンと言ったが最後、二度と電源が入らなくなったり、変な挙動をして戻らなくなったりしてしまう。
だから、私の携帯電話やスマートフォンは1年ともたないのが通例で、大体が電話のマイクの機能が壊れ、電話として仕事をしなくなってしまう。
車に乗っても私が乗っているところのタイヤの空気が著しく抜けてしまったり、手の中でお椀が割れてしまったり電機以外も例外なく壊れてしまう。
ものが壊れる時。
私の感情が動いている時でもある。そして、特にエネルギーが強い感情が怒りだ。怒ってスマホを握りしめれば、一瞬で壊れてしまうし、怒りは二次感情なので、その前にある「不安」なども危険で、あれこれ不安になって考え事をしながら、電灯を眺めようものなら消えてしまったりもする。
なので、元来からなるべく怒らないようにはしている。
怒りを感じるときは、スマホを触らないようにもするし、なるべく一点を見つめないようにもしているので、最近のスマホは2年以上もつようにもなったし、電気が突然消えて、大騒ぎすることもなくなった。
よく言えばアンガーマネジメントができるようになり、自分の感情をコントロールできるようになったともいえるが、心理学を勉強した時に
「怒りは二次感情」ということを知ってしまった。
怒りは2番目に沸き起こる感情で、その前には、不安とか悲しみとか裏切りとか自分を脅かす何かが隠れている。
そう習った時に「なーんだ」と思ってしまったのである。
「なーんだ、じゃあ、怒りっていらないから無視したらいいやん」
そこから、私は、怒りの感情と判断するや否や、その感情を無視するようになった。その前の感情を含めて、まるでゴミ箱にポイポイと捨てるように。分別もせず、ただ、心の空間にほり投げてしまうようになった。
今ならこの判断が正しくないのは分かる。
そもそもなぜ怒りがあるのか考えたときに、そのエネルギーの高い感情があるからこそ、人間は生き延びてきたと考えることもできる。
目の前で仲間が殺されたとき、自分も殺されるという言いようのない恐怖に襲われるだろう、でも、瞬間的に怒りがやってきて、その強いエネルギーで行動できる。相手に攻撃をすることもできるだろう。
相手をひるませている間に逃げることもできるし、その攻撃で相手を倒せるかもしれない。強い怒りのエネルギーはとんでもない行動力を発起させる。
だからこそ、必要で、生命活動としては重要な感情であるともいえる。
その生命活動を無視するのは良くない。
だけど、現代社会において怒りは結構邪魔な感情でもある。
現代は野生動物と戦うこともないし、戦争が起きているわけではない。
私たちの命は急に奪われれる心配が極めて少ない。だから、怒りの感情で突発的に行動することは少ないと言えると思う。だけど、小さな怒りは常日頃から生まれる。生命の危機に比べればそのエネルギーは小さなものかもしれないが、それが蓄積してしまうのが大変。よく怒りのポイントカードと例えられるが、小さな怒りがたまって爆発してしまう人は少なくないだろう。
キラキラ引き寄せの罠
ネガティブな感情はネガティブな事象を呼ぶ。ポジティブでいれば、自分の望んだ現実が手に入る。引き寄せの法則を理解しようとしたときに、必ず通る、「キラキラ引き寄せの罠」である。この法則から行くと、いつまでも怒りの感情に引きずられて、ネチネチとネガティブな感情を引きずると、さらにネガティブなことが起きる。確かに、ネガティブな思考でいるときは、普段目に入らないようなことも気になったりする。街角のごみなんかも目について、人間は汚い生き物だなと心の中で毒づく。これこそ、ネガティブだからこそ、ごみが目につき、さらにネガティブな感情を想起させてしまったということになるんだろう。
そうなると、確かにいい気分でいるべきなのはわかるが、日々、怒りや悲しみや悔しい気持ちは生まれる。そのネガティブなエネルギーを発散する方法を解いている本は少なく、考え方などは書いてあったりするが、どれもその前の感情が熱く煮えたぎっている時には通用しそうもないものばかりだったりする。
うまく波に乗りたい。人生をうまくいかせたいと思えば思うほど、感情のやり場がなくなってしまうのだ。
そうなると
