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明晰夢を見る練習

瞑想

占い師になる前に自分には何が必要か考えた結果、わたしは自分の思考がいらないものだと考えた。自分には霊感がある(と感じていた)けれども、その世界と繋がる状態を常に作ることができなかった。それと同時に、自分の頭の中に浮かんでくることが、自分の思考なのか、霊的なメッセージなのか判別することが難しかった。同じ声で、同じように頭の中にポンと浮かんでくるので、あまりにも自分の思考と乖離していない限り、それはただの思考に紛れ、埋もれてしまうほどささやかなものだったから。


たまに、強制的に霊的なメッセージを受け取る状態に入ることがあった。この時はとても眠たくなるのが特徴で、抗えないほどの眠気だ。体が眠ろうとしているので、目を閉じる。そして、眠りの段階に入ろうとすると、メッセージが浮かんでくる。そのあまりにもはっきりとした口調に驚くこともあれば、膨大な画像がバラバラと脈絡もなく再生されるのをただ眺めているだけのこともある。その膨大な画像からメッセージを受け取ることもあった。
この状態から、眠くなる→自分の意識が遠のく→自分の思考外のものがはっきりとするのだと分かり、つまりは自分の思考を遮ることができれば、自由に霊的なメッセージを受け取ることができるかもしれないと考えたのだ。


自分の考え(思考)が邪魔ということで、どうすればいいのか考えた結果、瞑想をしようと考えた。自分の考えをクリアにしたら、霊的なメッセージしか残らないはず。そんな単純な思い込みから、占い師になる前の7年ほどは瞑想を習慣にしていた。
子供が生まれてからは、なかなかその時間が取れなかったが、その頃になると、テレビを見ていても、子供の面倒を見ていても、隙あらば瞑想状態に入った。ぼーっとする感じとはまた違う。自分のスイッチをオフにする感じ。それでいて、ちゃんとテレビからの映像や音声は肉体はキャッチしている。そうやって日に何度も自分のスイッチを切ることで、いつでも瞑想状態に入れるようにしていった。
これによって、わたしは、霊的なメッセージの受け取りを意図的にするようになる。それでもうまくいかないことは多々ある。完璧だとは言えない。それでもとても意味のあることだった。


瞑想極まれり?

瞑想が簡単にできるようになり、占いもスムーズにできるようになったので、わたしは占い師になれた。と思う。だけど、自分が何をキャッチしているのか分からないままだった。どこからのメッセージを受け取っているのか、何を見ているのか。ただ、瞑想状態になれば、オーダーしたものを受け取り話していた。不思議なことに、話した内容をほとんど覚えていない。お客様は感動して、「あの時おっしゃっていたことが本当になった」とかいうのだが、当のわたしはそれを言った覚えがない。覚えているのは、自分の占いであるじゅうの診断で出した気質の組み合わせやその記憶に付随したエピソードたちだけだった。これはわたしにとっても不便なことであり、不思議なことだった。なぜ、霊視したことを覚えておらず、言ったことすらも覚えていないのか。
それと同じことが、じつは文章を書くことでも起きた。毎月、自分の公式ホームページに載せている月運だが、こちらの内容も覚えていないし、毎回すごいスピードでかけてしまう。自分で考えるというよりは、出来上がった文章が勝手に自分を通して書かれていく感じがする。タイピングする指が止まることなく、自分の思考なんて全く関係のない文言が次々と画面に映し出されている状態だ。なので「今月の月運はわたしのことを思い浮かべて書いたでしょ!?」と友人に言われたりするのだが(これは最高の誉め言葉だ)その内容は覚えていないし、思い浮かべすらしなかった友人が当たったと興奮気味に話していることもどこか他人事のように感じるのだ。思い出そうとしても思い出せない。実際に読んでも、自分で感心する始末。本当に頭が悪いのだと思っていた。

そんな日々の中、勉強がてら、スピリチュアル関係のYouTubeを見たりするのだが、そこで「自動書記」という言葉に出会い、これかもしれないと思ったことがあった。瞑想をして、自分の思考を静めることで、メッセージを受け取り、書かれたもの。自分の意思は反映されていないもの。

まさに!