今度はネガティブな感情を封印するようになる。ついつい始まる、心の中での言い訳や文句。周りの人を羨む気持ち、ねたむ気持ち。自分の環境への不平不満。自分や周りへの期待及びそれを裏切られた気持ち。ネガティブに繋がりそうなものも排除しなければ、全てポジティブなんて無理だった。考え始めると「あ!」と気が付き、封印。感情が湧き出た瞬間「げ!」と気が付き、自分ごとにせず封印。前回、この出来事の後ネガティブになったなぁと思い出せば、先回りして封印。
とにかく、ネガティブを排除し続けた結果。
怒りもしない。けど、自分が欲しいものも分からない、何をしたいのかも分からない。何を見てもトキメキを感じることができない。ある意味平和な無感情という状態が生まれた。
だけど、「いい気分」ではない。それどころか、常に焦りを感じるようになっていた。それは引き寄せに必要な「願望」が分からなくなっていたから。
そりゃそうだ。何かを受け取るには、その背景にあるネガティブも受け取る覚悟が必要なのだから。
アイスが食べたいと思えば、太るリスクを受け取らねばならない。ネガティブを取らないということは、太るというフレーズが出た途端、もうアイスも封印せざるおえなくなる。
私の脳内で、渋滞が起こり始めた瞬間である。
過去を回想するか未来を想像するか
気質を研究する上で、グループ分けをすることが趣味のようになっているのだが、思考の癖として
「過去からデータを取り出して検討する」タイプと
「未来を想像して検討する」タイプがあることが分かっている。
私は未来を想像するのが苦手で、過去からデータを取るタイプだ。
例えば、車を運転するときに
この道を通ったときは、前はこの箇所が危なくて苦手だと思ったから気をつけようという思考をする
未来型の人は
この先に自分が苦手なパターンAの状態になるかもしれないから、慎重に運転しようという思考になる
過去型の人は初めてのことにものおじしない傾向がある。なぜなら、想像ができないから、進んでみなければ分からないと思っているから。
そして、過去失敗したことに対して、とても強いブレーキを踏む傾向もある。それは自分が苦手で、成功することを想像できないからである。
未来型の人は、初めてのことが極端に苦手になることが多く。先んじて情報を欲する。そして、その情報から色々と想像して、対処しようとする。
一度失敗したことでも、様々なパターンで未来予想ができるので、違う手を試そうとするので、失敗してもリトライすることができる。
どちらがよくて、どちらが悪いということはない。人類が発展することにおいて、考え方が違う者同士が協力し合うからこそ、乗り越えられるものもあるので、どちらのタイプも発展には必要な考え方だ。
それなのに
私は、過去型で未来を想像するのが苦手な自分を変えようとした。
きっかけはやはり引き寄せの法則を実践する上の実験としてだったのだが、戦士の気質であるがゆえに徹底してしまったのだ。
引き寄せの法則に則ると、未来をワクワク想像すると、いい未来が引き寄せられるというもの。つまり、未来をワクワク想像することが大切で、過去はいらないということになる。
過去回想型で、未来を想像するのが苦手な自分は引き寄せられないじゃないか!これは死活問題である。それに、ある意味実験でもある。私は多くのことを引き寄せてきた。それこそ、今は思い通りの人生を歩んでいると言える。だけど、不足感がないわけではない。例えば、お金のこと。十分に稼いでいるが、ちょっとずつマイナスも生まれ、プラスとマイナスを行ったり来たり。これでは不安が尽きないので、不安を潰したい。そんな不足感を埋めるにはもっと引き寄せ上手にならねばと考えたのだ。そのために何が必要なのか明確にしたかった。
そこからは、怒りとネガティブ同様、過去回想と判断されれば、考えを中断して、もっと未来を想像してみようと考えを0地点に戻した。これは、本当に大変なことだった。そもそもが過去からデータを取りながら、危険回避や先読み行動をしていたのに、それができなくなってしまう。
これを始めてからすぐに、私はと怒りが湧き出ることが多くなった気がする。なんなら過去のことを思い出し、怒り、今なら相手をこういう風に言い負かしてやるとか、「怒り、過去、ネガティブ」のフルコンボの思考がいきなり生まれたりすることもあった。今まではそんなことはなかった。過去のことを思い出したとしても、冷静に分析し、最後には終わったことだからと水に流すような内容なのに。思考も常に働き、忙しい状態だった。瞑想することもできないくらいに、次々と思考が現れ、怒りを感じることすらあり、私はすっかり戸惑い、思考の渋滞を処理することに疲れ始めていた。
ポイントカードいっぱい
その日は入学式の日で、学童保育に通わせている次男のお弁当を作り、長女を保育園に送り出し、学校が休みの長男に宿題をするように言いつけ、犬を散歩させるついでに、次男を学校まで送り届けるつもりだった。さて、行きましょうと準備万端になったその時
「学童に行きたくない」
次男が言い始めた。
うちの犬は家の中では用を足さない。だから、朝一番のトイレを我慢している。散歩の準備が万端なので、犬が外に出たがっている状態で、行きたくないは受け付けられなかった。
「どうして?」
と言ってもむくれて何も言わない次男。私は一気に怒りが最高潮になるのを感じながら、あれこれ声をかけてみるものの、暖簾に腕押しではっきりとした返事はしないし、二言目には「行きたくない」という。
そうは言っても、犬の散歩には出なければならない。1分も待ちたくない犬がここにいる。
仕方なく、長男に次男を送ってくれないかというと「いいよ」と返事をもらえたので、後ろ髪をひかれながら犬の散歩に出たが、そこから怒りがふつふつと湧いてくるのを感じていた。
さっきまでふざけて、大きな声を出して遊んでいたのに・・・
思い通りに次男が動かなかったことに怒りを感じているのか、それとも、本当に次男がいじめられていたりして、学童保育が良くないことを不安に思っているのか、自分の感情の出所を探るが分からなかった。
色んなことが頭に浮かぶが、怒りが邪魔をして考えが前に進まない。
犬の散歩を終えて帰ると、長男だけが家にいた。次男は?と聞くと、結局一人で歩いて学校へ行ったらしい。こうなると長男にも腹が立つ。何を聞いても知らないというし、関心もなさそうだ。
仕方なく、学童保育の先生に電話をかけてみる。無事に次男が着いているかも気になった。
先生は、意外そうな声を出し、毎日元気に通っていますよという。今も部屋で遊んでいますと。
このやり取りでも私は謎の怒りに支配されていた。先生に次男のことをお願いし、電話を切る。
そして、夕方になり、次男が帰ってきた。「朝はごめんね」というと、次男はプイっとそっぽを向いた。ここでももれなく怒り。謝っているのに。何も話してくれないのは次男なのに。私は、このままでは怒りに支配されると思い、その場を離れ、長女を迎えに保育園に行くことにした。だけど、もう収拾のつかない怒りが、心の奥に煮えたぎっているのが分かる。口を開けば、マグマが噴出しそうなくらいに。ほとんど噴火を待つ火山のように。
そして、期待通り(笑)長女もわがままを発揮する。いつもなら自分で持つ荷物を持たないと言い。遊んではいけない遊具で遊び、車にも乗らないと駄々をこねる。私が噴火寸前の火山とは知らない長女は、こんなことでは私が怒らないと知っているかのように、車に乗っても「もっと遊びたかったのに」とヒステリックな声を出す。この時に私はもう我慢の限界を超え、長女に「いい加減にしなさい!」と大きくヒステリックな声で叫んでいた。めったに起こられることのない長女はすぐに泣きだしてしまい、「やっちまった・・・」と思うが、噴火したマグマは止められるわけがなかった。
私は、怒りのままに夕ご飯の準備をして、しゃべらなくていいようにイヤフォンをつけて大音量で音楽をかけていた。
おなかがすいて、「今日は何のご飯?」とまとわりついてくる子供たちを無視して、何にも過不足のないようにご飯をセットして、夫が帰って来るや否や、「ちょっと出かけてくる」と家を飛び出した。
潜在意識登場
車に乗り込んで、南へ車を走らせる。南は海だ。私は嫌なことがあったり、気持ちがざわつくときは海へ行く。これはずっと変わらない癖みたいなものだった。
怒りが次々と湧きあがってくる。本当に意味が分からなかった。これは何の怒りなのか?いつも通りに冷静に判断しようと思考にセットするが、うまくいかない。怒りに任せて大声を出したいので、歌を歌う。19歳の時に流行った曲を聴きながら、当時も常に怒っていたなと思い出しながら、大いに過去に身を浸した。
海につく頃には外はすっかり暗くなり。向こう岸に香川の光が見える。大きな船が横切っているのだろうけど、その姿は闇と一体化して見えない。波に合わせて光が揺れていた。
謝ってほしいのか?