だけど、わたしは疑い深いし、自分に自信も持っていない。自分をすごいものだとは思えないので、いつか、すごい自動書記をしたいと今でも思っている。
同じ流れで、明晰夢なるものを知った。
自分が夢だと認識しながらコントロールできる夢と定義されてるようだが、明晰夢の中でスピリチュアルなメッセージを受け取ったという話があったのだ。
わたしは思いっきり明晰夢に憧れた。なぜなら、神様と話せると思ったからだ。何より、明晰夢は経験したことがなかったし、今までの霊視は、わたしの感覚的にはわたしの守護霊である「じゅう」さんと繋がって、メッセージを受け取っているものだったので、何となく、全てが分かる神様ではないと思っていた。神様と話をしてみたい。そんな憧れを抱いてしまったのだ。

明晰夢を見てみよう

明晰夢を見るにはどうしたらいいのだろう。ネットで調べれば、その方法は出てきたが、わたしはあまり頭が良くないので、自分の感覚に頼ってしまう。おそらく、寝る前に瞑想をしっかりして、その状態のまま眠りにつけば、寝ている最中もメッセージを受け取りやすいはず。そう考えたわたしは、寝る前はひたすら瞑想をすることにした。
瞑想をしたことがある人は知っていると思うが、瞑想するとよく眠れる(笑)
何度も寝落ち(?)してしまう。いや、それでいいはずなのだが、わたしの中では、ちょっと違ったのだ。もっと、ちゃんと繋がってからでないと、うまくいかない気がしたのだ。霊視をするくらい、明確にオーダーを通した状態での寝落ちが理想的だ。
わたしは色んな本やYouTubeで見た知識を総力して、呼吸、頭の中の状態、瞑想に入る前のアファメーションなどにもこだわって。多幸感に包まれることを意識してみたり、宇宙をイメージしてみたり、自分の肉体に注目してみたり、とにかくいろんな状態で眠りに入ることを試してみた。
こうやって、3回に1回くらいは何となく、明晰夢を見れるようになってきたのだ。


明晰夢が自分で操れるという意味なら、全く違うが、自分でこれはメッセージを受け取っている!とは意識できる。
こっちに行きたいとかそういう状態ではない。座って暗闇にいる感じだ。プラネタリウムを見ているような感じで、真っ暗な状態で、たまに映像が見えてきたりするが連続した映像でないことが多い。(薄い静止画?)
明らかにわたしの声ではない、解説するような声(男性の声)がする。その声と対話することができるが、私は「わかった」か「分からない」くらいしか言えない。
ある考えや真理を解説されることが多い。分かるまで説明が続く。分かると目が覚めてしまうことが多い。質問はできるが、言葉でするというより、わたしの思考が迷っている部分が大きくなる感じになる。

これがわたしの明晰夢と感じているもので、これまで数回見た。夢の始めに「あ!今日は見れるんだ」と思うし、今はメッセージを受け取っていると感じている時は、うっすら目覚めたとしても夢の意図が分かるまでは瞑想の状態を続けるように意識する。深い眠りの時ではなく、ごく浅く眠っている状態の時に見るようだ。わたしはいつも機械で眠りを計測しているのだけれど、大体3時頃から5時頃までの間に見ることが多く、その前の時間(22時頃から1時頃)に深く眠っていると夜中に浅い眠りの連続が起きて、明晰夢が現れる。ほとんど起きているような状態で見ているようで、連続で見ると、昼間に眠くなってしまう。明晰夢を連続で見ると、お昼寝の時もその続きのような状態になることがあるのも分かった。

ほんとうに?

明晰夢を見たいと思ってみられるものなのか分からないが、実際には興味深い内容があったりする。あまり詳しく覚えていないものもあるが、完全に忘れる前に書き記しておこうと思う。
次回は実際の明晰夢の内容を書こうと思うので、ここで、自動書記が発動して、さらにいろいろなことが分かったらいいなと思って、書くときは万全の瞑想状態で挑もうと思う。
もし、続きが読みたいと思ったらスキボタンを押してくれたうれしい。
頑張って書こうと思えるから。



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