解決する方法を探って色々考えてみる。そもそも、子供たちは悪くない。謝ってほしいわけじゃないし、きっとこの怒りは子供に対するものじゃない。たまたま、今日がポイントカードいっぱいの日だったんだ。
私は怒りはポイントカード制だと思う。小さな怒りはポイントとしてカードに貯められる。ある日、最後の一個を押した瞬間に大きな怒りとして還元される。そのシステムに困り果てたのは夫。なので、夫にはムカついたらその場で言ってと提案された。我慢するより、その場で解決したほうがいいと。それ以降はそうするようにしていたはず・・・・。
だったが、私は、怒りをいらぬものとして、ポイポイ捨てていたことを思い出した。
ってことは・・・・いつもより多くのポイントカードが今還元されているのか・・・。
と、気が付いたところで、怒りの感情は容赦ない。ヤマタノオロチのように、あっちこっちから攻撃してくるし、一個首を倒したところで、他の首が大暴れで、気が付いたら倒したと思った首も復活しているみたいな、打開策がない戦いをしているようだった。
完全に降参だった。もう、時間薬しかないんだろう。
私は大好きな海を後にする。死んだら、海に骨を蒔いてほしい。いつか海に帰るんだ、そう思っているから絶望したら海を見に来るんだ。私は何にも変わっていない。聞いている音楽でさえ同じだ。
そう思うと、潜在意識が顔を出した気がした。わたしは何も変わらない。無理やり書き換えようとしても無駄だと言いに来ているような、今みたいな方法はわたしには無効と言っているような。
降参して家に帰ると、子供たちが待っていた。
ご飯食べたの?なんてのんきに聞いてくる。ご飯どころじゃないのよ。とまた怒りが押しあがってくるので、笑えてくる。
その戦い2日
結局怒りの処理が終わるまで2日ほどかかった。それまで自分に禁じていた、ネガティブ思考も、怒りに任せた心の叫びも、過去を引っ張り出してあーでもないこーでもないと考える堂々巡りも許可をした。私は心の中で思う存分、大声でネガティブなことを叫んだし、神様にも文句を言った。そうこうしているうちに気が付いたことがある。それは「嫌」という感情。今のままじゃ嫌だとか、これが嫌だからこうしたいとか。その「嫌」という感情が転じて、もっと良くしたいという結果に繋がっていることに気が付いた。
はじめて車を買った時。本当は欲しい車があった。だけど、その時は初心者で、お金もなかったから、違う車になった。半ば強制的に。それがすごく嫌だった。嫌だったけど、私はその車で、何度も海に行ったし、あの曲をずっとかけていた。そして、その何年か後、本当に欲しかった車を買った。嫌だった車は練習にはもってこいで、まさに足のように自在に操り、今までいけないところに何時でもどこでも連れて行ってくれた。スピードを出してどこまでも走っていく、その自由な感じを教えてくれたのは嫌だった車で、その車との時間があったから、私は車が好きになったし、ちゃんと好きな車に乗る想像もできた。過去があるから想像できたのだ。嫌な過去があるのは、やっぱり嫌だ。だけど、だからこそ見えるものもある。
私はあの時のまま。嫌な車に乗りながら、好きな車を夢見て、嫌だから逃げ出して、今の環境に身を置いて、そうやって、嫌だからこうするを繰り返して、気が付いたらいい環境になっている。
そういう人間なんだと
ふっと腹落ちした。
そこから、心の叫びはなくなり、怒りもなくなり、下手な禁止も辞めてしまった。やっと心の平穏を手に入れたのだ。
マイナスの原動力
これはあくまで私の場合だけど、私はマイナスを経験することで、プラスへの原動力が生まれるタイプで、嫌だとか、怒りとかの強いエネルギーを前に進む原動力にしていくタイプだということが分かった。
そして、潜在意識はやっぱり過去の情報を多く持っていて、経験を積むことでしか書き換えができないことも何となく自覚することができた。
いい気分でいることで、潜在意識をだますようなことは、結局、心から思えないのであれば、あんまり意味がないし、それよりも、これ嫌だから何とかしようと、自分の足で歩いてアプローチすることが結局願望実現の早道なんだなとも感じた。
行動しなければ未来は変わらない。それはどこでも言われていることだけど、その原動力がネガティブでも、良くしたいという反動に使われるならそれは強いポジティブエネルギーになる。これは陰陽の法則にも反してないのである話だなと。
何となく、キラキラした引き寄せ本が多くて、読めば読むほど迷子になる感覚があるので、摂取しすぎは良くないかもとも思って、ネガティブからの引き寄せ本をいつか書けたらいいななんてこともぼんやり思ったりして・・・。
自分を使っての大きな実験。
潜在意識を無理やり書き換えてみよう、自分の思考を根本からコントロールしようというものは、潜在意識の大暴れによる本人の暴走で失敗に終わり、でも、得るものはとても大きかった。
そして、自己愛という大きなテーマへの思考も大きく進んだので、それはまた次に書こうと思う。
怒るのは本当に疲れるね。発電か何かに使えないかね、このエネルギーを。